2005年07月09日(土)
小泉首相の靖国参拝を考える
自民党の憲法改正要綱案も出たことなので、少し靖国問題を考えてみたい。
①中国や韓国などは何を問題にしているのか
歴代首相で、靖国神社に参拝をした者は多いが、小泉首相はこの中でも「異彩」を放つ。歴代首相による靖国参拝問題は、日本の戦争責任や植民地・異民族支配への「今日的」対応と密接な関係を持っている。
中国や韓国などが、猛烈に抗議をするのは、現在の日本が「平和憲法」の下で、イラクへの自衛隊派兵を行い、憲法を「改正」して自衛隊を「合憲化」し、軍事大国=戦争をする国へと「邁進」しているように見えるからである。
「新しい歴史教科書」は「従軍慰安婦」を歴史から抹殺し、日本のアジア諸国への侵略行為を合理化するものであり、東京裁判を「勝者の裁判」と規定をする。こういった流れの中で、アジア諸国のみならず、欧米諸国の中でも、日本が国連の中において「常任理事国」の地位を占めることに疑問をもつ強い世論が存在するのは、当然のことであろう。
中国が、最近、蘆溝橋の側にある「抗日戦争記念館」を改築し新たな「決意」で、7月7日にのぞんだことも、国際情勢の推移からみて、重視すべきことであろう。
この抗日戦争記念館は、館内に大きな模型の「野戦地」(部屋全体が一つの劇場になっている)があり、日本軍と中国軍の模擬戦争が視角に訴える形で展開されている。小中学生が授業の一環として、この記念館を訪れ、日本の侵略戦争の「実態」を目で見ることになる。
私は、何回かこの記念館を訪問しているが、731部隊による拷問の「模型」(臨場感が凄かった)など特設の会場も公開されていた。
首相の靖国参拝問題での中国の姿勢は、比較的「穏便」であり、要するに、A級戦犯が合祀されていることを「問題」にしている。靖国参拝が「純然たる」国家と宗教の問題、つまり「憲法20条や89条の問題」であるなら、その「解釈」は国内問題であり、小泉首相のいうように「内政干渉」という論法も成り立つかも知れないが(これも、様々な論点があるが)、中国はそういった憲法解釈などについて議論をしているわけではない。
中国が問題にしているのは(韓国も殆ど同じであるが、裁判への当事者にもなれないという不当な扱いを受けた)、日本が極東裁判の結果を受け入れ、サンフランシスコ講和条約に調印をして「独立」国となったという経緯である。
A級戦犯14人が1978年に秘密裏に合祀され、翌年にマスコミがこれを「暴露」したが、靖国神社が戦前からの「戦争観」を堅持し、戦争犯罪者(国内で犯罪者として扱われているかどうかは関係ない)が祀られているとなれば、そこへの参拝は、条約違反であり、植民地支配や侵略戦争への無反省を示すものであるという政治姿勢への抗議が基本なのである。
②小泉首相の欺瞞性
小泉首相は、国内外の猛烈な抗議を無視して、2001年8月13日に靖国参拝を強行した。この人のオメデタイところは、8月15日を「ずらす」ことで、国内外の批判を「かわせる」と読んだことであろう。こういう下らない思想の持ち主を首相に持つ日本国民も悲劇である。
ところで、小泉首相は靖国参拝を「信念」であると述べているが、本当なのだろうか。この点について「解明」した書籍や論文を見たことがないが、野中広務元自民党幹事長の講演記録にこの問題が触れられていた。地球博の開会式で、野中氏は羽田孜元総理から「おい、小泉はあれだけ靖国にこだわるけども、おれが靖国神社に参拝する会の会長をやっていた時は、一ぺんも参拝したことがないぞ」と言われたという話しである。
野中氏自身も「小泉さんが参っているのをみたことも聞いたこともありません」と述べている。
小泉という男は、一体何を考えているのだろうか。首相になって「はじめて」参拝したとなれば、その「信念」のありようをどう見ればよいのだろうか。野中氏は、この点についても明快である。曰く「小泉さんが靖国に参るようになったのは、自民党の総裁選に勝つためです。対抗馬であった橋本龍太郎さんは日本遺族会の会長、靖国神社に参拝する議員の会の会長をやり、軍人恩給の関係の人たちの面倒をずっとみてきたから、遺族会の方や軍人恩給受給者の方は、橋本さんを支持していた。小泉さんの靖国参拝は、自民党の総裁選で橋本さんからこの票を奪う手段ですよ」と。
私は、靖国神社も遺族会も嫌いだが、小泉首相のやり方には虫酸が走る。中曽根元首相ですら、小泉首相に対し、国際関係への配慮を要望しているほどであり、「壊れた大国主義=新自由主義者」にはつける薬がないようである。
③自民党の憲法改正要綱案と政教分離原則
靖国神社参拝を「合憲化」するためには、2つの手段があるといわれている。一つは、政教分離原則をもつ憲法そのものを「改正」することであり、2つは、靖国神社を非宗教化(当面は、宗教法人ではない組織にする)ことである。両方とも、かなり欺瞞性をもつものであり、それ自体大きな問題であるがそれはここでは留保しておく。
自民党の憲法改正要綱案(7月7日公表)では、現行憲法20条〔信教の自由、国の宗教活動の禁止〕が「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。(3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と明確に規定しているものを、勝手な解釈を施し、「一定の宗教的活動に国や地方自治体が参加することは、社会的儀礼や習俗的・文化的行事の範囲であれば、許容されるものとする」としている。
実に「トンデモない」議論である。ここで、確認をしておくべきことは、例え憲法を自民党の要綱案のように「改悪」しても、靖国神社参拝が「合憲」であるとは到底いえないということである。既に違憲の判決が下っている「玉串料」(「地鎮祭」については、津地鎮祭訴訟では最高裁で住民側が敗訴しているが)などを「合憲化」しようとするものであろうが、89条「改悪」による宗教法人への公金の支出と共に、絶対に認められないことである。
海外からの小泉首相の靖国参拝への批判は、先に述べたように「穏便」なものであるが、日本人としては、そういう「穏便」さを持つ必要はない。明確な憲法違反であり、靖国神社が宗教法人でなくなろうと参拝は認められないのである。その「宗教性」は、様々な局面で顕在化するであろうし、侵略戦争美化の本質も変わらないのである。別にA級戦犯を分祀したりする「小細工」を施す必要はない。参拝そのものをやめればよいだけのことである。
④靖国神社と日本国政府の関係
靖国神社は、敗戦までは陸海軍の管理下にあったが、「招魂社」から「靖国神社」に名称が変更になったのは、明治天皇の「思召」による。天皇に忠誠を誓って「戦死」した軍人・軍属等のみ祀られている。よく知られているように西郷隆盛や会津藩の戦死者は祀られていない。
靖国神社が、A級戦犯の「分祀」に反対するのは、この天皇と神社との特殊な関係に拘泥するからである。敗戦によって、天皇は単なる「象徴」となった。この「変化」を全くわきまえないのが靖国神社なのである。
これに加え、合祀の根拠(名簿など)を日本政府(厚生省=当時)が靖国神社に提供してきた事実が国会で追及されたことがあるが、これなども、日本国政府の立場として全く異常かつ憲法違反の出来事であるといえよう。
合祀そのものは靖国神社の松平宮司(元海軍将校)が1978年に勝手に行ったことになっているが(発覚したのは、その翌年、マスコミが暴露した)、それ以降は、天皇は靖国を参拝していないのである。当然のことであるが、参拝が日本の「戦後処理」を全部「チャラ」にする出来事として国際的に認知されることが必至だからである。
小泉首相が靖国神社参拝が違憲でないというなら(既に、2001年の参拝が違憲であると福岡地裁では判断されている)、天皇の参拝も合憲であり、国際条約違反ではないと考えるのであろうか。
⑤靖国と戦死者・戦争犠牲者
戦死者を追悼したり、平和を祈念する「施設」がないことが靖国参拝を「合理化」している側面があるが、千鳥ヶ淵墓苑はこれに代わりうる施設としての位置づけができるのか、これまた難しい問題であろう。ドイツのノイエ・ヴァッヘ(国立中央戦争犠牲者追悼所)なども、その性格を何回も変遷させ、今日では「自らの国が行った戦争を誤った戦争として否定し、その死者を「犠牲者」として追悼する施設として評価をされている。
日本に、これに相当するような施設があれば、それは肯定されても良いと思うが(私自身は、このような施設は必要ないし、個人が個人の資格で自由に犠牲者を追悼すればよいという考えである)、千鳥ヶ淵墓苑もそういう性格はない。
現在の日本に必要なことは、憲法を遵守し、二度と誤った戦争への道を歩まないことを鮮明にし、過去の侵略戦争については、戦後処理の国際条約を尊重することであろう(なお、千島列島問題などはこれと関連するが省略)。そして、「日本人」として戦死・病死・迫害された、「朝鮮人」「中国人」などに対し、追悼される・されない権利を保障することであろう。
日本の革新勢力と言われてきたものは、靖国問題を含む、戦争犠牲者への政府の追悼の在り方について、正面から「革新的」な議論を展開してこなかったうらみがある。他国から言われようが言われまいが、戦争そのものは侵略戦争であり、日本人の犠牲者は他民族からみれば、加害者でもあったことがその「背景」にあるのだろう。そういった弱点を克服してこそ、小泉首相の靖国参拝問題にかわる「犠牲者追悼」の在り方を提起できるのだと思う。

