2005年10月18日(火)
小泉首相の靖国参拝ー再論
●小泉首相がまたやってくれた。共同通信によれば「小泉純一郎首相は17日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。2001年の首相就任以来、毎年1回の参拝を続けており、今回が5回目。靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されていることを理由に再三、参拝中止を要求していた中韓両国の厳しい反発を招くのは必至。衆院選圧勝と郵政民営化法の成立を受け、与党内では首相の年内参拝は確実とみられていたが、高裁レベルで首相の参拝を憲法違反とする判断も出ており、国内でも波紋を広げそうだ。」とのことである。
与党内でも公明党は「事前に説明がなかった」ことを(笑い)批判したそうである。事前に聞いたら、身体を張ってでも中止させたというわけだろうか?財界にも困惑が走った。
経済同友会は会長声明において「本日、小泉首相が靖国神社を参拝したことについては、平和を祈念する個人的信条に基づくものと理解している。ただし、参拝が近隣諸国からの反感を招いており、わが国の国益を損なう恐れがあることを十分認識し、近隣諸国に対しては丁寧な説明を行い、理解を得るための外交努力・配慮が行われることを望みたい。」と述べていた(17日付け)。
個人的信条と擁護しつつ、「国益を損なう恐れ」を指摘しているわけである。序でだから、言っておくと、小泉首相に政治的な「信念」や「信条」などがあるとは到底思えない。あるのは、せいぜい「執念」「妄執」だけだろう。
読売新聞なども、困惑を隠せない。「首相は、本殿には昇らずに拝殿前の参拝にとどめ、記帳もしなかった。国内外に配慮したと見られる。」「グレーのスーツ姿の小泉首相は午前10時過ぎ、公用車で靖国神社に到着した。同12分ごろ、拝殿の前で一礼した後、さい銭箱にお金を入れ、30秒間ほど手を合わせた後、再び一礼した。献花料や玉ぐし料は出さなかった。過去4回の参拝は、モーニングか羽織はかま姿で、本殿に昇って祭壇に一礼していた。「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳し、私費で献花料も納めていた。」と自らを慰めるように首相を庇う報道は、何か痛々しい(笑い。
国内外への「配慮」がないからこそ、参拝をしたのではないか。「配慮」のある参拝などは存在しないことを明確にしておきたい。
●さて、私の「立場」であるが、「財界やマスコミも参拝を批判せざるを得なかった」というような、甘い認識はない。こんな腰の引けた、ご都合主義的な批判など「批判」のうちに入らないだろう。何の歯止めにもならないことは、戦前の歴史を見ても自明だろう。
中国、韓国を初めとしたアジア諸国において、日本の資本進出に障害をきたしたり、最悪の場合、不買運動などが起きては「たまらない」という身勝手な立場からの「国益」論である。実にくだらない。最低でも、首相に対し「経済制裁」くらいは発動して欲しいものである(笑い。
●さて、首相ご本人であるが、「本来、心の問題に他人が干渉すべきじゃない。ましてや外国政府が、日本人が日本人の戦没者に、あるいは世界の戦没者に哀悼の誠をささげるのを、いけないとか言う問題じゃない」また、首相は最近、「中国は、日本人の心の問題にまで踏み込んだことを後悔するだろう」と周囲に語っている(産経新聞10月18日) そうである。
この発言は、どこから見ても容認できない。
第一に、中国や韓国は、「心の問題」に干渉をしているわけではない。
第二に、靖国参拝の「問題」は、何も中国・韓国の「批判」があるから、という問題でもない。日本人自身の問題でもある。この当然の話が、マスコミからも欠落しているのは、自殺行為にしか見えない。
●そこで、今回は中国や韓国の批判について考えみたい。
中国の批判は最初の新聞記事にあるように「A級戦犯合祀」という、かなり限定した問題に絞っている。何故か。それは、日本が占領から「独立」に移行する際に、サンフランシスコ条約11条によって「東京裁判」の「結果」を認めているからである。従って、侵略戦争の罪によりA戦犯とされた人間を参拝することは、条約締結国をはじめ、国際的に認められない行為であるという認識である。単純この上ない論理であろう。別に靖国神社の「存在」を非難したり、全くの「私人」が参拝したりすることについて、何も咎めてはいない。
これに対し、靖国神社や一部の右翼評論家は、概ね次ぎのような批判を行い「参拝」を合理化しようとしている。
①サンフランシスコ条約11条は、占領軍から日本へ「戦犯の刑の執行」を引き継いだだけであり、国際法によれば、諸国の合意や国内の恩赦などがあれば、刑の執行それ自体も「義務」とは言えない。だから、戦犯だった人間が大臣にもなっており、国際的にこれを咎める人間はいないと。
②中国や韓国は、サンフランシスコ条約自体の当事者ではない。条約や東京裁判についてとやかくいう立場にないと。
●まず、②は問題外である。条約は、参加国だけに約束をしたものではない。
中国の現共産党政権が条約批准に参加していないからというのは、参拝を合理化する理由にはならないし、まして、韓国などは、日本の植民地であったことから、「当事者」にすらなれなかったわけである。
①の批判であるが、靖国神社のHPなどを見ると、サンフランシスコ条約11条は「東京裁判」全体を認めたわけではなく、Japan accepts the judgments of the …という文章の「judgments 」は判決を指すので、これを「刑の宣告」だけに限り、上記のように、占領下での刑を国内法に「引き継ぐ」(これを引き継がないと、当然のことであるが、何で死刑等が実行されるのか、法的根拠がなくなる)だけの意味であると。
この論理でいえば、タダの「実務引き継ぎ」であり、日本の「侵略行為」認定などはなんの関係もない「占領軍」の戯言ということになる。
東京裁判の「判決文」は、
*****************************************************
第一章 本裁判所の設立および審理
第二章 法
一 本裁判所の管轄権
二 捕虜に関する戦争犯罪の責任
三 起訴状
第三章 日本の権利と義務
第四章 軍部による日本の支配と準備
第五章 中国に対する侵略
第六章 ソ連に対する侵略
第七章 太平洋戦争
第八章 通例の戦争犯罪
第九章 起訴状の訴因についての認定
第十章 判定
*****************************************************
上記の内容と付属文書ABからなる。judgmentsを最後の「判定」の「刑の宣告」だけに限ることは意味をなさないことは自明であろう。こういった「立派」な議論は、是非、アメリカなどに行って大宣伝をしてきて欲しいものである。
●以上のように、サンフランシスコ条約を締結して、「独立」したという歴史的事実を「チャラ」にするのが、靖国参拝なのである。アメリカ大統領が曖昧な立場で参拝を「容認」していることを、「唯一」の幸いとして認識している小泉首相の「ポチ」ぶりは、実に低次元である。
序でにのべておくと、参拝を合理化するためには、二つないし三つの構想があることは前のブログで述べた。一つは、靖国神社を宗教法人ではなくすことである。これで、政教分離という日本国憲法上の「障害」はなくなる。しかし、日本の憲法上の「拘束」は避けられても、A級戦犯を参拝する「事実」は残る。そこで、A級戦犯を「分祀」する方向が出てくる。これには、靖国神社が猛反発をしている。一般の「戦死者」と区別なく祀ってあり、分けることは出来ないという「論理?」である。「分祀」をしても、祀る「数」が増えるだけで、合祀したあったものがなくなるわけではないという「理屈?」もあるようだ。もう一つは、靖国神社以外に、戦没者追悼施設を造ることである。こちらを非宗教方式で追悼すれば、靖国神社参拝は必要なくなるという論理である。この問題についても、7月9日のブログで若干ふれた。そう簡単ではない。
自民党は、最初の方向を追求することもなく、憲法を「改正」することによって、参拝を合憲にしようとしている。
http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/050801_b.pdf
【自民党新憲法第一事案】ー89条を参照(この部分は、二次案でも変化なし)
「新憲法案」などと言いつつ、こういった姑息な改正を行って、政教分離をなし崩しにし、靖国参拝なども「合憲」化しようとするわけである。
●こう言った面から見ても、中国や韓国の批判「だけ」が問題になるという視点は取りえない。日本国民の立場から、明確に「政教分離」の憲法上の厳格な適用を守り、同時に、「大国」日本が、アジア諸国を再び「殴る」ことのないよう、加害者としてのあの侵略戦争の意味を問い続けなければならないのである。

