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 2006年09月26日(火)

安倍新政権と「改憲型地方分権」①

はじめに―『美しい国へ』
 安倍内閣が発足したが、安倍晋三の思想の根幹には、ナショナリズムと新保守主義がある。靖国問題についても、最後まで参拝に拘泥した小泉純一郎前首相に比しても大きな差異がある。小泉氏は、「靖国神社の史観(日本の侵略戦争美化―行方)と自分の考え方は違う」と国会でも明確に述べていたが、安倍氏の新著『美しい国へ』(文春文庫)のどこを見ても、かつての日本の中国や朝鮮に対する侵略行為についての「反省」の言及が一言もない。靖国神社を最初に「公式」参拝した中曽根康弘元首相にしても、中国をはじめとする対アジアの戦争においては、その「侵略性」を認め、対米戦争とはその性格を分けて議論していた。つまり、アジアに対する配慮や戦前の明治憲法の「否定」という発想が根底にあった。
安倍氏の議論には、こういった「配慮」が全くなく、東京裁判への批判などを読むと、日本の戦後処理に関する基本的認識の欠如が際だっている。このような認識の下で、その政権構想が、「集団的自衛権」をはじめとする改憲や教育基本法「改正」を掲げているのである。また、「改憲」を掲げながら、必ずしも「押しつけ憲法」論などの立場をとらない点にも特徴がある。恐らく、それは安倍氏が際だった「対米従属論者」であることに由来すると思われる。
 小泉前首相は、かなり早い時期からアジア経済圏を重視し、その文脈で、北朝鮮との国交回復をめざすプレイを行い、その流れのフロックで「拉致問題」を北朝鮮が認めるという歴史的な事件に発展した経過がある。また、日本の財界も、東アジア自由経済圏の構想を2003年の「活力と魅力溢れる日本をめざして」において提起するなど、アメリカの環太平洋経済戦略との一定の緊張関係も継続してきた。
 小泉前首相は、最終的には靖国参拝によって、対中国、対韓国をはじめとするアジア諸国と外交関係に閉塞状況をもたらし、アジア外交や経済共同体構想などへの発展の道を閉ざしたが、安倍内閣の下では、政権構想自体が「アジア共同体」ではなくアメリカ主導の「アジア太平洋地域での共同体形成」とうい構想に「逆戻り」をしている。
 財界の安倍内閣への期待は、一様に「小泉構造改革」の継承であり、小泉内閣がやり残した「改憲」などの「大国化」政策である。この点での、財界と安倍内閣との齟齬は少ないが、同時に、靖国参拝問題で日本の経済界が示した「アジア諸国への配慮」要求や、東アジア共同体(自由経済圏構想などを含め)など、日本のグローバル資本の持つ要求との緊張関係を持っている。このような意味で、安倍内閣の行方は、来年の地方選挙(今年の沖縄県知事選挙なども含め)と参院選挙の状況によってかなり大きな影響を受けることが予想される。小泉流の「強い首相」「強い内閣」を指向しつつも、上記の矛盾をはじめとして、決して安定した強固な基盤をもつ内閣とは評価できないだろう。
  そこで、全体としての政策体系は、小泉構造改革を継承しつつ、その矛盾(とりわけ、経済格差、地位格差、機会不平等の拡大など)を新保守主義的政策で弥縫しつつ、北朝鮮問題などを「活用」した、ナショナリズムの高揚とその対米従属的な馴化がめざされることになるだろう。
 彼の政策の「再チャレンジ論」は、まずは「政権構想の策定し直し」に再チャレンジすべき体のものであるが、具体の方策は、教育基本法「改正」をはじめとした、教育問題でも新自由主義と新保守主義の接合が見られる。小泉前首相は、教育基本法「改正」問題をはじめとする構造改革による既存の社会秩序崩壊やその弥縫策については、無関心であったが、安倍内閣はこの点で極めて積極的である。
  「家族重視」やコミュニティ重視という点でも、また、単純に「小さな国家」をめざすことがよいとは思わないという議論などを見ると、新保守主義的に破綻を繕っていく可能性が強い。この点では、ある意味で小泉前首相に対するより、国民的「警戒心」が働き、反発を受ける局面が増加する可能性がある点にも注意する必要があるだろう。

自民党「新憲法草案」と地方自治
 さて、以上のような安倍新内閣の「基本スタンス」を念頭において、まず自民党「新憲法草案」について最低限必要な批判的考察をしておきたい。
 自民党の「新憲法草案」において、ある意味で復古的な改憲プランが一掃され、憲法9条と改憲手続きの96条に、改憲内容が絞られたが(これは民主党や公明党との関係を考慮したものと言われている)、同時に、地方自治関係者の間では「地方自治」関係の条文に異常な程手を入れられていることが話題になっていた。
 それは、ある意味で、復古的な改憲プランが現象し、家族や愛国心などの問題が後退していったことと無関係ではない。日本の政府間関係においては、「福祉国家的要素」(日本の場合は、企業社会によってその性格を歪められ、到底福祉国家とは言えないのであるが、それでも国民皆保険やある程度平等主義的な医療制度などを有していることも事実である―近年の構造改革によってかなり崩壊しているが)を具体的に担っているが自治体であり、その自治体のあり方を「構造改革」に親和的なものに「再編」することが、この間、一貫して指向されてきた。

*自治体のスリム化・広域化
 1990年代半ば以降の、資本のグローバル化に対応し、自治体も福祉行財政の「リストラ」を中心にしてスリム化され、市町村合併が強力に推進されてきた。
 『地方自治』(2006年6月号)に山崎重孝「『平成の合併』の節目を迎えて」という論文が掲載されたが、山崎氏は、平成11年に3232あった市町村が、平成18年4月時点で、1820となり、61.7%に当たる1995の市町村が合併を経験したこと、人口の平均が約36000人から65000人超になったこと、面積は117平方キロから204平方キロに拡大されたことなどを示し、「市町村合併は相当進展したことが改めて認識できる」としている。また、平成大合併の一つの焦点であった、人口一万人未満の自治体が1537から503に減少したことも、指摘されている。
 さて、山崎氏は平成の合併の「意義」について、何点かあげている。第一は、今日的な文脈の中で「分権改革」を推進していけば、「必然的」に市町村の再編が行われるという認識が示されている。第二は、少子高齢化、人口減少の中で、これまでの国、地方の財政のあり方を「維持可能なもの」として存続できない状況になっており、これを前提にして、市町村が効率化の努力を行う方向での「国民的共感」が形成されたことをあげている。意味深長であるが、自助努力や「自由と責任」論などが国民に受容される状況になってきたということであろう。「自己責任」論が、国民世論の中で一回り大きくなったわけである。第三は、日常生活圏域の拡大であり、第四は行政改革である。なお、第4の行政改革について一言付け加えれば、平成合併を評価する場合、市町村数がどうなったかという面だけではなく、筆者は行政の民営化やアウトソーシングなど、「小さな政府」「行政の民間化」という自治体の「質」の変化についても評価する必要を強調してきたが、この点が踏まえられているということである。
 この最後の問題は、意外に不正確な理解が多く、「三位一体改革」論の中からいつの間にか自治体の市場化をリードする「本命」である地方債の自由化問題が欠落するのと、同じようなものである。自治体の再編は広域化やスリム化だけではなく、それ自身が市場に包摂され、経営が市場化していくという方向を強く含んでいたということである。

*自民党の新憲法草案における「地方自治」
 この拙論の目的の一つは、今日の「地方分権」論が、自民党の憲法「改正」論と一体のものとなっていることを踏まえ、それが、阿部新政権の下で「改憲型地方分権」に帰結して行く方向を分析することにある。
 既に、自民党の新憲法草案における地方自治の「重視」については、進藤兵「「分権型国家」が住民生活と地方自治を破壊する―地方自治条項改憲論議への批判―」(研究機構インフォメーション・サービスNO.62、2006年3月29日)において、詳細に批判が展開されている。例えば「現代日本の国民国家の全面的な再編を、軍事大国化という柱と新自由主義的経済体制の構築という柱とによって進めていくこと、そしてその二つを推進できる『強い首相』『強い内閣』が押し出されている、ということになります。このように中央政府の力を軍事面とマクロ経済社会政策に集中していくとなると、その裏返しとして、それ以外の内政分野、たとえば社会福祉、義務教育、農村向けの公共事業、地方財政調整(財源不足の地方自治体への財源保障)といった福祉国家的なナショナルミニマムを保障する分野は、もう中央政府としては行わない。それは地方に負担を転嫁する、地方に移管をしていかざるをえない。そこで、中央レベルで福祉国家型の最低生活保障、ナショナルミニマムを破壊して『小さな政府』を進めていくことを正当化する原理として、『地方分権』、『地方自治の充実』が自民党から持ち出されてきています。」と述べている。筆者もこの「地方分権」に関する見方については、全面的に賛成である。そして、付け加えれば「分権」を通じて「自治」が変質し、国民生活に重大な損害を与える方向に帰結するのである。
 進藤氏の批判を要約すると概ね以下のようになる。
①新91条2の第1項(地方自治の本旨)
 ここでは地方自治の本旨という「曖昧」な概念を「充実」させ、これまでの団体自治と住民自治という両側面を持つという「通説」(なお、進藤氏は現行の地方自治条項は、「復古型」と「戦後型」の2つの地方自治構想の妥協の産物と理解)から、「住民自治」が「住民参画」と言い換えられ、「行政と住民のパートナーシップ(協働)」、あるいは「ガバナンス(協働型統治)」、「新しい公共空間」という概念に流し込まれていく。
②新91条の2第2項
 「住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公正に分任する義務を負う」という、「負担分任原則」(応能性を否定した受益負担)への逆戻りがみられる。
③新91条の3第1項
 自治体の種類を基礎地方自治体と広域地方自治体の二つにし、広域自治体の機能を、基礎自治体の「補完」に限定されてしたこと。また、「都道府県」に代えて「道州」を広域自治体する方向を考えている。
④新91条の3第2項
 文言は現行憲法通りであるが、先に指摘されていたように「地方自治の本旨」そのものが「変質」していることが前提になる。
⑤新92条(国及び地方自治体の相互の協力)
  「国及び地方自治体は、地方自治の本旨に基づき、適切な役割分担を踏まえて、相互に協力しなければならない」ということであるが、一つは、国の役割が「補完」に限定されて、国の役割は軍事、外交その他に特化していく反射として、教育、福祉などのナショナルミニマムの保障は、国の責任からはずされる。同時に、国の役割を軍事外交に限定することによって、自治体は、軍事、外交については発言権がないことになる。「相互に協力」規定も、「軍事大国化とか新自由主義化を進めるという点での国政と自治体との相互協力と読むべき」と批判をしている。
⑥新93条の1項、2項
 首長の直接選挙という現行の制度は維持するとしている。一方、民主党案は選択的廃止論であることに注意を要する。
⑦新94条の2第1項(地方自治体の財務及び国の財政措置)
  「地方自治体の経費は、その分担する役割及び責任に応じ、条例の定めるところにより課する地方税のほか当該地方自治体が自主的に使途を定めることができる財産によってその財源に充てることを基本とする」 という現行憲法にはない新しい、地方財政に関する憲法規定を導入している。民主党案が、「地方交付税廃止」と明記しているのに比して、曖昧さはあるが、現行の地方交付税制度等の維持が保障されているようにも読めない。
⑧新94条2の第3項
  「第83条第2項の規定は、地方自治について準用する」となっているが、これは「財政の健全性の確保は、常に配慮されなければならない」というものであり、地方自治について準用することになる。アメリカにおいて、この地方財政健全性条項を入れた憲法改正を行った結果、日本の地方交付税に当たるものが廃止されたことを考慮すると、自治体は財政緊縮を通じて、公共サービス、特に福祉、医療、教育、また民営化か住民負担増を目指すことになる恐れが大きい。
⑨現行95条=削除
 地方特別法に関しては、住民投票による過半数の同意なくしては「国権の最高機関」である国会といえども法律を制定できないという規定の削除であり、住民が主権者であり、自治体が政府(ガバメント)であるとう根拠が見えなくなる点で、かなり否定的なインパクトになる。
 以上、進藤氏による「自民党新憲法草案」の地方自治条項に関する詳細な批判を筆者なりに要約した。進藤氏の意図を歪めていることを恐れるが、内容については殆ど同感である。戦前の財政学に関する「負担分任」問題などについて、若干の異論もあるが、ここではそのような問題は問わない。

*晴山一穂「自民党新憲法草案でどうなる、地方自治」における批判
 上記、進藤氏の批判と同時期に発表された自民党新憲法草案における「地方自治」関係の批判では、晴山一穂「自民党新憲法草案でどうなる、地方自治」(インフォメーション・サービスNO.65、2006.04.17)の整理も大変に参考になる。晴山は、自民党新憲法草案における地方自治関係条文を①現行規定とほぼ同じ内容の規定②新たに設けられる規定③現行規定で廃止されるものの三つに整理し、それぞれ、その意図を分析している。
 地方自治条項の改正は、一見すると、95条の住民投票や、「負担分任」という規定などをとれば、全体として「地方自治の充実」に結実するように読めるようにも見えるが、その陥穽を指摘している。改憲案全体の中で読み込む必要があり、草案の前文で『自由かつ公正で活力ある社会の発展』が謳われているように、最近の新自由主義的構造改革のキーワードであり、行政改革会議最終報告においては、市場原理・自由競争のもとで個人の自立自助・自己責任が最大限発揮されるような社会を指すものとしてこの言葉が使われてきたことに注意を促している。
 そして、この間の「地方分権」の流れ全体を批判的・歴史的に検討し、西尾勝氏の「政府の仕事を縮小し、民間の自由の領域を拡大してもらいたいというのが規制緩和でありますし、国と自治体との関係、中央と地方との関係を抜本的に改めて、国の関与を減らし、自治の領域を広げ、それによって国の仕事をスリムにしてもらいたいというのが地方分権であります」を引用しつつ、国家行政のスリム化・重点化のための地方分権であることを喝破しているのである。
 以上のような先行研究に依拠しつつ、自民党新憲法草案の地方自治条項の「多さ」と多様さに着目しつつ、安倍新政権における「地方自治」「地方制度」の政策対応について次に検討を進めたい。
 なお、自民党新憲法草案と「地方自治」の関係については、以上の論考の他に、小林武『憲法「改正」と地方自治―21世紀に活かすために』(自治体研究社)も現行憲法9条との関係や、新自由主義に向かう改革への主要な舞台の一つと位置づけている点で、共感がもてる。(以下、つづく)