2006年04月24日(月)

シンポジウム「構造改革」という幻想を超えてーの感想①


●4月21日に特殊法人労連が主催する(全労連「もう一つの日本は可能だ」の一連の催し物)シンポジウム「構造改革」という幻想を超えて(衆議院第1議員会館第1会議室)が開催された。
 面白そうなので、参加をしてきた。以下はその感想というか、自問自答である。

 集会の内容は以下の通り

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報告①立山学「小泉構造改革」の「粉飾決算」を告発する。
報告②山家悠紀夫氏にきく。インタビュアー堤和馬
報告③堤和馬「公務員制度改革と天下り・談合」
報告④松井繁樹「行革法案」批判

発言①住江憲勇「構造改革と医療」
発言②櫻井俊一「政策金融改革と中小企業」
報告③林守一「公団住宅と民営化」
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 という盛りだくさん・意欲的なものであった。実は、私は報告④で力が尽きてしまい、失礼ではあったが、途中で会場を後にした。

●さて、ここで、取り上げるのは、②の山家氏の議論である。それも、財政危機の見方に絞って考えたいと思う。従って、ライブドア事件を生みだした金融システム「改革」についての議論など、大変に面白く有意義な議論を残念ながら割愛する。

 山家氏の財政問題についての議論は、ご存じの方も多いと思うが、『偽りの危機、本物の危機』(1997年)において、“「財政危機」は誇大宣伝である”と主張し、当時の『財政構造改革白書』や「財政危機宣言」を批判していた。
 この考え方のベースは、一つは財政支出を縮小することが、もたらすデメリットに着目して、建設投資などが支出の見返りとして資産を構成することなどを加味する必要があること、二つは、政府が喧伝する財政赤字は粗債務であり、資産と相殺した「純債務」の指標では、対GDP比は先進国で最小である(社会保障基金まで入れると)という主張であった。
 そして、「偽りの危機」を誇大に宣伝することによって、景気の腰折れ(不況化)を招き、国民生活を低下させるということが眼目であった。

 こういう議論は、最近でもあり、菊池英博『増税が日本を破壊する』(ダイヤモンド社)などが注目される。この本の宣伝コピーを見ると「本書では、①日本は財政危機ではなく「政策危機」、②税収が激減しているのは、名目GDPが低迷しているから、③日本国内は投資不足、④デフレ下で緊縮財政をすれば財政赤字は拡大する、⑤100兆円の投資枠で財政再建は達成できる、という視点から、財政の誤解を解き、増税不要を明らかにする。 」となっている。
 内容は、山家氏の議論と似ており、政府の債務は「純債務」で判断すべきとなっている。

 私は、現在の日本が「財政危機でない」という認識はもてないが、政策的な判断の誤りが招いた「政策危機」であるという認識は一致している。
 財政危機という点では、最近、ある研究会で報告を行ったのだが、OECDの統計でみても、粗債務は勿論、「純債務」でも立派に先進国で1、2位を争う水準になっているのである。つまり、粗債務は悪化しているが、純債務はまだまだ大丈夫という認識には立てないのである。これが第一の問題でる。
 第二は、粗債務にしても元利を償還する必要があるわけであるが、これが800兆円となり、しかも、この20年間、金利が経済成長率を上回っている。これは、よく知られた「ドーマーの定理」によって、維持不能な状態として認識できるものである。

 少なくとも、経済学者が財政危機問題について論じるのであれば、この二つのファクターは外せない。山家氏の前著は1990年代のものであったので、最近の新たな事態を踏まえて、「どのように説明するのだろうか」というのが、私がシンポに参加した「最大」の理由であった。

●さて、山家氏は、小泉構造改革が「格差社会を拡大した」という正当な批判を行った後、財政危機についての述べた。冒頭、「1996年から97年にも財政危機宣言があったが、当時は誇大宣伝だと述べたが、現在は借金が倍になっている」と話した。なるほど、現在とは情勢が違っていることを認めたのだと思ってきいていた。
 ところが、次に、借金はあるが、同時に金融資産や固定資産を政府はもっており(バランスシートに基づいて指摘)、差し引き80兆円余っていると述べていた。
 そして、借金は返済する必要はない、問題は正味資産の減少(グラフを資料として提示しており、これを見ると、1990年代の初期には正味資産が350兆円あったものが、90年代後半から急減して、2003年には80兆円になっている)であると述べていた。

 そのあと、「今のところ、借金は問題ない」と言われたのには、大きな違和感が残った。これは無理である。
 小泉内閣になってから、国債依存は継続しており、むしろ拡大しているのであるが、建設国債は大きく減少し、反対に赤字国債が大きく増加し大半を占めるに至っている。つまり、山家氏の言い方を借りれば、「資産が形成されない国債」の支出に変化しているのである。正味資産が減少するのは当然である。

●日本の財政危機を論ずる場合、長期にわたって超低金利が継続していることが、財政破綻しない「際どい」条件になっていることは、多くの経済学者の指摘するところである。
 資金運用部の廃止、郵政の民営化、量的緩和の廃止などが矢継ぎ早に生起し、いつまで日銀の超低金利が継続するのか、不明の情勢になっている。こういう「板一枚下は地獄」というのが、日本の債務管理の実情だろう。
 ところが山家氏は、金余りなので、金利がそれほど上昇するとは思えないと簡単にかたづけてしまった。しかも、国全体で190兆円の資金が余っており(他国は10兆円程度)、国内は供給超過であるので、金利も修正はされてもべらぼうにはあがらないという議論であった。
 そして、この190兆円を活かして、「軍艦型経済」(戦闘能力は高いが、居住性は最低)から「客船型経済」(戦闘能力はないが、居住性は良い)に転換すべきだというわけである。

 私は、小泉内閣の財政運営については、デフレ政策を継続して、国民経済を萎縮させ、結果として税収を低落させていることに問題があると思っている。その限りで、山家氏の見方と共通しているわけである。
 当然のことであるが、国民にしわ寄せをせずに、経済がそれなりに発展をしてれば、借金の対GDP比は自ずと縮小していくものである。10年間もGDPの成長がなく、しかも、租税の弾性値が、度重なる企業減税によって低下しているのでは、借金の返済など、全くおぼつかないわけである。このような点では、菊池氏や山家氏の議論に賛成である。

●しかし、バランスシートでみて、正味資産がありさえすれば、財政危機ではないという認識は、いくらなんでも無理であろう。
 勿論、政府の宣伝は、自分たちがこしらえた「借金」の原因を一切解明せず、その返済を国民に迫っている(その限りで、不当広告である)点で、犯罪行為そのものであるが、財政危機ではないという「切り返し方」が正しいものだとは到底思われないのである。

 今回は、この辺にして、続きは岩波一寛「日本の財政危機とは何か」(『経済』5月号)を参照しながら、考えてみたい。この論文は、国民経済計算が理解できないと、ちょっと難しい部分があるが、よく読めば分かる秀逸な論文である。実は、政府部内というか、政府側というか、やはり財政危機の認識を巡って、異なる意見がある。
 Reviving Japan's Economy:Problems and Prescription という本に掲載されたBroda-Weinstein の「日本の財政維持可能性の再評価」という論文に、土居丈朗氏が噛みついているのである。
 近く、この論争などについても、ふれる機会があると思う。とりあえずは、財政危機の認識は思っている程、簡単ではないということにしておきたい。