2005年07月28日(木)

自民党「新憲法起草委員会・要綱 第一次素案」と地方自治

●7月7日に自民党の新憲法起草委員会が改憲「要綱・第一素案」(以下、素案)を発表しました。その内容については、既に、「9条の会学習会」における渡辺治教授(一橋大)の批判があります。内容については、自治労連の以下のサイトを参照してください。

 渡辺教授は、今回の「素案」の性格について、昨年11月の「大綱」と比較をすると自民党内の右派と左派に対応しており、秋に出される草案はその中間あたりになるだろうと述べています。この含意は、「改憲案のポイントを絞り込み、非難・支障の可能性のある部分は除き、飲みやすくし、際どいところは先送りにしている」ということです。
 
 そして、その特徴は

①9条改悪に絞り、「自衛軍を保持する」「国際の平和と安定」を明記するものの、集団的自衛権や非常事態問題が消え、国連決議との関係等は「曖昧」にしている。
②国民の権利・義務関係については先送り
③天皇元首化は見送り、国民の責務も見送り
④改正手続きの緩和

 というような状況です。今後、民主党や公明党との「すり合わせ」を行うことを前提にして、「現実的」な改憲案にしている点がもっとも重要でしょう。
 渡辺教授の指摘で重要なことは、今回の改憲には9条だけではなく、「国のあり方」や社会統合の再編・構造改革の促進などの狙いが大きくなってきている点です。しかし、今回の「素案」では、こういう点はひとまず先送りし、社会統合等の問題は教育基本法の改正の方に委ねると言う「分業」関係になっていると指摘されています。

 さて、こういった「全体像」を踏まえ、今回の「素案」で全体の20%以上の「分量」を配分した、「地方自治」の問題について、若干考察をしておきたいと思います。 今回の「素案」では、「前文」の「国の原理」において「我々は、自由、民主主義、人権、平和を基本理念とする国を愛し、その独立を堅持する。」と「愛国心」を強調するなど、立憲主義に反する「国民の思想信条」に踏み込んでいます。そして「国の目標」として「経済国家にとどまらず、教育国家、文化国家をめざす、中央集権を改めて地方自治を尊重する。」とあり、国家目標を下支えする「地方自治」を強調している点が注目されます。その上で、「地球上いずこにおいても、圧政や人権侵害を排除するための不断の努力を怠らない。」とブッシュばりの「グローバル」介入国家がめざされるという、国・地方の「分担関係」が述べられています。

Ⅰ)次に、具体的な「地方自治」の条項を検討しておきたいと思います。

1)地方自治の理念の変質=「地方自治の本旨」はどのように歪められたか

「1.地方自治の理念、国と地方の役割分担と相互協力」において、地方自治体(地方公共団体=Local Entityから「自治体」というネーミングへ)の理念について「地域における行政を住民相互の協働に基づき自主的かつ総合的に実施する役割」とういう形で、住民自治の内容を「住民相互の協働」に求めます。その上で、住民については、「地方自治体の役務をひとしく受ける権利を有」すると同時に、「その負担を公正に分任する義務を負う」とされます。つまり、地方自治とは負担の分任義務が伴うという点に「素案」の重要な問題があるわけです。
 そして、見逃してはならない点として、国と自治体の役割分担は「役割分担を踏まえ相互に協力」することなりますが、これまでの学説上の通説である国と地方の「併立・対等」ではなく「相互に協力」することが役割分担であるとなります。
 
 以上を総合的に検討すると、自治の本質である「住民自治」の内容が「住民協働」に置き換わり、憲法の負担原則である「応能負担」が、地方自治体にあっては「負担分任」という応益負担に変質していることが理解できます。確かに、現在の地方自治法にも「分任」の規定はありますが、憲法における「明文規定」と、憲法の応能負担原則を踏まえた「法律」における規定(実際には、地方税法等による具体化)では、大きく意味が異なります。つまり、地方自治とは、国と「協力」をして、能力に応じた負担ではなく、応益負担による自分たちの負担によって、住民相互の協働を基本として、自治体の運営に参画して行く、ということになります。
 
 国民の負担については、国であろうと地方であろうと、能力に応じた負担が原則です。よく、「地方税の応益課税」という言い方がありますが、これは、課税を行う「根拠」としての「受益」であり、負担の配分原則はあくまでも「応能負担」が憲法上の原則なのです。従って、「素案」の地方自治体における負担原則は、これまでの憲法上の負担原則を180度転換するものです。「応益課税」については、ややこしい議論がありますが、室井力編『現在自治体再編論』における拙稿を参照してください。

 「素案」は「地方自治の本旨」について「住民自治と団体自治を基本とする地方自治の本旨に基づいて定める。」として現行憲法より具体化しているように見えますが、以上簡単に検討したように、実際には「住民自治」や「団体自治」の内容を歪めていることがわかります。

2)自治体の権能は「事務処理」?

 「3.地方自治体の事務処理権能、条例制定権」では、条例制定権の規定は、現行憲法とほぼ同様ですが、94条の「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」という規定と比較すると、「事務処理権能」に純化している点が重大です。
 この憲法94条については、一般に「地方公共団体に広汎な行財政権と自主立法権を保障したものとして説明されている」【室井力「憲法・地方自治法と自治体・住民」(ジュリスト総合特集「現代都市と自治」1975年)】と言われています。
 そして、室井氏が公害行政を例にとって主張したように、条例制定権について、国の法令による先占論が破綻している(室井「公害対策における法律と条令」『ジュリスト』492号、1971年)現在、「素案」の条例制定権の規定は当たり前のことを言っているようで、実際には、行政権と財政権の統一というような憲法の合理的解釈とは異なって、国策上の「統制」が予定されていると見て間違いないでしょう。

 「素案」をこのように見るべきであるという根拠として、先にみた「国と地方自治体との関係」において、「併立・対等」ではなく「協力」のみが規定されていることがあげられます。
 憲法93条に規定されるように、地方自治の保障があるということは、国民(住民)がその人権保障のための「二重の統治体系」をもっていることが重要ですが(住民協働だけではなく、統治体系である点が重要)、「素案」では「事務処理権能」と書かれているだけで、統治体としての位置づけが不明にされています。「その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し」とある94条と比較すれば、この点は明確でしょう。

3)自治体の種類は基礎自治体と広域自治体?

 現行の憲法では、地方公共団体の種類について明示されておりません。地方自治法において、市町村と都道府県が規定されており、法律に委ねられているように見えます。しかし、憲法解釈として、最高裁判決(1963年3月27日)は、憲法上の地方公共団体と言いうるためには、「単に法律で地方公共団体として取り扱われているということだけでは足らず、事実上住民が経済的文化的に密接な共同生活を営み、共同体的意識をもっているという社会的基盤が存在し、沿革的にみても、また現実の行政の上においても、相当程度の自主立法権、自主行政権、自主財政権等地方自治の基本的権能を付与された地域団体であることを必要とするものというべきである」としています。
 学説では、憲法上の地方公共団体が二層制を保障しているとし、都道府県と市町村がそれにあたるというのが通説(少なくとも「有力説」。都道府県を自治法の『改正』によって、廃止できるかどうかは、この問題に深く関わってくるものです)になっています。
 
 「素案」はこれを覆し、基礎自治体(これは第27次地方制度調査会の最終答申で使用された用語で、市町村合併によって「規模能力が拡大した自治体」のことをさします)と広域自治体(それも補完機能だけ?)を憲法上規定しようというわけです。

 一見すると基礎的な自治体である(地方自治法の規定)市町村が事務処理において優先するという「補完性原理」による地方分権の当然の方向のように見えますが、実際には現行の都道府県を「廃止」することが前提になった憲法規定になります。当然のことですが、この広域自治体はいわゆる「道州制」を指すことになります。

 この自治体としての道州制の規定は、国と地方の「中間団体」あるいは「国の出先」としての道州制よりも「まし」のように見えますが、実際の中身は法律に委ねるわけで、国の出先とどの程度の「違い」があるのかは不明です。
 このように、「素案」では現行憲法が明示していない地方公共団体の種類を明示することによって、自治を強化するように「見えます」が、実際には、憲法の通説的解釈を改憲によって否定するものです。

4)住民投票の廃止

 さて、最後になりますが、「素案」は憲法95条の「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」という規定を廃止することを提起しています。
 確かに、この規定は「使い勝手」がわるく、また特区法のように一つの地方公共団体のみに適用される法律でも、脱法・脱憲法的に回避する傾向が強かったことは事実でしょう。しかし、「憲法第95条が、同第41条(国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である、という規定)等を前提としたうえで、『住民』に立法者の地位を与えかつ『一の地方公共団体のみに適用される特別法』につき国会の立法権の制限を明示することによって、『人民主権』下における『充実した地方自治』のあり方についての大きな手掛かりを示していることは注目に値する」(杉原泰雄「地方自治権論・再考」『法律時報』76巻12号)と評価されている規定を廃止することが何を意味するかは自明でしょう。

 ここでも、国と自治体の「併立・対等」の関係を換骨奪胎する方向が志向されているわけで、「住民自治(参加)」や「団体自治」の双方に関わってくる問題です。

Ⅱ)総合評価

 以上、簡単に検討してきたように、「素案」における「地方自治」の規定は、主権者としての「国民」(人民)による「充実した地方自治」を志向するものではなく、地方分権や地方自治を言いながら、その内容を変質させるものであることが理解できると思います。

 そこで、問題は「なぜ、地方自治」がこのように大きく取り上げられるのか、ということでしょう。メルマガの018号では「これは、恐らく、受益者負担主義と一体のもとで、社会保障や福祉の切り捨てなど、国が責任を放棄するもとで、地方分権によって、その『後始末』をどうするのか、自分で考えろ、ということでしょう。つまり、必要ならば『自分の金と責任で』ということに『地方分権』を最大限に活用する方向が志向されていると見て間違いないでしょう。」と述べておきました。

 「素案」の「国家目標」の部分は次のようになっていました。
・内にあっては、自由で活力に満ちた経済社会を築くとともに、福祉の増進に努める。経済国家にとどまらず、教育国家、文化国家をめざす、中央集権を改めて地方自治を尊重する。
・外に向けては、国際協調を旨とし、積極的に世界の平和と、諸国民の幸福に貢献する。地球上いずこにおいても、圧政や人権侵害を排除するための不断の努力を怠らない。地球環境の保全と世界文化の創造に寄与する。

 つまり、国民の自立自助を求め、社会保障や福祉を切り捨てる「構造改革」に対応できる「地方自治・自治体」が要求され、住民自治の本質が形骸化され、住民相互の協働という社会統合的なものに変えられ、国と自治体の「併立・対等」関係から「協力」へと一元化される中で、住民の声や要求は自治体内部に「閉じこめられる」状態が志向されるわけです。これに加え、広域自治体(道州制)の憲法上の明示などは、地方自治体が社会保障・福祉の切り捨てに反対する国民(住民)の運動や民主主義が一層閉塞されることに結びつくでしょう。

 戦後憲法における地方自治の理念は、地方自治に対する住民・国民の地位が「義務」から「権利」に転換したところに、その特徴・本質を見ることができるのですが、「素案」は総じて、この「権利性」を「住民相互の協働」や「負担の義務」といった、戦前の「義務」概念に地方自治を語りながら接近するという一面をもっているわけです。

 以上のような総括を行うならば、自治体労働者にとって、改憲策動反対の運動は、国民の具体の権利を擁護し、構造改革に反対して運動をする方向と結合することが重要になると思われます。
 
 今回の「素案」をはじめとした改憲論における地方自治問題については、インフォ等において地方自治法の専門家の寄稿を予定しています。様々な角度からの議論が望まれるところです。