2006年06月29日(木)
自治体破綻法制について
● 自治メルマガ048号に掲載した「自治体破綻法制について」をここに再掲しておきたい。これは、ラフな文章で問題の一端を指摘したのみであるが、今後の議論のために参考にしていただければ幸いである。破綻法制は、自治体の資金調達ひいては、自治体自体の「市場化」「民間化」と密接な関係を持つものである。従って、破綻法制に関する議論は、この自治体民間化の「是非」や問題の解明と結びついているわけである。これまでの「財政再建準用団体」という方式の是非を論ずる場合の原点もここにある。問題の「羅列」は何ら事態も好転をもたらさず、自治体運営の混迷を促進するだけである。立ち止まって、慎重な議論を期待したい(といっても、竹中総務相では無理だろうが)。
はじめに―自治体破綻法制への地ならし
6月20日付けの『日経新聞』に、「自治体の財政破綻現実味」という表題の記事が掲載され、「夕張市、14年ぶり再建団体へ」―予備軍「10はある」というサブタイトルが踊っていた。 内容は「財政危機に陥った北海道夕張市の後藤健二市長は、20日、国の管理下で再建を進める財政再建団体になる申請を正式に表明する。指定になれば14年ぶり。観光事業の失敗が響いた。」となっている。記事では、再建団体という制度についての若干の解説もある。
特に目を引いたのは、「隠れ借金も監視へ」ー破綻法制の準備急ぐーという解説記事である。ここでは、「地方分権21世紀ビジョン懇談会」の5月末の提言について紹介しており、「夕張市の再建団体申請は制度改正の動きを加速すると見られる」としていることである。
1)「財政再建団体」とは
現行の「財政再建団体」というは、地方財政再建促進特別措置法(再建法)に基づき、赤字額が標準財政規模の5%(都道府県)または20%(市区町村)を超えた破産状態にある場合、自治体が総務大臣に申請し指定を受ける制度のことであり、正式には「準用財政再建団体」という。この制度の特徴について日経新聞は、「事前チェックなし」「財政規模に対する赤字の比率をみる(フローの指標で)「自治体が申し出て総務相が同意」「債務カットなし」などと解説をしている。
確かに、いわゆる隠れ借金(自治体の借入金や会計操作による負債隠し)や自治体が財政的リスク負担をしている第三セクターなどの借金や赤字経営などが表にでて来ないので、本当の自治体の財政状況が分からないという問題があることは夙に指摘されてきた。 従って、自治体の財政の「連結決算」(管理団体である第三セクターや公営企業、各種特別会計や、その他の出資団体などとの関係)の必要性や、情報公開などの重要性の指摘は当然のことである。 ただ、こういうことは、これまでも多くの財政学者や自治体関係者によって主張されてきたことであり、自治体の財政が「国におんぶにだっこ」という当事者意識の欠如といった問題に帰結できる話しではない。
今日の自治体の財政危機は、基本的にはバブル崩壊後に自治体財政を活用して、国の経済の浮揚、景気回復に公共事業を中心とした投資を必要以上に行わせたことに原因がある。これを、個別の自治体を問題にして、経営感覚の欠如であるとか、国への依存体質を指摘するのは、全くの誤認であり、意図的な世論誘導である。
自治体の破綻法制を論ずる場合、まずもって、現在の自治体の財政危機の原因と特徴について解明することが先決である。この「原因」を曖昧にしたまま時の政府や権力に都合のよい「破綻」「破綻法制」などを制定することは、自治の前進につながらないばかりか、自治の「死」につながりかねないものであろう。これは大げさな話しではなく、現在議論されている「破綻法制」について検討すると、そういった危惧をぬぐえないのである。地方分権だから、国から地方への財政移転は「渡しきり」で、あとは、自治体の責任ですべて起承転結運営すべきであるという現行制度を無視した議論が横行しているからである。
経済財政諮問会議や「21世紀ビジョン懇談会」などに「巣くう」一部の御用学者は、経営の失敗をもたらした無能な首長や議員、その議員を選出した住民もに自治体財政の破綻の責任を負わせるべきであると主張してきた(本間正明など)。これに対して、内部の議論は、原理的に反論するのではなく、住民は移動が自由なので、責任を追及しても転居してしまうだろうなどという、およそ、くだらない「反論」であった。
また、場外では、この議論をサポートして土居丈朗などが「転居税」なる、200%憲法違反の税制をつくれば、住民が逃げることはないだろうといったふざけた議論を行っている。これを反面教師として、我々は税金の低い国や地方に「逃げる」企業から「転居税」を取ればよいということになる。有りがたいご教示ではあった。
地方の議論を国に拡張すれば、住民の「転居税」は、日本の増税に嫌気した国民が税金の低い国(多分、正確には、税金は有る程度高くても、社会保障のシッカリとした国)に「逃げる」場合でも「転居税」を課することになるのであろう。中国などに対し、国民の移住の自由がないなどと「批判」をしている輩が、こういった税制を考えること自体、片腹いたい。自分たちが、どの程度民主主義に反する、国際世論の水準からかけ離れた主張しているのか気がつかないわけである。こういった人間を活用する小泉内閣のレベルが推し量られるというものであろう。
2)自治体破綻法制の前提
自治体の財政破綻について、一定の基準を設け、その責任を追及できる制度を制定すること自体は、必要である。但し、それは、住民による自治体当局あるいは、議会、その他の機関についての「追及」というレベルの話しである必要がある。
現在行われている議論は、そうではなく、この住民自身が自治体にたいし、低い負担で高い水準の施策を要求する結果、議員がこれに呼応し、自治体の当局もこれに引きずられて、金がないにも拘らず借金や国からの「仕送り」に依存して、放漫な財政を継続した結果が財政危機であるので(財政危機の原因の歪曲)、住民に自治体の「監視」は不可能であるという、議会制民主主義否定の公共選択論(ブキャナンなどの新自由主義財政学)がベースになっている。
だからこそ、住民にも責任を負わせるとか、実務的に不可能だとかいう突拍子もない議論が行われるわけである。 まず、この議論のこういった本質をシッカリと見ておく必要がある。以上が自治体破綻法制の前提その1である。
その2は、今回の「破綻法制」が出てきた、制度的な背景は、自治体の起債の自由化が分権改革一括法で行われ、この4月からこれまでの起債の許可制度から協議制度(合意制度)に変更されたことがある。
編集子などは、地方財政の三位一体の改革というのは、全体像を示しているわけではなく、その背後にある「地方債発行の自由化」(起債許可制度廃止)即ち、自治体の資金調達の市場依存こそが、自治体財政改革の「本丸」であると主張してきた。勿論、現在焦点になっている地方交付税縮小・変質の攻撃も重大な問題ではある。
弱小自治体が地方債を発行できなくなれば、自治体の運営の「幅」は急速に縮小せざるを得ない。確かに、政府が無制限に信用保証するのでは、自治体の自主性や財政錯覚による放漫な運営が行われる可能性はあるが、市場に依存して、移りゆくカジノ経済に自治体財政が翻弄されるとするならば、これは、大変な問題であろう。
郵政民営化の背景にあった、国の財政投融資の廃止(つまり、国の資金の民間化)によって、安全かつ低利な資金を自治体が剥奪されたわけである。これは、バーチャルな「自治体」の運営というレベルのものではなく、具体の住民生活に関わる現実的な問題である。
このように「破綻法制」というのは、自治体の資金調達の市場化と、議会制民主主義の否定のカップリングからくる発想なのである。
3)なにが問題か?
自治日報を読んでいたら(6月16日付)、『自治』というコーナーで自治総研の辻山幸宣さんが、面白いことを書いていた。「もっとも肝心な『破綻』とはどういう状態をいうのかについては、なにもあきらかにしていない。懇談会にとっての課題として残されているわけだ」と述べている。
辻山さんのことだから、本当は、なぜ「破綻」について議論している懇談会が「破綻」について定義できないのか、分かっているのだろうと思う。
それは、先に述べたように「破綻」を論じる土俵が新自由主義的な財政論にあり、その馬脚を現したくないという「本能的防御意識」もあると思うが、更に現実的な問題として「国」の財政危機との関係があると思われる。
自治体の財政危機を国の財政危機と全く切り離して論じることはできない。しかも、財務省などは、国の方が自治体より財政危機であり、「国民の財布から一番遠いところからものを考えるのが良い」とした上で、(1)国・地方の人件費(2)公共事業(3)地方財政(4)防衛、外交、科学技術、教育などその他の支出項目(5)社会保障(給付、保険料負担)の順位をつけて歳出削減を行うべきであるとしている。
何のことはない、地方よりも国の財政の方が危機であるというのは、国の方が地方より「罪が重い」と認めているようなものである。住民が地方財政危機の責任を追及されるようならば、国の担当者や大臣などは何回死刑になっても足りない位の重罪であろう(合掌)。
平たく言って、「破綻」の定義ができないのは、国の財政危機の責任論に世論が目を向けないように、様子を見ながら議論を慎重に行っているからであろう。自治体破綻法制というのは、結構、諸刃の剣なのである。
さて、以上のような話を前提にして、具体的問題について検討してみたい。現在の時点で、「破綻法制」の枠組みは、①事前のチェック(早期是正措置を導入し、事前に指導)②債務残高などの指標も採用(ストックの指標も重視)③第三者による勧告も選択肢とする④債務カット(地方債や銀行借入のカット)が可能かどうかの検討などとなっている。
貸し手である銀行(財政投融資を廃止したので、当然中心は民間銀行になる)であるの債務を一定の条件でカット(つまり貸し手にも市場では責任がある)できるかどうかというのは、そういう制度を導入すれば、貸し手は慎重になり貸出の利息も当然高くなるということである。これは、自治体が連合して、現在の公営企業金融公庫などを改組したとしても同じである。
自治体への貸出利子は銀行の「自由」となれば、自治体の負担は極めて大きくなる。恐らく、東京都など一部の自治体を除いて、貸し手自由の市場になるだろう。
事前のチェック制度も聞こえはよいが、辻山さんではないが、何を基準にするかによって、自治体の自主性を侵害しかねない。第三者機関などというのは論外である。第三者というのは、住民ではないということである。議会でも、長でも住民でもない「第三者」に民主主義は期待できない。地方6団体も「更なる地方分権」などと浮かれていないで、こういった制度の本質的欠陥について、もう少し真剣に世論を喚起したらどうか。そう思わざるを得ない。 債務残高を管理することは必要であるが、そんなことは破綻制度をつくる以前の話しであり、情報公開もせずに民間に甘い契約を結んだ結果が、自治体への負担転嫁になっているのである。第三セクター方式を推奨した自治省(当時)の責任が一番重い。その自治省(総務省)が、自治体の破綻制度を議論する土俵をつくっていることもまた笑止である。
これまで、自治体を植民地支配してきた総務省が、植民地の制度を考えるという構図は、笑えない日本の現実である。
4)自治体は財政危機の原因を解明し、「破綻」制度を提起すべき
というわけで、地方自治体自身が、今日の財政危機についてその原因を解明し(自己批判を必要とする)、「破綻」制度についても、現行制度の改革を含め、提言する勇気を持つ必要があろう。
その際、自治体の首を絞めている「三位一体改革」や「更なる地方分権」とうスローガンについても、時流にながされず、もう少し、自治の原点に立ち戻って議論する必要を感じる。今日の所は、このくらいにしておきたい。
もう少し時間が経ったら、本格的に破綻制度について論じてみたい。

