2007年03月25日(日)
秋田県「子育て新税」の怪
●秋田県の寺田知事が固執している「子育て新税」というのをご存じだろうか。地元秋田では「大問題」になっており、今回の地方選挙に立候補している「大半」の候補者が「反対」をし、しかも、県議会で「拙速である」という反対決議すらあがっているのである。しかし、寺田知事は「めげる」こともなく(今回の地方選挙では秋田の県知事選挙はない・・・)、「子育て新税」の導入を主張しているのである。
地元では、世論の反対にも拘わらずこれだけ粘着するのはなぜなのだろうか。どうして、他府県でも導入していない「子育て新税」を「秋田」でということになるのか。また、財政危機や赤字の後始末を県民に負担させるということはどういうことなのか、など批判と疑問が渦巻いている。
さて、「子育て新税」とは、最初の構想と現在の構想がかなり変化しており、その面での「いい加減さ」も指摘しておかなければならないのだが(それはさておいて)、当初は「目的税」として、少子高齢化が全国屈指の秋田において、子育て支援や教育費に「目的」を限った税を導入するプランが公表された。このプラン作成と並行して、「住民アンケート」なるものが実施され、「子育てや教育に関して、充実させるための増税」についての賛否を問うている。このアンケート自体、かなり「誘導尋問」的なものであり、財政が赤字になって少子高齢化がこれ以上進むと、取り返しがつかないので、「やむを得ない」というような雰囲気に「囲い込もう」という意図が「見え見え」のものであった。
しかし、そのアンケートですら、総じて「反対」の方が多く、賛成は少数派であった。寺田知事は、マスコミ報道によれば、反対が多くても「やる」という意気込みで、30%位の賛成があれば、議会に提起するという姿勢を示していた。
●この辺りから、「とのご乱心」という雰囲気はあったが、住民団体や労働組合などが機敏に立ち上がった。世論の反対が圧倒的であると見るや、知事は「目的税」から「住民税引き上げ路線」に転換し、最終的には(まだ、最終ではないが)、住民税の一定所得以上の納税者に0.4%程度の税率の上乗せを行うというプランを示した。比例税であるので、一定の所得以上層では1万円を超える増税となるし、住民税課税所得に達していれば、かなりの「低所得層」でも「増税」となる。
当初案の「目的税」は、かなり「危ない」ものであり、現在「少子高齢化対策費」や「教育」に使用している財源との関係の整理が着かない。細川内閣の時に「福祉目的税」として消費税を引き上げるプランが夜中に公表され、あっという間に世論の反対で「没」になった経緯があるが、この事実を想起させるものであった。自治体の財政危機は事実であるが、別に「福祉」や「少子化」対策費だけが不足しているわけでもなく、全体のバランスを考慮した予算編成が必要であることは常識であろう。
日大の北野弘久名誉教授は、常に「日本国憲法の下においては、全ての税は福祉のために使用されるべきであり、軍事費などは憲法違反であり、また、『福祉目的税』なども憲法の想定している税の性格を歪める憲法違反のものである」と主張されてきた。憲法論として、突き詰めて考えれば「当然」のことであろう。
●それで、私が「全労連」の機関紙にこの問題での「談話」などを出したこともあり、秋田からお呼びがかかった次第である。「子育て新税学習会」(秋田県革新懇、子育て・教育支援を考えるネット主催)が開かれ、財政を中心とした話を行った。
私が強調したのは、何点かあるが、
①自民党の改憲案にある「地方自治の章」の「改正」プランは、かなり多くの条項がある。まず「自分のことは自分でやる」という国や都道府県の役割の「後退」を前提にし、できるだけ市町村に「身近な(些末な)」ことを行わせ、負担分任制度(受益者負担の強化)、自治体の財政の健全化を憲法で義務付け(リストラの事実上の強制によって、自治体を夕張市のような「植物自治体」にする)、そして地方特別法に関する住民投票を廃止するというものである。今回の「子育て新税」は、こういった安倍政権の下での「改憲」プランに合致するものである。
②「地方分権」「地方分権」とことあれば強調されているが、現在の「進行方向」は地方の裁量度の拡大の名の下に「自由な増税」と歳出の削減が目指される状況になっており、この点でも「子育て新税」は方向性が合致している。
③秋田県は、子育て支援や高齢化対策を他府県に比べて重視して来たと、寺田知事は述べており、その上で、「なお重視」「足りない」部分は、県民の負担でという主張である。秋田県の民生費や、少子高齢化対策費は人口一人当たりで、確かに多い方ではあるが、実は「人口密度」と「少子高齢化対策費」をクロスさせて47都道府県の分布図を見ると、全体の分布の近似曲線より「下」に秋田はある(つまり、「並」以下)。
また、高齢化率と一人当たりの「少子高齢化対策費」の分布を見ても、これは秋田県は、近似曲線のかなり「下」にある。

他方で、歳出に占める「土木費」「投資的経費」の水準は、全国的にかなり上の方になっている。また、秋田県の長期的財政支出の傾向を見ると、教育費が一番減少しており、投資的経費も97年をピークに確かに減少しているものの、減少率は全国水準以下になっている。そして、その投資的経費の「後払い」である「公債費」は04年にピークになっているのである。
しかも、交付税が減らされている中で、投資的経費に占める「単独事業」(県の一般財源持ちだし)の比率は結構高い方なのである。
以上をまとめると、秋田県は現時点でも「教育大県」でも「少子高齢化対策費大県」でもなく、むしろ「土木大県」的な財政構造を維持していると言うことができる。
④このようにみてくると、これまでも少子高齢化対策を重視し、なおかつ今後もこれらの支出が増嵩するので、「予め」増税を県民にお願いするというような「大前提」がそもそも成り立たない、ということなる。
⑤しかも秋田県の人口一人当たりの住民税は、全国最低レベルであり、この面からも、住民税への上乗せは、もっとも避けるべき手法である。
●というようなわけで、当日は資料を配布して「事実」に基づいて、以上のことを立証しつつ、私の見解を述べた。今回の「子育て新税」の対象には、当初は学校の建設などのハードの部分も潜り込まされており、さすがに、議会の追及などでこれは撤回したが、全く「油断も隙もない」とはこのことである。
そこで、どうしても強調しておきたいことは、「地方分権」「地方の裁量権の拡大」「自由と責任」というような流行のフレーズが一体なにを意味しているのか、と言う問題である。
私は、小泉構造改革における「地方分権」などの方向は、自治体に福祉の切り捨てを事実上「強制」する「福祉国家破壊型の地方分権」であると主張しているのであるが、「子育て新税」は、この「税」の面における一つの典型方向である。
同時に、全国的にみて、「行政サービス制限条例」のようなものがかなりだされており、また、国保証の「取り上げ」や「生活保護申請の水際排除(北九州方式)」などが跋扈している。
これは、負担をしない(実際には「できない」)住民に課罰的な仕打ちを行い、その地域の中で発生する受益をその地域内で(実際の受益とは関係なく)負担させるという路線になる。
●受益と負担の関係は、地方税にあっては、「応益負担」説が優勢にみえるが、実はこの「応益」とは課税の根拠(応益のない事象に対する課税はあり得ない)であり、負担の配分とは異なる論理だというべきであろう。つまり負担の配分は、地方にあっても「応能負担」が憲法の負担原理であり、地方にも適用されるべきなのである。
秋田県は「自殺大国」であり、もう10何年も一位を続けている―近年「自殺対策基本法」なども制定され、秋田県下の町村の自殺対策での「成果」にも目が向けられているが(本橋豊『自殺が減った町ー秋田県の挑戦』)―全国一の人口減少県でもある。
秋田市も、この間の合併がなければイオンなどの郊外展開型のSCにおされ、「中心街」の空洞化も拡大し、下手をすれば中核市の用件である30万人割れも現実のものとなる可能性すらあったのである。
日本の自殺は98年から急速に拡大し、3万人を超える水準を保っているが、「自殺対策基本法」が正しく述べているように「自殺は個人的なものだけではなく、社会的なもの」である。
中高年の自殺率の高さ、特に98年以降はこれが拡大している。同時に、注目すべきは(多分、常識とは異なって)、自殺は農村部の方が多い。これは高齢者の方が自殺率が高いということから、ある程度の相関関係はあるが、しかし、それだけでもない。最新の自殺率は、秋田、青森、岩手、山形と東北地方が多い。農業の衰退と人口の過疎化、地域産業の地盤沈下などが「総合的」に作用し、「鬱病」などの拡大と共に、自殺の背景になっている。自殺する中高齢者には、一人暮らしよりも家族との同居の方が多いのも、特徴である。これも常識と反するかもしれないが、家族間の生活様式、意識の違いなどが「軋轢」となり、自殺の背景を形成していることも想像に難くない。
●自治体とは、住民の「平和的生存権」を守ることにその「存在意義」があるのであって、地域を活性化させるための、住民の様々な取組、NPOやボランティア組織などの運動の重要性と共に、統治体としての自治体の果たすべき「政治」というものがある。
これを忘れて、住民に不要な負担を強い、福祉や教育を後退させることは「自治体の自殺行為」である。自殺の多い秋田県で、自治体まで「自殺」をしてどうする!?というのが、私の話の「落ち」であったが、少しブラックジョーク過ぎたと「反省」をしているところである。


