2006年02月11日(土)

『無防備地域宣言運動』を考える―これは憲法擁護の運動か?②

【①よりの続き】

●前田氏と共に、この運動の理論的主柱である澤野義一氏は同書の第三章「非戦のための無防備地域宣言」の中で、述べている。
 「現在のジュネーブ条約の第一追加議定書の『無防備地域』は、紛争当事国との合意のもとで認められるものであること、そして、軍事目標が敵対的に使用されない限り、従来の『無防守地域』において例外的に認められていた軍事目標への攻撃も禁止されることから、『無防守地域』とは異なり、保護が強化されています」と。
 つまり、その地域に軍事組織があっても、敵対的に使用されなければそれへの攻撃は許されないというわけである。このこと自体、私は否定しないし、ジュネーブ条約による戦時の人道的な配慮が拡大されているのだと思う。


 まず、無防備地域の4つの条件が解説されている。
①すべての戦闘員ならびに移動兵器および移動用施設が撤去されていること
②固定した軍用の施設または営造物が敵対的に使用されていないこと
③当局または住民により敵対行為が行われていないこと
④軍事行動を支援する活動が行われていないこと
 これは条文の説明なので、全く異議がない(笑い。

 そして「無防備地域宣言」の手続きとして次のように解説をしている。
「赤十字国際委員会発行の解説書では、一般的には国(政府)であるが(注:紛争当事国の適切な当局)、困難な状況のもとでは、地方軍司令官ないし市長・知事のような地方の文民的機関も含まれると説明されています。」と。
 つまり、国だけではなく、状況によっては地方軍や自治体の長が宣言を行う当局として認知されているということである。これも否定できない事実であろう。ただ、実際には国が占領されて、国家の機能が麻痺しているような事態が想定されているものと思う。

●政府の解釈は「宣言は国により行われるべきものと考えておりまして、地方公共団体がこれらの地帯の宣言を行うことはできない」ということである。
 しかし、これが妥当かどうかは、先にふれたように状況によっては地方が宣言することもあり得るという赤十字の解釈があり、澤野氏の批判の方が正しいと私も思う。

 但し、巻末に掲載されている資料(赤十字国際委員会注釈)を見ると、この「宣言」については、「町長、市長、知事といった地方民生当局から出されることさえありうる」としているのであるが、これは国が宣言を敵対国に送れない状況、つまり「困難な状況においては」という解釈である。
 当然であろう。この宣言はどうやって可能になるのかというと「宣言が地方民生当局から出される場合は、宣言の条件に従うことを保障する手段を保有している軍当局と完全な合意がなされていなければならない」としている。
 
 つまり地方民生当局が宣言をすることも可能であるが、その条件として、日本の現状に引きつけていえば、自衛隊あるいは在日米軍との「完全な合意」が求められることになる。
 ここで確認しておかなければならないのは、宣言の前提として自衛隊(という日本軍)や米軍との「合意」というためには、自衛隊や米軍の存在、つまり日本の国土に軍事力が存在している事実を前提にしているということなのである。

 憲法9条がいかに「形骸化」しているとしても(むしろ、一回も実現したことがない)、自衛隊や米軍の存在をわざわざ認める議論を前提にする運動をする必要があるのかどうか、疑問がある。しかも、「敵対当事国」が存在することをも前提にしている。
 赤十字国際委員会の解釈をみると、「敵対当事国は、宣言を受け取ったことを知らせなければならない」となっている。これは地方民生当局についても手続きは同じである。

●平時において、特に敵対当事国が意識されていない場合、かりに宣言を出したとして「誰に通告」し「誰から受け取った旨」の返答を聞くのか。この運動の最大の問題点であろう。

 要するに、平たくいって、この無防備地域宣言は、敵対国があり、武力紛争となっている事態の下での「宣言」であることが前提になっていることは自明であろう。つまり、平時・平和時(紛争がない時に)、一般的に宣言をするようなものとは考えられていないわけである。
 これは平和運動なのか?そうではないだろう。戦時、或いは、武力紛争時の「人道的」なルールと言わざるを得ない。もともとジュネーブ条約とはそういう性格のものであろう。
 まして、憲法を国が守らないからといって、地域から、これにかわる運動を展開するというような位置づけを与えるのは、不当な拡大解釈という誹りを免れないだろう。

 戦時、紛争時のルールを、武力の保持や行使・威嚇を禁じている憲法9条を「実現」する運動に活かすというのは、いかにも主客転倒という印象を免れない。

①ジュネーブ条約の追加議定書は、主権国家の武力紛争の際の決まりごとであり、憲法9条の理念とは異なる。特に、「敵対国」の想定がないと「宣言」を発することもできないという規定は憲法の理念(「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」)とはかなりはずれるだろう。

②手続き的にも、自衛隊やアメリカ軍などの軍隊と予め合意を得る必要があり、地域における無防備を宣言しつつ、国家における軍事力を前提とした議論となってしまう矛盾がある。元々、日本のように軍事力を持たない、敵国を持たないという国是をもつ国には似つかわしくない性格を持っている。日本国憲法が形骸化していると言っても、地域でこのような宣言を実現していくことはどういう意味があるのだろうか。特に、自衛隊や米軍の基地をかかえる自治体において、現実的な運動の展開にはイメージが湧かない。

③これまで、日本の平和運動は、核兵器禁止を中心とする原水爆禁止運動や、米軍基地撤去・安保条約廃棄の運動、非核の政府を求める運動、自治体から平和を求める運動としては、非核自治体運動、平和都市宣言運動、基地撤去や地域協定の改善を求める運動など、様々な運動が展開されてきた。また、現時点では自衛隊のイラクからの撤兵も焦眉の課題になっている。
 こういう運動やアジアからの日本への批判(過去の侵略戦争の反省がない)、また、これらが憲法9条の存在と相まって、これまで日本は海外に自衛隊を派遣することもできなかったし、また、派遣した後も、人を殺すことができなかったわけである。だからこそ、自民党をはじめとする支配層は、憲法を「改正」する必要を痛感しているわけである。
 こういう運動や国際的な関係の中で、「敵対国」を前提とした「紛争時」を想定した無防備宣言運動はどのように位置づけられるのであろうか。

 すくなくとも、平和運動という位置づけは難しいと思われる。現在の憲法9条を擁護する運動は、国民の中で4000を超える「9条の会」の発展がある。自衛隊を憲法違反と見ない人たちも、自民党の憲法改正案が、専守防衛に反するという視点から、憲法9条改悪に反対している。

 再度強調するが、憲法9条は「形骸化」しているということもできるが、これがあったればこそ、日本は海外で戦争をし、人を殺すことができなかったのである。
 限定された状況の中で、住民の生命を守る「人道的」な条約の遵守などは、必要なことではあろうが、日本国憲法の非武装平和の理念は、国連の理念などの上を行く、国際的に未踏の領域でもある。
 この自覚の上にたった、地域からの憲法擁護の運動の発展を強く望むものである。【一応これで終わり】ー本当はまだ言い足りないのであるが・・・

●最後に関連する、ネット上のサイトを紹介しておく。

【無防備地域宣言運動全国ネットワーク】
 【無防備地域宣言運動への反論】
【週間オブイェクト】
【無防備地域宣言には有効性が低い】

 その他、ググるとネットウヨのような「批判」のサイトが多いようだ。
まあ、それだけ「くみしやすい」と判断されているように思われるのだが。