2007年08月23日(木)
「ふるさと納税」の行方と問題点
菅総務相が提言した「ふるさと納税」制度について、少し感想を述べておきたい。
この「ふるさと納税」制度が提言された「背景」には、日本の社会的格差の一環としての「地域格差」やいわゆる「東京一極集中論」などがあり、地方の自治体が財政的な困難に陥っている現状と相俟って、これを「なんとかしたい」という雰囲気が存在していることであろう。
現に、構造改革路線を一応踏襲した安倍首相は、この間の参院選挙において「安倍を選ぶか小沢を選ぶか」という選択肢を国民に「つきつけ」て見事に惨敗を喫したわけであるが、この原因として構造改革の負の側面(正の側面があるとも思えないのであるが)への「手当」を重視しなかったことが、自民党の内部からも指摘されている。
そういう面から見ても、菅総務相の提起はそれなりに、構造改革の「負の側面」を地方を巻き込むことによって「克服」しようとする路線、流れであったと言えるだろう。主として地方の自治体から(特に地方の県)から「賛成」の声が上がり、地方格差の是正の要求をともなって、一定の世論を形成したことも事実であろう。同時に、首都圏や大都市部の自治体からは、一方的に自治体の課税権を奪い、大都市を狙い撃ちした荒唐無稽な議論であるという批判が展開された。
様相は大都市部と農村部(地方)の対立となり、これを煽るといった不毛の議論となりつつあるが、総務相における「ふるさと納税」研究会は、なぜか未だに議論を継続している。
この問題を、これまで取り上げなかったのは、単に私の「時間的な制約」の問題もあったが、税財政の専門的な立場から見ると、「議論に値しない、低次元」の話しということもあった。一応の専門家?を集め、なおかつ、ここまで議論が継続するとは到底理解できない(簡単にポシャると思われた)問題だからである。
あるシンポジウムに出席した神野東大教授も、「この議論を表題にするシンポや講演には出ないつもりでいた」と露骨に「ばかばかしさ」について強調していたが、当然の意見である。
この「ふるさと納税」制度に関する議論が、これまで継続してきたのは、一つには自民党の選挙政策に取り上げられたこともあるだろうが、経済財政諮問会議の2007年の骨太方針にもり込まれたこともあろう。そこで、「ふるさと納税」制度についての研究会の検討状況を若干見ることによって、それに対する私の見解をのべておこうと思った次第である。
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総務省に設置された「ふるさと納税研究会」の趣旨は以下のようになっている。
「最近、地方公共団体の長などから、都会に転出した者が成長する際に地方が負担した教育や福祉のコストに対する還元のしくみができないか、生涯を通じた受益と負担のバランスをとるべきではないかとの意見が、また、都会で生活している納税者からも、自分が生まれ育ったふるさとに貢献をしたい、自分と関わりの深い地域を応援したいとの意見が寄せられています。
このような「ふるさと」に対する納税者の貢献等が可能となる税制上の方策の実現に向け、幅広く研究するため、総務大臣のもとに研究会を開催します。」
また、検討事項は次のようになっている。
(1) 「ふるさと」に対する納税者の貢献や、関わりの深い地域への応援が可能となる税制上の方策
(2) 税理論上の整理
(3) 「ふるさと」とすべき地方公共団体の考え方
(4) 納税者の手続及び市町村の事務負担を考慮したしくみのあり方
(5) その他実現に向けて検討が必要な事項
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「ふるさと納税」というごとく、当初は、住民が自分の育った「ふるさと」などに「自主的」=納税者主権?に納税できるように、都市部からの農村部への税源の「再分配」をも射程にいれた議論であった。ところが、上記の内容をみると、議論はするものの、最初からこの住民税等の税の納税地の「選択」という視点は希薄になり、納税者がふるさとを支援・ふるさとに貢献できるような「税制上の方策」などと、かなり曖昧化している。
さらに、具体の「検討内容」をみると、「税理論上の整理」というように、「税」を念頭においた議論はするものの、実際には、「関わりの深い地域への応援が可能となる税制上の方策」などと、税以外の方法もあり得る(実際には税以外のやり方しかあり得ない)との考えが「行間」にあふれ出ているのが実態である。
税や財政の専門家でなくても、少なくともこの研究会を主宰する総務省も、税としての議論が「無理筋」であることを重々承知している書きぶりである。
そういう意味で、多くの国民の「誤解」を招いてしまったが、ふるさとと呼べる「自治体」を納税者が選択をして、自主的に「納税」する、納税地の選択権などという議論が入る余地はないのである。
しかし、方向を曖昧にして「幅広く」ふるさとへの「貢献」「支援」を議論する研究会にしたからこそ、いきなりポシャることもなく、現在まで継続していると考えられる。
さて、第3回の研究会あたりで、議論の整理を行っているが、ここで既に「方向性」が見えている。多少、煩雑な内容になっているが、正確を期すために、整理を全文引用しておこう。
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「ふるさと納税」に関する主な論点.課題等
意義
*地方は都市部に入射などを供給するとともに、森林、農地などがもたらす公益を都市部の住民に提供しているとの意見
*ふるさとに貢献したい・支援したいという個人の思いを税制上実現すべきとの意見
*税の使い達や流れに関心が深まり.地方自治に対する参加意識が高まるとの意見
*過去に提供した行政サービスに係る負担と、それに見合う還元の仕組みを実現すべきとの意見
*都市と地方が良い関係をつくっていく契機となりうるとの意見
*環境を守る意識と密接に結びついているのではないかとの意見
*税収格差の是正問題とは峻別して考えるべきとの意見
「ふるさと」の定義等
*「ふるさと」の定義
*「ふるさと」に封する貢献・支援という制度の趣旨との関係
*要件の確認・認定等の事務手続
租税の基本的考え方との関係
○受益と負担の関係
・居住している地方団体から受ける行政サ-ビスに潜目して税を課すという住民税における受益と負担の関係
・納付先の課税の根拠
・時間軸(ライフ・サイクル)の中の受益と負担
○課税権に関係する課題
・住所地の地方団体の課税権と納付先の地方団体の課税権との関係
・滞納が生じた場合の対応
・条例の効力が及ぶ範囲と課税の関係
・選挙権を有しない地方団体からの課税及び納税
○納付先を任意に選べる仕組み
・納付先の任意性と租税の強制性との関係
○住民間の公平性
・住所地で受ける行政サービスと税負担水準との関係
税制としての構成
*税又は寄附(所得控除・税額控除)
*事務執行面の課題
*納税者にとって使いやすい手続
*納付先の確認・振り分けなどに要する地方公共団体の事務負担
*特別徴収義務者に生じる事務負担
その他の制度設計上の課題
*移転できる税額の割合
*都道府県と市区町村の振り分け
*所得税との関係
*交付税制度との関係
その他関連する論点
*選択する納税者の割合
*税収見積りにおける予見可能性
*使い途
*地方団体の行動に与える影響
****************引用終了******************
というわけで、内容的には「税又は寄附」という項目に象徴されるように、「税」ではなく「寄附」の話しに限りなく接近していく方向を示唆している。その後の研究会の状況を見ると、まさにそのようになっており、「ふるさと納税」として組んでいく方向ではなく、自治体に対する寄附に際する「控除」や「所得税」との関係など、確かに「税制」がらみの議論ではあるが、本来の「納税」とは無関係の議論に「発展」しているわけである。最初から「横路」に逸れているので、本来なら研究会を解散したらよさそうなものであるが、最初から「織り込み済み」で横路への逸れているという面を持っているわけである。
議論を見ると「どうやってふるさとへの愛情を育てるか」「ふるさとという意識をもってもらうか」「できるだけ多くの人に寄附をしてもらうためにはどうするか」など(議事録が全面的に公開されていないので、詳細は不明であるが)が出ているようである。公費を使用してくだらない議論をする体のもので、「大きなお世話」であると言いたい。安倍首相の『美しい国』における「愛国心の涵養」などと同じで、「ふるさと」がぶち壊された原因も背景も全く解明されていない。結果として「地域格差」の原因への言及もなく、ふるさとから遠く離れて生活せざるを得なくなった「背景」などもすっ飛んでいる。
さて、この程度の「批判」をもって、「ふるさと納税」についての批判とするならば、敢えてこのブログで取り上げるまでもなく、多くの人が好き勝手なことを書いているので、殆ど意味はないだろう。
ここでは、「では、なぜ跡田氏のような一応の税財政の専門家も入った研究会で、こういったことを議論するのであろうか。彼らは何を考えているのか」という視点から、もう少し話を追って見たい。
「ふるさと納税」を「税」として組むためには、当然のこととして税のルールに基づく必要がある。いわゆる「課税承認権」「支出承認権」などが、税制民主主義の基本として存在することは言うまでもない。国家権力による強制の作用を否定するものはいないだろうし、これが「納税の義務」として規定されていることも周知の事実であろう。
また、税として制度を組む場合、住民税の場合課税権は自治体に存在するわけであるが、その自治体に居住していない「住民」に対する「課税」の根拠はどうなるのであろうか?課税の客体もそこには存在しない。また、選挙権もないわけであるから、その自治体の支出への承認権も機能しない。つまり、税を納めて貰う「自治体」の側が、それを「貰う」だけの根拠すら存在しないことになる。まして、「滞納」(笑い)の場合の徴収などは、どうなるのであろうか。どう考えても「憲法違反」のオンパレードであろう。「受益と負担」の一致がないなどという「地方税の原則」?に基づく、曖昧な批判以前の問題である。
また、税として組めば、当然にその自治体の基準財政需要額に算入されることから、それに対応する分、地方交付税が減額され、自治体の歳入は「ふるさと納税」の増加分ほどは増えないのが現行制度の仕組であり、ナンセンスさは、増幅される(およそ、考えるだけあほくさい議論である)。だからこそ、地域間の財政調整機能を期待することは「できない」という議論が、最初から幅をきかせているのである。これに対する反論らしきものは、強いてあげれば「ふるさと重視の機運や地域格差への認識」を啓蒙するといったレベルのものである。
さて、そこで、議論は税から「寄附」へとワープすることになる。
跡田氏は、ご存じの方もいると思うが、「寄附による投票」という制度を提唱し、長野県の泰阜村などで広く村内外の国民に泰阜村への「寄附」を呼びかけ(使用目的を高齢者福祉や環境の保全などいくつかの項目にわけ、寄付者がそれを選択することになっている。この間、障害をもつ高齢者の海外旅行などにその寄付金が活用され、村の広報にもそのことが記載されている)たことなどは、かなり知られた事実である。実は、私も泰阜村が「小さくても輝く自治体フォーラム」などで果たしている役割や、長野県の合併しない自治体への支援策などに共感して、この寄附を行ったのであるが、この「寄附による投票」という考え方にすべて賛同しているわけではない。
現時点で、その自治体の自然環境保護であるとか、文化遺産の保護や、福祉の充実など「ふるさとへの寄附」も含めて、様々な内容の「寄附」が募られている。租税国家において、寄附が大きな歳入のウエイトを占めることは考えられないが、寄附行為そのものは、寄附する側の思いもあるし、される側のメリットも当然にあり、否定することはできない。
しかし、「寄附による投票」という行為によって、例えば、自分が居住する自治体への「寄附」が、その自治体に特定の政策選択を促すことにつながる場合などは、「注意」が必要である。
先に指摘した支出承認権は、狭い意味での納税者だけに限らず、住民全体の権利であり、生活保護を受けていようが、様々な給付を受けていようが、納税をしていなくても、なんの変更ももたらさない。国民=住民としの「権利」なのである。
もし、寄附という一定の「意思」や「金銭的余裕」によって、自治体或いは国家の政策が影響を受ける場合(政策の順位付けなどに活用されることも含め)、新しい形態の「利害誘導」になりうるし、また、「金持ち」による政策の「私物化」に帰結する恐れすらもたらされる可能性がある。「住民参加」や予算編成における新しい手法という一面だけで評価することはできない問題である。
自治体等への寄附(これは当然に、自治体から、新しい「公共空間」としてのボランティアセクター、NPO等への寄附とも連動する可能性があるが)を通じて、どのような「控除」がもたらされるのかとも関連してくる。事実上の「節税」と、自治体等への一定の政策上のプレッシャーなどが、同時にもたらされる場合、これは新自由主義的な税制の歪みを生じさせることになろう。
強者による節税と政策的な利害誘導などが、最悪の想定となる。自治体の方も、地方消費税の引き上げ(現在は5%の消費税の内、1%が自治体の取り分であるが、この比率を上昇させ税源の地方移譲に活用する議論や、消費税そのものの税率を上げることなどを含む)などに期待せず、消費税の逆進性に真っ向から立ち向かいつつ、同時に、企業優遇税制是正や累進課税の強化など、税制民主主義の「本道」に立ち返った議論をすべきであろう。
こういった「勇気」をもつことが、実は、現在の更なる自治体再編の推進=市町村合併の更なる「強制」「誘導」や、町村とりわけ人口小規模の自治体の「窓口町村」化=自治体潰しに立ち向かうことと連動するのである。第29次地制調では、いよいよ、自治体潰しの手法としての「西尾メモ」の新バージョンの議論に入るだろう。「審議項目」を見る限り、これは杞憂ではなく、現実のものとなりそうである。これについては、また、日を改めて、論ずることにしよう。
注)「西尾メモ」とは、周知のように小規模町村(人口規模は明記されなかったが、自民党は1万人未満を主張した)について①他の自治体の「内部団体」にすること②都道府県などに事務の実施を補完してもらう「事務配分特例方式」という手法でもって、小規模自治体を「非自治体化」すること、つまり、「総合行政体」としての自治体ではない「窓口町村」にしてしまう提言であった。西尾氏自身は、その後の学会におけるシンポジウム等で、「西尾メモ」と個人の見解は異なるという表明をしている。また、上記の①②自体が「不可能」な手法なので、「西尾メモ」は不可能なことを提言したことから、実際には小規模自治体を潰すことを限りなく不可能にする「意味」があるという「善解」なども出ている。
西尾メモ自体は、確かに当時の総務省の官僚の「作文」であろうが、やはり発表したのは西尾氏であり、「西尾私案」なのである。これに危機感をもった小規模自治体がその後、全国的ネットワークをつくり「小さくても輝く自治体フォーラム」などを開催してきたことは、この「私案」の歴史的意味を物語っている。第29次地方制度調査会(なぜか、未だに「地方制度」を冠にしている不思議な審議会ではあるが)の「審議項目」を見ると、またもや、この「西尾私案」の亡霊が新バージョン化して「徘徊」する可能性が大である。


