2005年04月24日(日)
日仏の地方分権改革の展望ー公開報告会②余話
●前回は、フランス記者の話を紹介し、日仏の財政制度の共通性などについて述べてみた。今回は、日本の松本克夫氏の話を紹介し、日本のジャーナリストが、どのように現在の日本の「分権」状況について見ているか検討をして見たい。
松本氏は、まず、「小さな自治」を大切にしようと、話をはじめた。1年前にフランスを訪問して憲法改正前の分権に関する議論やコミューンや県、州などを見た感想を述べられた。
【以下、行方による要約】・・・あまり正確ではないが、許して欲しい(笑)。
まず、コミューンの数が多いこと(これは日本でもよく知られているが)、36500あるので、日本の市町村の10倍ということである。ペルーチェという小さな村を訪問した際も、村の人たちは「合併など考えられない」と述べた。しかし、パリの総務省では「コミューンは歴史的な遺物になる。そのうち、なくなるのではないか」という認識を述べた。
日本でもコミューン(自然村のことを指すと思われる)が明治には7万あった。そして、フランスのコミューンはそれに相当するものである。フランスでは農村といっても「平地」が多く、工業化すると都市化をして行く。日本の場合、中山間地にある農村では暮らして行けなくなり過疎化をしていった。だから、フランスと日本は単純には比較できない。
合併推進論者は、フランスのコミューンは自治体として総合的行政を行っているわけではないので、「大したことはない」という。
日本にはコミューンに相当するようなものは、現在あるのだろうか。川崎市は人口130万人で、自治と言っても住民の声は届かない。自治会や町内会は下請け組織であり、自治会の人口が3万人という所もある。
こういった日本社会のどこが問題なのか。安心して暮らせるところがない。社会の安定はまず家族、コミュニティとなる。馬路村ではこういったことがシッカリと保たれている。しかし、都市部は形骸化して、コミュニティが崩壊している。会社がコミュニティの「代行」となってきたが、90年代から会社コミュニティの維持が、グローバル化の下でできなくなった。
そうなると、3万人の自殺が発生するようになった(90年代の半ばから)。イラク戦争では、去年まで17000人程度の死亡であり、毎日テロもある。これと比べて、日本は「平和」というけれども、3万人以上が毎年自殺をしている。こういう状況の下で、「制度」を語っても意味がないと思う。
こういった日本社会の現状をさしおいて、合併や財政効率化などについて語ることは、政治的鈍感性を示している。
ヨーロッパ地方自治憲章では、サブシディアリティ(補完性の原則)によって、住民に近いところでできるだけ多くのことを担うことを謳った。合併によって、そうすると言うが、大きくなって自立は達成できるのか。行き着くとことは、道州制。それでよいのか問われている。小さな自治を考える必要がある。フランスのコミュニティ、アイデンティティがどれだけ、住民の精神的な安定剤になっているか、ここを考える必要がある。
●松本氏は、住民の生活のより所としての、家族・コミュニティの意義をのべ、これが存在しない状況の下で、企業社会の再編によって「企業コミュニティ」とでもいうものが崩壊したことと関連させて(これをグローバリズムとの関係で把握していることは、さすがである)、自殺の増加を社会的に意味づけた。
極めて重要な視点であると思う。ただ、もう少し考えて見る必要があるのは、自殺は都市部よりも農村部の方が多いという事実である。これは、高齢者の自殺率が高いことと相関している面もある。
日本は自殺大国として知られるようになってしまったが、旧ソ連圏の国が自殺率が高く、ハンガリーが「最高」である。自殺率を低下させることを政府の政策として位置づけてきた国に、ノルウェーなどがあるが、成果はある程度上がっているらしい。
さて、日本で一番自殺が多いのは、秋田県であるが(青森や岩手なども多いー最低はここ数年奈良県になっている)、その特徴として、過疎地の方が多い、家族と同居の老人の自殺率が高いということが指摘されている。
自殺の原因は、警察が「経済的苦」とか「病気を苦に」とか、警察「用語」で発表するので、実は真相はわからない場合の方が多い。秋田の人に聞くと、雪が多く、天気がわるい日が多く、憂鬱な感じがするからのかな~とか印象を述べる。もちろん、そんなことは殆ど関係ないだろう。雪が降ったくらいで、いちいち死んではいられない。
日本の自殺問題については、実は、かなり粘着して調べてきた経緯があるので、そのうち、何が問題であるのかブログでも書いてみたいと思っている。
秋田県も、ハンガリーやノルウェーの実態などを調査し、自殺率の低下をスローガンとして打ち出している。但し、自殺数を△△人に減らすという「数値目標」は、どうも馴染めない。それなら、△△人までは自殺をして良いと行政が判断するのか、と突っ込みを入れたくなる。
松本氏が自殺を「社会的なもの」、もっと云えば、社会的殺人として把握した点は、高く評価できる。これを、自治や家族の問題と関連させて認識した点も評価できよう。
家族や地域の変貌は日本だけの現象ではないが、日本の場合、農業という戦後の一時期までは「基幹産業」であったものが「崩壊」し、産業構造が抜本的に変化した。その中で、過疎化と過密化という両極の現象が顕在化し、農村の過疎化は家族形態、労働形態、生活様式を一変させた。過疎化地域でも、一人暮らしの老人は、むしろ、こういった生活への「耐性」をもっており、自殺率は相対的に低い。
家族と暮らす老人に自殺が多いという事実は(相対的ではあるが)、産業構造の変化や生活・労働様式の変化が、家族とのストレスや、内面的なストレスに帰結している可能性が強い。こういった心境は、子どもの教育問題、学力低下問題や、学校の「荒れ」といった問題と実は「対」をなしている。
●日本資本主義のグローバル化の下で、企業社会の再編が進行し、年功序列給与や終身雇用が解体され、正規労働者の非正規化・パート化、雇用の柔軟化、労働時間規制の弾力化など、労働態様が歴史的な変化を遂げつつある。
新自由主義政策の強化によって、都市自営業者、農民などの旧中間層への利益誘導政治が「ムダ」なものと認識され、切り捨ての対象となってきた。
こういった状況の下で、企業のお膝元である労働者は「当然」のこととして、最も弱い「環」により強く、グローバル化による、生活・労働・家族様式の変化による「負担」がのしかかるのである。貧困がもたらす問題も当然に影響している。
こういった、社会的な病理に関しては、もちろん、地域での人間関係の濃密さや、生きがい・働きがいのある仕事の確保、豊かな人間的な生活が、一番の妙薬になる。
地方自治とは、住民の平和的生存権を保障すべきものであり、福祉の増進がその生命になる。ここをおろそかにし、或いは意識的にネグレクトしつつ、分権などを論じて見ても、全く、糞の役にも立たない(いや、百害あって一利なし)と思うのは、私も松本氏と全く同感である。いま、「存在」している市町村が踏ん張らずして、どうするのか。

