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 2006年04月27日(木)

シンポジウム「構造改革」という幻想を超えてーの感想②

●さて、少し間が空いてしまったが、シンポジウム「構造改革」という幻想を超えてーの感想②を書くことにする。
 前回述べたように、今回は、岩波一寛「日本の財政危機とはなにか」を素材として、山家氏のような「日本は財政危機とは言えない」という議論について、様々な角度から考えてみたいと思う。

 さて、岩波氏の基本的な認識は、「日本の財政は破綻している」というものである。「危機=crisis,Krise」というのは、前にも述べたような気がするが、ラテン語のクリシスを語源として、医学などでも「助かるか、助からないか」の「分岐」などを指す。つまり、「どちらに転ぶか」の決定的瞬間ということである(転ぶ方向はわからない)。
 日本語だと「転換点」ということもできるが、やや「間延び」した感じがする。「危機」の正確な使用法は、分岐のどちらになるか不明であることを前提とする。それから、危機からの「脱却」を願っているかどうかは無関係である。つまり、主観的な用語ではなく、客観的な「状態」を指すわけである。
 これは、語源から来る、本来の?言葉の使用法であるが、実際には、かなり曖昧に使用されている。「端緒」などの用語も同様である。これは、まだ「芽が出るか」「出ないか」の分岐であり、どちらとも言えない状態を指すのであるが、多くの人が「端緒」を「既に方向づけられている」ことの「芽」「萌芽」という意味で使用している場合が多いようである(「端緒ではあるが、今後確実に発展していく」などの使用例)。
 哲学用語でアンファング=Anfangが「端緒」であるが、哲学者は、以上のようなことを意識して使用している「ハズ」である。

 Der Begriff Anfang wird ähnlich verwandt wie Beginn oder Anbeginn, wobei es sich um einen erstmaligen Neuanfang oder einen wiederholten Anfang derselben Sache handeln kann. Allen gemeinsam ist als Gegenteil das Ende oder der Schluss.

 この解説で思いだしたが、シェークスピアの『真夏の夜の夢』に「終わりの始まり」というのがある。This is the true beginning of our end.こういった雰囲気の用語である。

●くどくどと述べたが、言いたいことは、岩波氏の認識では、日本の財政は分岐状態ではなく、既に「破綻」という道を歩んでいるということなのである。
 そして、政府もこれを認めているが、財政が破綻していると言わないのは、「財政破綻の責任を糾弾されるのを避けて、政府の財政再建をやむをえないと国民に思わせようという狙いであろう」と述べている。

 この認識からも、岩波氏が山家氏などの「財政危機ではない」と述べることの「対局」にあることを理解できるだろう。また、誤解のないように付け加えておきたいが、岩波氏の認識=破綻論に立ったからと言って、この破綻から「生還する道」がないというわけではない。これは、財政運営だけではなく、政治の基本に関わる問題として把握されることになる。

 さて、岩波氏の議論の難しいところは、破綻していると認識しつつ、「現在日本の財政は、大量の国債発行そして巨額の政府債務を累積させながら、そうした財政破綻の現象が現れていない」という指摘である。
 この「財政破綻の現象」とは、財政硬直化・クラウディングアウト・財政インフレーション・公債費負担の拡散(有り体にいうと、雪だるま式拡張)などを指す。
 こういった「現象」が現れていないにも拘らず「破綻」というのは、現在の公債の利子率が異常に低いことを念頭に置いている。1991年と2003年の利子率が同じだと仮定すると、中央政府で25.3兆円、地方政府で4.4兆円も公債利子負担が増大すると試算をしている。

●前回のブログで、私は「板一枚下は地獄」という表現を使用したが、何らかのインパクトによって、利子率が上昇した場合、あっという間に日本の財政は「破綻」状態になるということである。
 なんらかの「インパクト」の発生というリスクが、科学的に否定されるのであれば、勿論、私の認識も岩波氏の認識も「間違っている」ことになるが、科学的に否定できないというのが、正確な見方だろう。
 だた、そのリスクが「できる限り」先送りされているということは事実である。そして、この「先送り」によって「こそ」日本の財政破綻が顕在化していないのである。

 岩波氏は、この「先送り」についていくつかの指摘をしている。
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①日銀の低金利政策
②日銀の超量的資金緩和政策
③公的資金による公債の引受・保有の継続
④日銀の信用創造による外為管理ー輸出主導の経済、円の対外価値の維持
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 といったことになる。

 逆に言うと、以上のような「条件」が今後も継続すると仮定するならば、日本の財政破綻は顕在化しない、ということなる。しかし、岩波論文の秀逸なことは、この条件の指摘で終わらないことである。

 上記の条件の「継続」によって「家計帰属所得」が強制的に企業と政府が資金を入手するという「強制移転」を指摘していることである。
 つまり、財政破綻がなければ良いという、単純な議論ではなく、現在のように破綻を先送りしているメカニズムそのものが、労働者・国民からの「大収奪」になっていることが解明されているのである。「去るも地獄、残るも地獄」という阿鼻叫喚の世界であろう。

 岩波氏の国民経済計算を使用した試算では、「12年間の中央・地方政府の低金利政策による利子負担軽減総額は、両政府それぞれ、約154兆円、26兆円となった」とされる。昨年末に日経新聞で公表された、中間忠・斉藤明子「金利と日本経済」(「経済学教室」2005年12月26日付)では、1992年以降2003年までの11年間で、家計は218兆円もの利子所得を失ったとされているが(一方、非金融法人企業は145兆円、政府部門は125兆円のもうけ)、これと概ね一致した内容になっている。

●このように、政府の収奪体制は維持されているわけであるが、「財政再建」を標榜して実行しようとしていることは、ここから更に「『福祉国家の行財政の解体再編』で、新自由主義的行財政改革の日本版」を実施するものであると指弾されている。

 そして、政府の財政再建策の「二つの問題」が鋭く指摘されている。

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①財政破綻の原因究明と政治責任の欠落(これは説明するまでもないが、プライマリーバランス論は、特に、この問題を顕在化する)
②社会保障関係費は財政赤字の主因ではない。にもかかわらず、政府の財政再建策は、これを中心に行う方向を強く示している(社会保障と地方交付税)。
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 岩波氏の社会保障関係費の分析は精緻で興味深いものである。これは『経済』の論文で直接当たって欲しい。結論だけ引いておこう。社会保障関係費は、「両政府からの社会保障基金への経常移転をあわせると、中央18.2兆円、地12.9兆円、計31.1兆円となるが、公共事業関係費(中央17.7兆円、地方24.7兆円、計42.4兆円)より小さい。このようなことは先進資本主義国では例がないのである。」と。

●財政危機否定論者が共通して、指摘することは、日本の家計の金融資産の大きさであろう。1450兆円の個人金融資産があると。アルゼンチンなど財政破綻した国家異なり、海外から資金を導入しているわけではなく、国民から国家が借りている状態である。つまり右手が左手から借金をしているという認識である。
 勿論、今後のことは横に置いても、過去の日本資本主義の蓄積様式は、この個人の金融資産の大きさ(貯蓄ー投資)に支えられてきたことは事実であろう(評価は色々あるが)。

 しかし、同時に、岩波氏が指摘したように、国家や企業による家計の収奪が、財政破綻を回避する政策の中にビルトインされていることは重大である。財政危機は、例えば大増税がスムーズに行われれば、それはそれとして解消するわけである。しかし、このこと自体が、国民大収奪であり、富の労働者から政府・企業部門への「大移動」である。インフレによる貨幣減価によって財政破綻を「脱却」するか、直接の収奪によって「回避」するか、この選択肢しか国民に示されていないわけである。

●小泉構造改革の罪は重い。万死に値するだろう。
 ホリエモン事件が、市場万能論の本質の一部を国民に明らかにした。国民は左の頬をたたかれたのである。財政破綻回避の政策によって、今後は右の頬をたたかれるのか?大人しく右の頬を差し出すのであろうか。