2013.07.18

研究と報告101 自民党「日本国憲法改正草案」の危険性

自民党「日本国憲法改正草案」の危険性
~米国と財界の「押しつけ9条改憲」~
神戸学院大学教授 上脇博之
日本国憲法の改正手続を定めている第96条が真っ先に改憲されてしまうと、改憲の本命である憲法9条も改憲されてしまう危険性がこれまで以上に高まるでしょう(参照、上脇博之「(研究と報告100)姑息な安倍改憲の危険性 ― 96条先行改憲、解釈改憲、立法改憲」)。
すでに自民党は昨2012年4月27日に「日本国憲法改正草案」(以下「改憲草案」という)を発表しており、その内容は、9条だけではなく日本国憲法全体を変質させるものですが、安倍晋三自民党総裁(首相)は、改憲に積極的な勢力の結集を優先するために、自民党の憲法改正草案を見直す可能性について「ここを修正すればいいということであれば、当然、政治は現実なので考えていきたい」と語り、柔軟に対処する考えを表明しました(「首相:96条に再言及 自民草案、見直しに柔軟」毎日新聞 2013年07月07日22時22分)。
とはいえ、9条改憲については本質的な見直しはないでしょうから、この小論では、日本国憲法の平和主義がどのように変質されようとしているのかという論点に絞って(ただし、平和主義の変質が人権保障の変質にも波及するので、その限りで後者も取り上げます)、自民党「改正草案」の内容を確認します(ここで取り上げない点については、上脇博之『自民改憲案 VS 日本国憲法 ~ 緊迫!9条と96条の危機』日本機関紙出版センター・2013年を参照ください)。

1.アメリカの戦争に本格的に加担するための9条改憲
(1)「専守防衛」のための9条改憲ではない
国民の中には、“外国から日本国が武力攻撃を受けることに備え、自衛隊や駐留米軍の存在、自衛隊法や日米安保条約を「合憲」にするために、9条改憲に賛成する”という方々がおられるようです。これは、端的に言えば、“「専守防衛」のための9条改憲”です。
しかし、今強力に言われている9条改憲はそのような改憲ではありません。そもそも自衛隊等については、すでに自民党政権によって「解釈改憲」が行われ、自衛隊法や日米安保条約を違憲とする立場はとられていません。自衛隊法等を違憲とする政権が誕生する可能性は現時点では高いとも言えません。ですから、自衛隊等を憲法上「合憲」と認めるだけであれば、多額の税金を費やして9条改憲をする必要はないのです。
9条改憲の狙いは「専守防衛」以上のことなのです。時事通信の配信記事によると、安倍晋三自民党総裁は、今年2月15日、党本部で開かれた憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)の会合で講演し、自衛隊について「自分を守る利己的な軍隊だとの印象がある」として、自民党が衆議院総選挙の公約で掲げた「国防軍」創設の必要性を訴えたというのです。

(2)地球規模でアメリカの戦争に加担
今の9条改憲は、従来の政府解釈でも「合憲」とできず違憲とされているものを、あえて「合憲」にするための改憲なのです。
 その第一は、“日本国が集団的自衛権を行使すること”です。政府は、「集団的自衛権の行使」は「憲法の認めている所ではないと考えている。」と答弁しているからです(例えば、1980年10月14日、鈴木善幸首相の答弁)。
 いわゆる日米安保条約は、「日本国及びアメリカ合衆国は、……両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言」しています(前文・第5条第1項)。これが集団的自衛権についての日米の合意です。
これによると、日本国が外国から「武力攻撃」を受け、同盟国であるアメリカに協力を求めれば、アメリカが「共通の危険に対処するように行動する」のです。これには、集団的自衛権を行使することも含まれます。また、アメリカが「日本国の施政の下にある領域」で「武力攻撃」を受け、日本国に協力を求めれば、日本は集団的自衛権を行使することもありうることになります。
ところが、後者においては、「専守防衛」の枠を超えるので、日本国が集団的自衛権を行使することは「憲法の認めている所ではない」、すなわち違憲になるのです。
ですから、日本国が集団的自衛権を行使しても違憲にはならないようにするために、9条改憲が目論まれているのです。
 また、その場合、日本が集団的自衛権を行使する領域が限定されていないことも重要です。前述したように、日米安保条約では、「日本国の施政の下にある領域」、言い換えれば“日本国の国家主権が及ぶ領域”に限定されています。ところが、日本政府とアメリカ政府は、1996年の「日米安保共同宣言」(1996年4月17)により「アジア・太平洋地域」さらには「地球規模の問題についての日米の協力」を宣言し、翌年の「新ガイドライン(新日米防衛協力指針)」(1997年9月23日)で、日本周辺領域で放置すれば日本の平和や安全に重大な影響を及ぼす事態である「日本周辺事態」を「地理的概念ではない」と合意しているのです。
 このように、日米両政府は、日米安保条約における従来の地理的限定を取り払って、地球規模で軍事的に協力することで合意し、日本国がアメリカとの関係で集団的自衛権を行使する範囲は地球規模にまで拡大しているのです。これを「合憲」にするために9条改憲が唱えられているのです。
 また、9条改憲の第二の目的は、日本が多国籍軍(連合軍)に参加して海外で武力行使することです。1990年にイラクがクェートに侵攻したことを機に、アメリカは国連の集団安全保障体制の下で、安全保障理事会の決議を利用して戦争を行ってもきました。日本では、自衛隊の「海外派遣」が行われたのも湾岸戦争後であり、掃海艇が軍艦マーチ演奏の中で派遣(派兵)されました。1992年には、いわゆるPKO法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)が制定されました。その後、周知のように幾つかの特別措置法が制定され、自衛隊は海外派遣(派兵)されてきましたが、その際、日本政府は、建前としては、自衛隊の活動がアメリカ軍などで構成される多国籍軍(連合軍)の武力行使とは一体にならない活動だけを行ってきました。この活動は国際的には明らかな軍事活動なのですが、日本政府は、そのように説明してきませんでした。
従来、政府は、「(国連憲章上の)集団安全保障に関わる措置のうち憲法9条によって禁じられている武力の行使、または武力の威嚇にあたる行為については、我が国としてこれを行うことが許されない」(1994年6月13日、内閣法制局長官の答弁)という立場でしたから、9条改憲は、日本が多国籍軍(連合軍)に参加して武力行使をしても「合憲」にするために主張されてもいるのです。安倍晋三首相は今年3月9日の「BS朝日」の番組で、「(日本が)国際的な集団安全保障の中に参加できる道は残した方がいいのではないか」と述べています。

(3)アメリカと日本財界の「押しつけ9条改憲」
 このような9条改憲を要求しているのは、アメリカです。アメリカは、日本政府が集団的自衛権の行使を違憲としていることを「同盟国の足かせ」である、「憲法9条が邪魔になっている」、と好き勝手なことを言い、日本国の集団的自衛権行使に向けて日本政府の解釈の見直し、あるいは9条改憲を、何度も強く要求してきました。例えば、アーミテージレポート・米国防大学国家戦略研究所(INSS)特別報告『合衆国と日本 ― 成熟したパートナーシップに向けて』(2000年10月11日)は、次のように書いていました。

「日本が集団的自衛権を禁止していることが、同盟関係の足かせになっている。集団的自衛権を行使できるようにすれば、より緊密で効率的な安全保障協力ができる。・・・米国政府は、日本が自らすすんでもっと大きく貢献し、もっと対等な同盟相手になることを歓迎する、という意思を明確にしなければならない。」

また、日本国内では、多国籍企業・経営者を抱える経済界が9条改憲を要求してきました。例えば、経済同友会憲法問題調査会『憲法問題調査会意見書 自立した個人、自立した国たるために』(2003年4月21日)は、「集団的自衛権の行使に関する政府解釈を改め、適正な目的と範囲を踏まえて『自衛権』の行使についての枠組みを固めること」を要求し、日本経済団体連合会『わが国の日本問題を考える ― これからの日本を展望して』(2005年1月18日)は、「集団的自衛権に関しては、わが国の国益や国際平和の安定のために行使できる旨を、憲法上明らかにすべきである」と提言してきました。
民主党政権時に、政府の国家戦略会議フロンティア分科会「<フロンティア分科会報告書>あらゆる力を発露し創造的結合で新たな価値を生み出す「共創の国」づくり」(2012年7月6日)も、以下のように集団的自衛権行使を許容するために政府の解釈の見直しを提案していました。

「アジア太平洋地域の戦略環境の厳しさを考えれば、日本が自衛手段として一定の安全保障能力を保持することはきわめて重要である。そのうえで、米国の地域コミットメント、日本防衛コミットメントの維持・適合をはかりつつ、アメリカや価値観を共有する諸国との安全保障協力を大幅に拡大深化させ、ネットワーク化することを目指すべきである。安全保障協力を深化させるためにも、協力相手としての日本の価値を高めることも不可欠であり、集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行の見直し等を通じて、安全保障協力手段の拡充を図るべきである。」

2.「日本国憲法改正草案」における平和主義の変質
(1)「集団的自衛権」を明記しなくてもその行使を「合憲」にする9条改憲
 9条の明文改憲において注意しなければならないのは、「集団的自衛権」という文言が改憲案に盛り込まれなくても、集団的自衛権行使が「合憲」にされ、改憲後は、その行使に対し憲法上の制約がなくなってしまう、ということです。
自民党「改正草案」は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」と定めながらも(第9条第1項)、「自衛権の発動を妨げるものではない」とし(同条第2項)、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため…国防軍を保持する」と改めています(第9条の2)。その結果、日本国憲法第9条第2項は削除されているのです。
 これについて、自民党「日本国憲法改正草案Q&A」(以下「Q&A」という)は「『自衛権」には、国連憲章が認めている個別的自衛権や集団的自衛権が含まれていることは、言うまでもありません。……自衛権の行使には、何らの制約もないように規定しました」と解説しています(Q8の答)。ですから、「集団的自衛権の行使は禁止される」という文言が明記されない限り「専守防衛の9条改憲」はありえないのです。

(2)平和主義の変質と人権保障の変質の相互関係
(①)平和的生存権の否定
以上、自民党「改正草案」が平和主義をどのように変質させているのか、簡単に確認しましたが、平和主義の変質が基本的人権尊重主義の変質にも及んでいます。それゆえ、両者の相互関係を知るために、その限りで基本的人権保障の変質についても確認しておきます。
まず、自民党「改正草案」は、前文を全面的に改訂し、日本国憲法の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という文言を削除しています。
となると、「改正草案」は日本国憲法の保障している平和的生存権を否定していることになります。これは、アメリカの戦争に本格加担する国家になるのですから、必然的に平和的生存権を積極的に保障しないどころか、むしろ侵害する国家になることを意味しています。

(②)国防軍が国民の運動を弾圧する!?
 また、自民党「改正草案」は、「国防軍は……公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」とし(第9条の2第3項)、これについて「Q&A」は、「治安維持や邦人救出、国民保護、災害派遣などの活動です」と解説しています(Q9の答)。
ここで「治安維持」が含まれているということは、国が「国民の生命若しくは自由を守る」ことを口実に国民の政府批判活動を弾圧することに国防軍を活用する余地を認めることになります。

(③)軍法会議の復活
さらに、自民党「改正草案」は、いわゆる軍事機密を認め(第9条の2第4項)、軍人や公務員が軍事機密に関する「罪を犯した場合の裁判を行うため……国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない」としています(同条第5項)。これにつき「Q&A」は、「審判所とは、いわゆる軍法会議のことです」と解説しています(Q11の答)。
裁判所への上訴を認めてはいますが、国防軍が圧力をかければ軍人らが実際には裁判所に上訴しないこともあるでしょう。そうなると、国民の「知る権利」を保障しないまま、密室で軍法会議が裁判し、事実上それが終審となるのです。刑罰の程度についても、過度に重いもの、あるいは逆に過度に軽いものになるおそれもあります。
ところで、軍法会議を設けるということは、裁判でも軍事機密が公表されたくないからでしょう。そうなると、国家機密法が制定され、「知る権利」の保障が後退することは確実でしょう。また、軍人の規律違反や軍事機密の漏洩等を捜査するのが軍の警察(昔の「憲兵」)になるのではないかとの疑念も生じます。

(④)戦争への国民の動員も「合憲」~徴兵制も「合憲」!?
 公務員や指定公共機関の労働者を戦争に動員することは、すでに有事立法の整備によって可能になっています。例えば、「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」によると、戦争に動員されるのは自衛隊員だけではなく、公務員や指定公共機関等の労働者も「責務」として戦争に動員されることになっています。
 日本国権の平和主義が、前述したように変質してしまうと、以上の動員は「合憲」にされてしまうでしょう。
 では、徴兵制については、どうでしょうか。経済同友会は「徴兵制を採用しない」という原則を基本とすべきであると提言してきました(経済同友会「新しい国家像を考える委員会」『新しい平和国家をめざして』94年7月26日)。読売新聞の憲法改正試案も、「国民は、・・・軍隊に、参加を強制されない」としていました(読売新聞第三次憲法改正試案2004年5月3日、第一次憲法改正試案1994年11月3日も同じ)。
経済人など日本の支配層が徴兵制の採用を主張しない理由は幾つか考えられます。①徴兵制を採用してしまうと、経済人の家族も徴兵されてしまう、②現代の戦争では膨大な数の隊員・軍人は必要なく、新自由主義政策を強行して貧富の格差が大きくなればアメリカのように貧困層が自衛隊(自衛軍・国防軍)に入隊するから隊員・軍人は確保できる、③前述したように有事立法によって公務員や指定公共機関の労働者を戦争に動員することはすでに可能になっている、からです。
ところが、いまだに徴兵制の採用を主張する人物が首長や国会議員になっています。橋下徹、東国原英夫、石原慎太郎各氏ら「日本維新の会」はその代表です。また、自民党憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔前政調会長)は2010年3月4日の会合で、徴兵制導入の検討を示唆するなど保守色を強く打ち出した論点を公表していました(「自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ」共同通信10年3月4日20時49分配信)。「Q&A」には「党内議論の中では、『国民の「国を守る義務」について規定すべきではないか。』という意見が多く出されました」と紹介されています。
「改正草案」は徴兵制の採用を明記していませんが、それを明確に否定する条項も盛り込んではいません。むしろ、「改正草案」は、前文で「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」と、第9条の3で「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」と、それぞれ定めています。それゆえ、徴兵制は「合憲」にされてしまいかねません。少なくとも、兵役を拒否する者は介護などのボランティアをしなければならないという制度であれば、「合憲」になってしまうでしょう。

(⑤)靖国神社への内閣総理大臣の公式参拝の「合憲」化と信教の自由の侵害
靖国神社は、いわゆるA級戦犯を祀っています。9条が改憲され、日本がアメリカの戦争に本格的に参戦すれば、今の自衛隊員(改憲後の国防軍人)で戦死する者も出るでしょうから、その戦死者を靖国神社で祀る可能性も出てくるでしょう。
自民党「改正草案」は、「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない」と規定しながらも、その例外として「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」については「国及び地方自治体その他の公共団体」が「宗教的活動」をすることを許容しています(第20条第3項・第89条)。日本国憲法は、戦前の国家神道とそれによる信教の自由の侵害を反省して信教の自由と政教分離原則を定めましたが、自民党「改正草案」は、靖国神社への内閣総理大臣らの公式参拝を「合憲」にしようするものでしょう。
これは、政教分離原則を後退させ、間接的には、神道以外の国民の信教の自由を侵害することになるでしょう。

(⑥)緊急事態における政令による人権制限
自民党「改正草案」によると、「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」などの「緊急事態」を発することができ、そうなると「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」うえに「何人も、法律の定めるところにより、…国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。」と定め、法律の委任さえあれば内閣総理大臣が緊急事態を宣言すると内閣の政令で人権を制限できるというのです(第99条)。
これにつき「Q&A」は、「国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るために、そのため必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得る」と解説しています(Q36の答)。

おわりに
 以上、確認したように、自民党「改憲草案」は、日本国憲法の平和主義を変質させ、アメリカの戦争に日本国が本格的に加担することを可能しており、また、そのことが基本的人権の保障を後退させてもいるのです。これだけ見ても自民党「改憲草案」が日本国憲法を破壊するものであることは、明らかです。
それゆえ、このような憲法破壊を許さないためには、今の参議院議員通常選挙における投票が重要になるわけですが、選挙以外でも、9条の憲法改悪を阻止する主権者国民の憲法運動が重要になります。その際に留意しければならないことは、9条の明文改憲を阻止する憲法運動だけではなく、現行憲法のもとで違憲の立法(例えば国家安全保障基本法)の成立を阻止する憲法運動を求める憲法運動も必要であるということです。

参考文献:
上脇博之『自民改憲案 VS 日本国憲法 ~ 緊迫!9条と96条の危機』日本機関紙出版センター・2013年