法学研究所設立50周年記念 公開シンポジウム「対話する国家・社会へ」開催のご案内
2月3日(土)、専修大学にて「専修大学法学研究所設立50周年記念公開シンポジウム」が開催されます。「対話する国家・社会へ」をテーマに、第一部は暉峻淑子先生による基調講演。第二部では、「国際法・国際政治における対話」、「裁判員制度における対話」、「医療における対話」をテーマに個別企画が行なわれますのでご案内します。
専修大学法学研究所設立50周年記念 公開シンポジウム
対話する国家・社会へ
日 時:2月3日(土)
会 場:専修大学神田校舎7号館731教室
参加費:無料
司会・進行:白藤博行(本学法学部教授・行政法)
渡邊一弘(本学法学部教授・刑事法)
次第
13:00~ 開会の挨拶・企画趣旨説明
前川亨(本学法学部教授・法学研究所所長)
13:10~ 第一部:基調講演
対話する力とは何か 暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)
14:10~ 第二部:個別企画
①国際法・国際政治における対話
報告者:妹尾哲志(本学法学部准教授・国際政治)
対話者:森川幸一(本学法学部教授・国際法)
15:10~ 休憩
15:20~ ②裁判員制度における対話
報告者:飯考行(本学法学部教授・法社会学)
対話者:稲垣悠一(本学法科大学院准教授・刑法)
16:20~ ③医療における対話
報告者:家永登(本学法学部教授・民法)
対話者:二本柳高信(本学法学部准教授・憲法)
17:20~ 休憩
17:30~ フロアとの対話
18:00~ 閉会の挨拶 前川 亨
基調講演要旨
対話する力とは何か
暉峻 淑子(埼玉大学名誉教授)
「対話」は熟議デモクラシーの基礎である。「対話」を通して、民主主義の成熟度を見直してみると、様々な問題が浮かび上がってくる。
人々が相互に意思を伝え合うコミュニケーションの仕方には、会話・対話・ディスカッション・ディベートなどいろいろな方法があるが、その中で対話が民主主義社会に「市民の言葉」として歓迎されるのは次のような特徴を持つからではないか。①対話は上下関係ではない対等な人間関係のもとでの相互性のある話し方である。したがって一方的な命令や通達ではなく、相互に話し手となり聞き手となる関係を持つ。②意図的な結論を押し付けて勝ち負けを決めたり、ガラガラポンと2で割って妥協するのではなく、対話の中から新しいアイデイアや創造的な思考を生み出す。③ディベートやディスカッションでは排除されがちな主観や感情、経験を含めた全人格を伴い、生身の身体が応答しあう自由な対話は、敵対ではなく共有意識を目覚めさせる。対話は抽象的な一般論ではなく具体的な言葉である。
また文学者や哲学者によれば、もともと言語の本流は対話する言葉にあったという。近代化の歴史の中で、官の言葉、演説の言葉、司法の言葉、壇上からの教師の言葉が本流となり、相互性を持つ対話は傍流に押しやられ、市民の言葉から対話が失われていった。
対話は人類の持つ特権と言える。対話を重ねることによって民主主義のルールが生み出されるだけでなく、子供が人権を持つ個人に発達成長し、社会人となる重要な培養土の役割をも果たしているからだ。
日本の社会には、確かに民主主義の制度は存在する。けれども、国のトップクラスのところで熟議なき強引な立法や、情報の秘匿と破棄、中立と公正を失った忖度行政が行われ、地方自治は国家に従属させられている。国際的に著名ないくつもの一流企業において不法行為が白昼堂々と行われ社内の民主的討議がない。学校では個人の尊厳を無視した体罰や非常識な校則が強制されている。国民の間で合意・納得されたはずのルールが、社会をコントロールできていないのである。他方、主権者である市民の意識も、一方的決定に従う価値観に慣らされ、民主主義の根腐れ現象を起こしている。このような社会で対等な関係を持つ真の対話を実現していくのは容易ではない。しかし、対話が困難な時ほど、じつは対話がもっとも必要とされているのである。国際関係では、キューバ危機を回避するため、ケネディ:フルシチョフの間で交わされた対話。コロンビア・サントス大統領と革命軍の和解。ドイツのゴアレーベンでの核廃棄物処理をめぐる1000回をこえた対話。それらは暴力的・権力的解決に対する明確な拒否だった。日本社会でも対話を重ねて問題を解決した地域住民や、労働組合の行動がある。対話には「対話によって解決する」という強い意志の力を必要とする。また共通するのは大統領といえども「一人の人間に還って」判断をしている点だった。根っこからの民主主義実現のため何をなすべきか、シンポジュウムの中から見出したい。
個別企画・報告要旨
①国際政治における対話の困難と可能性―冷戦期の西ドイツ外交を事例に
報告者:妹尾 哲志(本学法学部准教授/国際政治)
主権国家からなる国際社会においては、各国が自らの国益を追求する権力政治(パワー・ポリティクス)が展開される。国内政治と比較した際に、世界政府のない「無政府状態(アナーキー)」とも特徴づけられる国際政治においては、国家間の権力関係がより露骨に表面化することが多いため対話の困難さが指摘される。対立する二つの国家が外交交渉を通じて紛争を非軍事的な手段で解決することを模索する場合も、交渉の結果は得てして妥協の産物であり、したがって双方とも「最大限要求」から後退した内容になることがほとんどで、たとえば各国内の強硬派から「弱腰外交」と非難されてしまう。また国際政治の歴史を振り返れば、たとえば第二次世界大戦前の欧州において、英首相ネヴィル・チェンバレンらがヒトラー率いるドイツに譲歩を重ねたいわゆる「宥和政策」は、独裁者をさらに増長させた教訓として現在も語り継がれている。こうした国家間の対話の困難と可能性について、本報告では冷戦期のドイツ連邦共和国(西ドイツ)の外交政策を一例に検討する。
第二次世界大戦後に分断国家として成立した西ドイツは、初代首相コンラート・アデナウアーの下で「西側統合」政策を進めた。東西間のイデオロギー対立が激しくなる国際環境の中で、アデナウアーはまず国際社会における主権と平等な地位の回復を目指し、アメリカやフランスをはじめとした西側諸国との対話に取り組んだ。その一環であったのが1950年代前半に石炭・鉄鋼分野からスタートした欧州統合であり、そしてその核となる独仏和解であった。しかしアデナウアーの「西側統合」政策においては、東西冷戦の下で真っ向から対立する東側諸国との対話は進まなかった。一方1969年に首相に就任したヴィリー・ブラントは、ソ連や東欧諸国との対話に積極的に乗り出し東西間の緊張緩和(デタント)に貢献した。当初このブラントの「東方政策」は、アデナウアー以降の「西側統合」に反するのではないかと警戒されたが、ブラントは並行した西側諸国との意見調整を通じてそうした不信感の緩和に努めた。ただこの「東方政策」も、共産主義諸国に不必要に譲歩する「宥和政策」であるとして国内で激しい反発を受ける。また東側諸国の政府との対話の重視は、翻って東側諸国内の反体制派の活動の軽視を招いたといった批判も展開された。こうした問題点を抱えつつも、ブラント外交が「鉄のカーテン」によって分断されていた欧州における東西間の対話を試みた点などに注意を促しながら、国家間関係における対話の困難と可能性についての問題提起をさせていただきたい。
②裁判員制度における対話
報告者:飯 考行(本学法学部教授/法社会学)
裁判員制度は、周知の通り、2009年から実施されている司法への市民参加制度である。罪の重い刑事事件を対象に、くじで選ばれた20歳以上の国民が、裁判員として参加し、裁判官とともに、事実の認定、法令の適用と刑の量定(被告人の有罪、無罪と、有罪の場合の量刑)を、同じ権限で判断する。2017年末までに、1万人以上の被告人が裁判員裁判で審理され、8万人近くの国民が裁判員か補充裁判員(裁判員の交代要員)を経験している。
法文上の裁判員制度の趣旨は、「国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」ことにある(裁判員の参加する刑事裁判に関する法律1条)。さらに、最高裁判所は、裁判員制度の合憲性が問われた裁判の判決理由で、「裁判員制度は、司法の国民的基盤の強化を目的とするものであるが、それは、国民の視点や感覚と法曹の専門性とが常に交流することによって、相互の理解を深め、それぞれの長所が生かされるような刑事裁判の実現を目指すものということができる」と、より踏み込んだ趣旨を述べる(最大判2011年11月16日)。
上記の最高裁判決は、裁判員制度における国民の視点や感覚と法曹の専門性の対話を重視している。また、裁判員裁判を担当するある裁判官は、裁判員制度の導入をきっかけとして、裁判官が、本来法律が予定していた、法廷での審理を中心に、その事件に関わった人々の話を聞いて判断するという、いわばあるべき姿に戻る機会を与えられたことに、裁判員制度の意義を見出す。以上の言述は、裁判員制度の導入により、従来、職業裁判官のみが、専門性を持ちつつ、公判期日における供述に代えて取調べ調書などの書面を証拠として重視してきた傾向から、国民すなわち裁判員の参加により、その視点や感覚が反映され、法廷における関係者の声に耳を傾けるあり方へ移行することで、刑事裁判が改善される可能性を示唆するものである。
裁判員制度は、刑事裁判のみならず、裁判の前後を含めた法と司法への関心の向上と変化の可能性を秘めている。国民は、20歳以上になれば裁判員に選ばれうることから、司法や裁判への関心を否応なく高め、中学、高校でも裁判員制度の教育が必須化されている。しかし、国民の多くは、裁判傍聴のみならず、裁判員経験者や法曹と対話した経験がない。それは、世論調査で、心理的・物理的負担を理由に裁判員就任をためらう声の多さに表れている。他方、裁判員を経験すると、刑事裁判に参加した経験を肯定的に評価する者がほとんどで、なかには被告人の刑務所での処遇や更生に関心を抱く者もいる。裁判員制度における対話は、鍵括弧付きの「対話」にとどまるところ、本当の意味の対話に変わることで、法と司法への国民の関心、理解の深まりや、司法ひいては社会の改善につながるのではなかろうか。
もとより、裁判員裁判における対話には限界がある。刑事裁判は、罪を犯したと疑われる被疑者を、検察官の起訴を受けて、裁判所が、証拠に照らして有罪かどうかを判断し、有罪の場合の刑罰を決める場であり、法廷での対話を本来の目的にするものではない。また、裁判官と裁判員の間には法知識や裁判経験に事実上の格差があり、裁判員裁判でもこれまでの量刑の傾向を出発点とすることが求められている(最判2014年7月24日)。さらに、裁判員裁判の判決に対する上訴は、高等裁判所、最高裁判所で審理され、破棄差戻しにより裁判員裁判に再度付される場合を除いて、職業裁判官のみの判断で変更されうる。
本報告では、以上の裁判員制度における対話とその持ちうる意義を、「裁判員ラウンジ」と称する裁判員経験者や弁護士を交えた公開企画など、裁判員制度をより身近にするための取組みの紹介を交えて、検討したい。
③医療における対話と自己決定
家永 登(本学法学部教授/民法・医事法)
医事法学という学問の他の法学に対する独自性はどこにあるのか。医事法学は、その創始者である唄孝一教授が体験されたご母堂の不慮の死を契機として出発した(唄孝一『死ひとつ』1988年)。1960年5月、たまたま唄教授の帰省中にご母堂が急な腹痛を訴え、往診の遅れに、診断・入院・手術の遅れが重なり、発症から3日目にご母堂は不帰の客となられた。その転帰を不審に思った唄教授は、大学病院に病理解剖を依頼した。しかし何か月が経過しても要領を得ないため質問を繰り返したところ、病理学の教授から「あんたほどシツコイ患者はいない、いちいちあんたの質問に答える義務はない」との返答が返ってきた。
身内を失った遺族にはその死因を医師に質問する権利はないのか、医師には遺族の質問に答える義務はないのか。悩んだ唄教授は医療過誤訴訟による事実の解明も考えたが、最終的には、身内の死因を質問した患者の遺族があのような心ない言葉を医師から浴びせられることが二度となくなることを願って、医事法学という学問の構築に向かうことになる。唄教授にとって「医事法学」とは、臨床現場における患者と医療者との平等化を目標とした医療界に対する永久革命であり、そこに至る手段は医家と法家との絶えざる対話である、と総括することができる。家族法学から医事法学へと転進した教授の最初の論文は「治療行為における患者の承諾と医師の説明」(1965年)であった。同論文の発表から約5年後、患者への説明も承諾もなしに、乳がんの予防目的と称して乳房を無断切除した医師の民事責任を認めるリーディング・ケースが現われ(東京地判1971年5月19日)、今日では医師の説明義務は最高裁判例でも認められている(最判1981年6月19日。最判2001年11月27日は、診療当時は未確立だった乳がん患者に対する乳房温存療法についても医師には説明義務があるとした)。
ところで、その後の医事法学においては、患者の自己決定権(インフォームド・コンセント)の保障こそが医事法学の目標であるとする見解が有力になった。しかし、私はそのような自律的な患者、「強い個人」を前提とした医事法学には疑問をもつ。そもそも医療とは、病に苦しむ患者が苦しみからの解放を医療者に求めることによって始まる。自律的な患者の自己決定は尊重されるべきであるが、そのような患者は例外的であり、多くの患者は医療者からもっと多くのことを説明してもらいたいとは思っているが、最終的な決定は医療者におまかせするか、せいぜい医療者と共同で決定したいと思っているのではないか。「自己決定権は重要であるが、万能ではない。・・・むしろ相対的自律の中で可能なかぎり自己決定を尊重するという姿勢が基本的に妥当である」(甲斐克則教授)と私も考える。とくに周産期および終末期の医療に関しては、自律的な患者を想定することは不可能である。何年も前の健康時に表明された終末期医療に対する患者の意思の有効性には疑問が多いし、患者の「推定的同意」も擬制にすぎる。人は一人で生まれ、一人で死んでいくことはできないのだから、周産期や終末期における医療は、患者の家族と医療チームによる共同決定とならざるを得ないだろう。
いずれにせよ、数十年前までは家庭内の秘事として行われてきたこと(間引き、安楽死など)が近年の医療施設内での出産、死亡の一般化によって、他人の目にさらされることになり、かつては「運命」で済まされていたことについて、私たちは公の判断を迫られることになった。「生命倫理」には「運命」に代替する機能が期待されているが(嶋津格教授)、医療における「運命代替としての生命倫理」は未確立であり、将来的にも万人が一致して承認する倫理が確立するとは思えない。私たちは、個別の医療場面において患者およびその家族と医療チームとの間で、説明と質問を繰り返すなかから最善と思われる対応を決定してゆくという「応答的正義」ないし「対話的合理性」を求めるしかない。その実現に向けて、患者や家族と医療者との間に「対話」を成り立たたせる努力が求められている。