2006年12月21日(木)
夕張市の恐怖と運動の課題
●夕張市の「準用再建団体」問題が猛威を振るっている。既に、夕張問題については、2回ばかり簡単なコメントを書いたが、今回は若干趣を異にして、最近の夕張市の事態と労働運動や市民運動の課題について書いて見たい。
「財政再建団体入りを決めた北海道夕張市で、今年度末までの退職を申し出た職員が19日時点で110人に達したことがわかった。職員総数(約300人)の4割近くに達することになり、急激な職員減少で行政サービスに支障が出る可能性も出てきた。
後藤健二市長が20日の市議会の答弁で明らかにした。市は年末まで退職希望の申し出を受け付けており、さらに退職者が膨らむ見通し。19日時点の退職希望者のうち、早期退職勧奨の適用申請などが99人、定年退職が11人だった。
市は11月にまとめた財政再建計画の基本的枠組みの中で、退職金の段階的な削減を通じて職員数を2009年4月までに半減させる目標を打ち出していた。市の年度末の退職者想定数は83人」(日経新聞12月20日)ということで、市職労のアンケートでは退職したい職員が80%以上もいるので、近い将来に市の職員は60人程度になってしまうことになる。
夕張市の財政再建の具体の内容は、「再建計画の素案 年内提出見送り 夕張市「国、道と調整中」(北海道新聞、12月18日)ということで、「計画策定へ向けた市の日程案では、来年一月には再建計画案を示すことになっていることから、素案を飛び越して再建計画案そのものが提示される見通し」であると報道されている。既に、特養ホームから老人を40数人追い出す計画や、図書館、保育園の廃止(民間委託が可能か)なども打ち出され、200人以上が夕張市から移転をしたというニュースも流されている(実際の状況は不明)。
●以上のような状況は、「金満ニッポン」の出来事である。夕張市では、既に雪かきの予算なども逼迫しており、本格的な冬に向かって住民の不安や、市当局に対する「怒り」も増大している。こういう中で、「夕張市 市長給与70%削減 観光開発、今冬期末なし」(北海道新聞13日)という報道もされているが、一般職員は給与30%減、定数を半数にするということで勧奨退職を募ったところが、民間のリストラの上を行くような応募状況で、上記のような内容になった次第である。
こういった事態をどう見るのか。素材として面白い議論が掲載されていたので、紹介をしておきたい。
「夕張市職員よ、「公僕の一分」はないのか!」というもので、ライブドアニュースに掲載されたものである。
「行政機能が壊滅するとは、具体的にどのような事態が起こるのか容易には想像がつかない。卑近な例で考えて見ると、ゴミ収集がなくなれば各家庭内は生ゴミなどで溢れ返り、衛生面での問題が浮上する。また下水道のサービスが途絶するとなれば、街はどういう状況に陥るのか。市内に病院がなくなれば、重篤な病気に罹ったときにこの雪深いところでどうして命を繋いだらよいのかなど考えれば考えるほどGDP世界第二位と言われる経済大国で起ころうとしている事態とはとても思えないのである。だから、そうした事態をわたしは浅学にして第二次大戦直後の大混乱期を除いてはすぐには思いつかない。
公務員とは「公僕」と称されるように、憲法第15条において「公務員の本質」は「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定められている。国民に奉仕する公僕であるからこそ、公務員には一方でさまざまな面での保障がなされている。言葉を変えれば国民は「国民に奉仕するサーバント」として雇用する代償として、公務員に身分保障を与えたと言ってよい。然るに今回の夕張市で起きようとしている事態は、国民たる市民に奉仕することなくして、破綻という最悪の状態に自治体を陥れた挙げ句に、自治体再生という最も重要でかつ重大な使命を果たすことなく逃亡を図ろうとしていることである。」
●常識的にみても、数年後に8割の職員がやめてしまう事態は、行政崩壊を意味するだろうし、それが住民生活に及ぼす否定的影響も計り知れないだろう。そこまでは、常識論だが、この記事では、自治体職員が「全体の奉仕者」であり、(公僕として)身分保障を与えられていたということから、破綻に当たってやめることは「使命を果たすことなく逃亡を図ろうとしていることである」と結論していることである。
確かに、不利益を顧みず、踏み止まって住民のために身を粉にして働くことは「選択の一つ」になるであろうし、また、そうしなければ他に生活の道がない職員もいるかもしれない。
現在の公務員制度改革の方向は、職員の身分保障などは剥奪し、官民の交流を盛んにして、そういう方向に不都合な「労働基本権の制約」など官民の不一致はやめようという議論が主流になっている。
しかし、夕張の事態を見て言えることは、まず「職員の身分保障」などはあったのか?という素朴な疑問である。職員にも今日の夕張市の事態をもたらした責任が「全くない」とは言えないかもしれないが、それは、民間会社でも「経営者と一般社員」では責任は自ずから異なる。経営の失敗の「尻」を社員の犠牲によって乗り切るのと、全く同様の事態であると言ってよい。
実質的に働き続けることが不可能な「職員」(現時点で)がやめることに対し、「全体の奉仕者」の議論をもって批判することは当を得ないであろう。やめた瞬間にタダの住民であり、国民である。更に言えば給与や労働条件(もちろん「定数」もその最大のものの一つである)を勝手に変更して、「公僕」だから我慢しろという議論もあまりにも乱暴である。
しかも、「政府は15日の閣議で、北海道夕張市の財政破綻について「原因は同市の許容範囲を超えた支出、収入の大幅減への対応の遅れ、財務処理手法の問題などにあり、国に責任はない」とする答弁書を決定した(日経新聞12月15日)と報道されている。全く冗談ではない。何回も指摘してきているが、破綻した第三セクターや、リゾート開発の促進を自治体に迫ったのは、政府であり自治省(当時)である。これに安易に乗っかり、傷口を深くした自治体の判断は責められてしかるべきであるが、それを国として奨励した責任がないなどとは口が裂けても言えないことであろう。
●これに加え、許せないことは、夕張市は財政再建法による「準用再建団体」という手法で、財政を再建させようとしている。これに対し、総務省内に設置された「新しい地方財政再生制度研究会」の最終報告は、夕張市の犠牲の大きさを「地獄絵」のようにして、全住民や国民に晒すことによって、その提言である「早期是正スキーム」の導入を正当化しようとしていることである。曰く、「夕張のようになる前に、財政を健全化する必要があると。
つまり、夕張市で現在、そして、これから生起することは、「早期是正スキーム」が必要であると、国民に認知させる装置になるわけである。
もちろん、現在、総務省が使用している自治体の財政の健全性の指標である、経常収支比率や実質収支、起債制限比率などについては、私も以前から、現在の財政危機の指標としては適切ではなく、累積債務を正確に示すことや、第三セクターを含めた「連結決算」などが必要なことは、何回となく指摘をしてきたところである。従って、自治体の実質的な財政の姿を正確に示す指標が必要なことは、言うまでもない。
問題はそれが必要だということではなく、早期再生ということによって、自治体の自主性を奪い、早期にリストラを推進しなければならない状態に自治体を追い込むことである。
しかも、三位一体改革の「結果」をみれば、税源移譲が3兆円強であったのにたいし、自治体の持ち出しは形式的に見ると地方交付税・臨時財政対策債、補助金等の削減によって、差し引き6兆円にのぼる「持ち出し」を強いられているのである。これはフェアではない。
財政危機に陥った自治体の職員の給与などを削減することは、現在の法律では全く違法ということはできないだろうが、それに至る「説得性」や説明責任が自治体になければならないだろう。市長の給与を70%削減したから、一般職員は30%などといういい加減な議論を通用させてはならないだろう。
●さて、はなしを戻そう。「公僕」が逃亡することを非難する記事がある一方、同じライブドアのニュースに「私は市職員は至極当然の対応だと思った。彼らにも家族がいて生活もあるのだ。収入が激減するなら、また新しい仕事でも探そうとするのも自由である。確かに「財政破綻の一端」ではある市職員だが、市の政策の最終決定権があるのは市議会・市長であり、彼らが「NO」と言えば政策を実行できないし、また、当然彼らは彼らなりに財政再建案を作成しただろうが、選挙や目先の利益を優先する市議会・市長・市民に突っぱねられてきただろうことは容易に想像がつくからである。」というものもあった。
これは、かなりドライな議論であるが、ノー天気にも「職員が半分以下になるのだから、市の人件費の削減は進むだろうし、また今の給与体系でもいいから、新しく夕張市のために働きたいという人たちも大勢いるだろうから、その人たちを新規に雇ってはどうだろうか?それは何も年齢制限する必要はない。2人に1人が年金生活者の市なのだから、お年寄りでも職員として採用したり、またワーキングシェアリングなども多用して、短時間職員を雇うなどの対応でより多くの職員を雇うことはできないものだろうか?」などと問題を投げかけている。
夕張市を退職した職員が、また、半値で「非常勤職員」として戻ってくるというような、「近未来」は結構リアリティがあるが、大体、こんなことで「統治体」としての自治体行政が成立すると考える方がおかしい。保育園、福祉事務所、清掃、上下水道、介護保険、特養ホームなど、実際の行政はどうなるのか。もう、近未来には、夕張市にはこういった行政は存在しないと考えるのであろうか。まさに、自治体の「非自治体化」の雄大な実験であろう。夕張市は「人体実験」を行われるに等しい。
●冬が深くなるなかで、ボランティアによる雪かきなどが行われ始めている。労働組合でも、こういったボランティア活動を行うことを目指しているところがある。
私は、こういった動向について、「困った時はお互いさま」という住民の連帯などは、非常に重要なことであると思うのであるが、これを前提として少し異論も唱えておきたい。
私も何回となく、阪神神戸大地震の際には、現地に行き、それなりに支援活動も行って来たのであるが、あの大地震は、ある意味で予測の立たない自然災害であり(もちろん、それに対応して来なかった行政や個人の人災の側面もある)、命の危機に対し、ボランティア活動というのは、全く馴染むものであり、緊急の救援活動の重要さは、いくら強調しても強調しすぎることはない。
しかし、夕張は自然災害なのか?そうではないだろう。明らかに、政府、北海道、夕張市の三者による人災であり(住民の責任は、甘い汁を吸ったわけでもなく、ムダな公共事業に淡い期待を抱いて、それを推進する市長や議員を当選させた程度のものであろう)、自然に発生したものではない。
もっと厳しく言えば、人災とも言えない。すなわち、国のエネルギー政策の転換の中で人口12万人から1万2千人まで10分の1に人口が減少する中で、地域産業も荒廃し、どこから手をつけてよいのか全く展望のない中で、リゾートや公共事業に依存した開発行政を、過大な規模で進めたことにあろう。北海道の自治体の三分の一は、地方税が歳入にしめる比率が5%以下である。全く地域に税源がないのである。
その税源の少なくない部分に、議員や市の職員の住民税(税金によって支払われる)がある。保育園の入園児の両親の職業も、公務員が多いかもしれない。
つまり、事態は自然災害でもなく、人災でもなく、こういった事態まで自治体を追い込んだ政府の犯罪であり、自治体の共謀罪であろう。犯罪の「後始末」にボランティアは馴染まない。
犯罪行為に馴染む運動は、自治体の「非自治体化」=自治体つぶし、に反対する全国的な大運道を展開することであろう。北海道の町村の道庁に対する不信は極限に達しているように見える。出口の見えない絶望的な事態である。
雪かき一つとっても、例えば、岩手県では権限・事務移譲によって、人と予算をつけて、県道と市町村道の雪かきを総合的に行っている。北海道も権限移譲には熱心であるが、岩手県程度のこともしていないのでは、どうにもならない。ボランティアの前に、北海道当局がやるべきことは五万とある。
夕張市を夕張町に「格下げ」することも検討されたようだが、市の生活保護も道庁が行っても問題ないし、広域的に行える行政は広域化しても差し支えない。そういう政策以前に、財政再建のスキームが決定されていくことは、実質的に自治体をつぶすことになる。
現実問題として、夕張市が統治体としての夕張市で有り続けることは、相当に困難になっているように見える。第二、第三、第四の夕張が出てくることも予想できる。北海道の自治体だけでも、10指に及ぶのではないか。
これで180残っている市町村の合併は、イヤでも進行するだろう。しかし、合併してなにか、財政面や行政面でプラスになることがあるのか、全く不明である。北海道の町村会では、合併ではなく、「市町村連合」方式によって、事務の広域化と権限の移譲などを考えている。
これは正論だと思うが、問題は「運動」であろう。個別に自治体がつぶされる前に、全国的に手をつないだ運動が求められている。地方自治は憲法上の大きな存在である。ここに着目した運動のが今ほど求められている時はないだろう。


