2005年01月16日(日)
日本経団連の地方交付税論ー斬り!
三位一体改革が進行し、本年度はなんとか地方交付税の「総額」を維持するという「モラトリアム」が実現したが、昨年12月に日本経団連が発表した提言『財政の持続可能性の確保に関する提言ー活力溢れる未来を育むために』は、かなりハードな地方交付税「つぶし」を提言している。
まず、国地方の事務区分から、話しが始まるのが特徴である。
曰く「国、地方の財政のあり方を論じる際には、まず、現行の錯綜した事務区分を見直し、地方分権一括法による法定受託事務、自治事務の区分を基本とし、国の関与を見直すことが先決である。とくに自治事務については、奨励的補助金による誘導も含めて国の関与・誘導を極力排除する。法定受託事務についても、国の関与は最低水準の確保にとどめ、地方公共団体による上乗せは完全に地方の裁量に委ねることとする。このような考え方に基づき、法定受託事務として国が最低水準を保障すべき分野として、戸籍(旅券、住民票、印鑑登録等を含む)、生活保護、年金、医療、介護、児童手当、雇用保険、公衆衛生、警察、消防、防災、義務教育、広域的調整が必要なインフラ(拠点空港等)等が考えられる。自治事務とすべき分野は、その水準も含めて地方に委ねることとし、都市計画、社会福祉(法定受託事務を除く)、文教、産業振興などが含まれる。」
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そこで、上の図表のように、「法定受託事務」と「自治事務」に明確に分類して、「法定受託事務」については、「最低保障部分」(この中身・水準も問題であるが)は「国庫委託金(仮称)」として全て国が責任を持つ。上乗せを行いたければ、それは地方の財政責任で、ということになる。「自治事務」はどうか。これは、全て「地方の責任」(つまり地方の財源)で行うということになる。そうすると、当然、地方間の財政アンバランスが存在するので、それを調整する手段として「最小限の財政調整制度」を設定する。
その「財政調整制度」は地方交付税のように「複雑」なものでは駄目で、「人口基準等」(この「等」の中に面積などは入っているか不明)のような「簡素で恣意性のない」ものでなければならないとしている。もちろん「恣意性」の排除については、不満はない。しかし、この自治事務を実施するに当たっての基本は、財源の不足が生じた場合「歳出の削減」「受益に応じた負担増を住民に求める」ことが基本となる。
なにか、非常に「スッキリ」していて「シャウプ勧告」による事務配分の模範を見るような「錯覚」に陥るが、どこに問題があるのだろうか。
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このブログで全面展開をすることはできないので、近々メルマガ乃至は「インフォメーション・サービス」等でふれることにしたい。そこで、ごくごく簡単に批判の視点だけ述べておこう。
第一に、この「提言」はシミュレーションもない。また、例えば「義務教育費」については「国」が最低水準を保障することになっているが、周知のように「義務教育」については「自治事務」である。これを法定受託事務に付け替えて、全額を保障しようというのか?それとも、これまでのように「人件費」の半額を保障するのか。しかし、これでは、「事務分類」を明確に行って、事務の性格によって財源を付ける今回の「提言」とは相容れない。一言でいって、「とるにたらないガセネタ」である。相手が日本経団連でなければ、「アホか」の一言で終わりであるが、もう少し批判を続けよう。
第二に、そもそも、現行の「地方財政法」では、国庫補助負担金の補助率については、明確な規定がない。一般的に「国と地方の割り勘」方式とか言われているが、法的には規定がなく政令レベル以下での対応が可能な状態に貶められている。これは、シャウプ勧告などが「国と地方の事務配分」を市町村優先主義において実現しようとしつつ、現実には、「事務配分」が「機能分担」になって来たことから、「必然化」しているものである。
つまり、一定の事務について(法定受託事務と自治事務を問わず)、「事務」という視点から見ると、その流れは国と自治体が機能分担をして、相互に絡み合っている(実際には、国の関与は様々な形で残存)。そこで、この「機能分担」を反省して、「役割分担」なる用語も登場している。事務の機能分担によって、「相互依存」と「協力」を強調した結果として、国・地方の関係が複雑になったことを是正するために、国の関与を限定し、透明な関係を目指すという趣旨であろう。この辺については、複雑になるので、とりあえず塩野宏『行政法Ⅲ』や同『国と地方公共団体』などをご覧頂くとして、話しを先に進めたい。
第三に、色々と言っているが、要するにどんなに財源のない地方でも、自治事務は自分の金(つまり、住民の負担)で行えというものである。国が国庫委託金(仮称)で、「最低限」は保障してやるのだから、後は自分でやれということだろう。財政調整の必要性も「最低限」は述べているようだが、地方間の調整(補完)で行う方式だと言ってよい。しかし、地方間の不均衡問題の本質を少し横において考えれば、国が保障している「最低限」(ナショナルミニマム?)がどの地方にも本当に保障されているとすれば、何で、「財源が豊かな」地方が、他の地方の「上乗せ行政」のために「自分の財源」を再分配しなければならないのか。全くもって、説明がつかないだろう。しかも、その「豊かな」地方なるものも、財政調整を経て、財源が結果として不足してしまえば、住民の負担を強化する必要が出てくるのである。
世間では、こういう議論を「語るに落ちる」という。いかに、日本経団連の「最低限」というのが、日本の常識の「最低限」より低いものになるのか、「尻尾がでているよ」と言わざるを得ない。
第四に、こういった変則的な財政調整を「誰が、どこで、どうやって」行うのか、という民主的手続き論が全くないのである。それこそ、地方分権を語る資格にかかわる大問題だ。
今回、「三位一体改革」に関して、地方6団体が「提言」をまとめ、その後においても、地方財政計画の縮小を通じた「交付税の削減」にストップをかけたことは、日本の地方自治の歴史の「新しい頁」への可能性を示唆している
(実は、私はこの点について、楽観的な見解はもっていないのだが)。これまで、利害の錯綜する「都市と農村部」の自治体が、自主的に「共同の提言」を行うことは考えられず、地方財政の水平的な調整は不可能だと論じられてきた。しかし、今回の事態は、都市間競争や自治体間競争(それも、過疎地同士の競争など、見るに堪えないものがある)ではなく、「連帯」や「共同」という理念への転換の「端緒」(アンファング)と評価できるかもしれない。
少なくとも、交付税の配分にかかわって、自治体の代表が参加することについて、何ら心配する必要がないことはハッキリした。「話せばわかる」という次第である。
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やはり、地方交付税は「補助金化」と言われたような「弱点」を克服して、その「財源保障機能」や「国と自治体の垂直的調整」と「水平的調整」を総合的に行うことによって、地方間の連帯や国と地方の協力・共同の関係が構築できるのである。
すでに、重森暁教授や神野直彦教授が主張しているように、地方によってアンバランスの強い法人課税を国の財源として、調整財源化することも考える必要があろう。いたずらに、制度を複雑にすることは好ましくないだろうが、「人口」だけに分配基準を「純化」することは、農村を日本の「お荷物」と断定し、グローバル資本さえ生き残れば良いとする、身勝手な議論であろう。
譲与所得税など、「人口」が配分の基準になっていることも、「暗黙の下準備」として軽視できないが、この点はまた後日問題を明らかにしよう。
新年早々、不愉快な議論にお付き合いさせたことお詫び申し上げ、終わりとします。

