2006年10月23日(月)
佐藤栄佐久・元福島県知事の逮捕に思う
●時間の問題だと思われていたが、福島県発注工事の談合事件に絡み、元福島県知事の佐藤栄佐久氏が逮捕された。
「2人は共謀し、県が00年8月11日に実施した木戸ダム(楢葉町)建設本体工事の一般競争入札で、前田建設工業(東京都千代田区)などで構成する共同企業体(JV)が受注できるよう便宜を図った。その謝礼として、前田建設の指示を受けた水谷建設に02年8~9月、スーツ社の旧本社跡地(郡山市)約11000平方メートルを時価を超える約9億7000万円で買い取らせた疑い。特捜部は、この代金をわいろと認定した。前田のJVは同ダム工事を約206億円で受注し、水谷建設も下請け工事を請け負った。」ということである。
贈収賄の内容は、典型的な「土地取得」の価格差を利用したもので、佐藤氏の弟が経営する郡山三東スーツの旧本社跡地の「活用」であった。実は、この問題は、昨年の1月に「アエラ」に報道をされていた内容と殆ど同一のものであった。何故、これまで放置されていたのかむしろ不思議な感じがする。
実は、このアエラの報道や一連のその後の「黒い噂」を気にしつつも、私どもは『自治と分権』誌の首長インタビューに佐藤栄佐久氏を予定し、3回もインタビューのお願いを行ったのであった。それは、仮に福島県のダム工事に関わる汚職事件が発覚しても、佐藤氏には及ばないのではないか(その後、報道は途絶え、ごく一部の地元誌が報道する程度にトーンダウンしていったからであった)と判断をしたこともあった。
●今回のあの悪名高き「水谷建設」まで登場する「公共事業における贈収賄事件」は、選挙資金の捻出や恐らく私的な収賄である点で、極めて悪質かつ弁護の余地のない犯罪であることは間違いないだろう。同時に、私としては、何故「今の時期に、昨年から噂があった問題の解決が伸びたのか」という点に疑問が残るのである。
というのは、佐藤氏の政治的立場の評価に関わる問題である。私どもが佐藤氏にインタビューを申し入れたのは以下の理由であった。
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①東京の一極集中に早い時期から反対し、首都機能の移転を主張していた。
②市町村合併問題では、矢祭町が「合併しない」決議をあげると、これに理解を示し、合併しない市町村への県としての支援も打ち出すなど、国が半ば強制的に進めてきた市町村合併に異を唱えたこと。
③全国知事会の副会長の立場にあって、知事会の中では大勢を占めると思われた「道州制導入」に最後まで反対し、都道府県の強化を主張したこと。
④最初は原発容認であったが、これを転換し、原発の立地・運転について、厳しい態度で東京電力や政府に迫るという姿勢を示したこと。
⑤郵政民営化反対をはじめ、小泉構造改革に「地方の立場」から異議を唱え、全国の知事の中でも独自のスタンスを取ったこと。
⑥中心街活性化の方向をめざし、イオンなどの巨大SCの郊外展開にストップをかけ、全国的にみても先駆的な既存商店街振興策を展開してきたこと。
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●以上のような政治的スタンスは、小泉構造改革の過程では「抵抗勢力」として排撃される立場であったが、福島県の内部における「絶対的」な政治力を背景にして、相当に強烈な政治的なプレーもしてきたのであった。
日本の政治の「不幸」は、小泉構造改革に反対するという、住民=国民本位の政治スタンスが、従前の自民党の地域における利益誘導政治と密接に結びついてきたという「歴史的事実」であろう。北海道の新党大地の鈴木宗男氏なども、地元のために「大奮闘」=自分自身も良い思いをしてしまうことが付随するが=したのであった。北海道では、構造改革に反対する鈴木氏に40万票という驚くべき票が集中し、構造改革によって切り捨てられる「地方」「周辺」の悩みを吸収したのであるが、同時に、こういう従前の利益誘導政治以外に、構造改革に「代わるべき」新しい政治の姿が見えなかったのである。
福島県の佐藤栄佐久元県知事の場合も、似たような状況があったと思う。出身は、青年会議所であり、どちらかというと「右派的」要素が強かったものの、「地元」の利益が政治の原点になっていた(全体の奉仕者ではなく!)。
●佐藤氏がインタビューを断ってきたのは、私どもの「自治と分権」が弱小誌(といっても5千部の発行数であるが)だからというわけではなく、今回の事件のことが脳裏から離れなかったのだろうと想像している。
さて、佐藤氏が贈収賄事件によって失脚・逮捕され、8月の長野県知事選挙における田中康夫前知事の落選につぎ、市町村合併の促進に対する「抵抗勢力」の一部が崩壊したことになる。
全国的にみて、市町村合併が進まず、人口1万人未満の小規模自治体が相対的に多く残っているのは、北海道、福島、長野などであった。その二つまでが「政治的」な敗北や収賄という犯罪行為によって崩壊したのである。北海道では、自公推薦の高橋はるみ知事が、市町村合併を強力に推進しようとしており、人口3万人を目処とした合併(現在180自治体を5年間で60自治体まで減らす計画を持っている)を進めようとしている。
そして、北海道では、道州制特区に対する「幻想」が支配し、地方団体がこぞって「特区法案」の早期成立を要請するという転倒的な事態が生じている。法案の実際の政治的内容は、道州制「特区」を導入し、将来的には国土交通省の8000人の職員(北海道開発局)と北海道庁の徹底的なリストラ=市町村への事務・権限の移譲による「財政軽量化」であり、今回の法案に盛り込まれた「北海道の補助金嵩上げの継続」などは、ごく一時的な「アメ」の政策であり、本来の道州制の目的とは全く関係ない「撒き餌」であると断言できる。
●現に、北海道では市町村合併と同時に進行していく、高校の再編統合であるとか、病院(公立や民間を問わず)の機能の再編成と地域的再編の進行であり、病院に行くまで1時間とか2時間は「当たり前」という状況が政治的につくられようととしている。これは、都市部のごく一部の自治体を除いて「全国的」な傾向であるが、北海道はその地域の「広大さ」と人口密度の希薄さ、そして、夕張市などに典型的に見られるように、日本のエネルギー政策の転換や農業切り捨てなどの「政治ファクター」による、地域の没落により、全国レベルでみても最も構造改革と地域再編の矛盾の「激しい」地方である。
このような高橋道政からは、未来の展望が湧いてこない。
これに反し、福島県の行政のスタンスは、今回の収賄罪などの犯罪を別にすれば、かなり住民の利益を擁護する姿勢(一部の住民中心であっても)に立っていることは明かなのではないだろうか。しかし、この利益誘導政治が腐敗に結実し(これまでも多くの贈収賄事件、疑獄事件などを発生させてきた)、構造改革による「撲滅の対象」=政官財の癒着の廃止という、官僚批判にも通じる道を清めてしまっているのである。
●従って、利益誘導政治ではなく、本来の住民参加や参画、そして何よりも「住民が主人公」という地方自治の姿、情報公開や透明性の確保、議会と長のよい意味での緊張関係の維持などが必要であり、これらの地方自治の「前進」を前提とした、新しい福祉のあり方などを国の革新と一体的に追及する必要があるわけである。知事の在任が長いとか、「権力集中」などは、表面的な問題であり、制度論としていくらでも「改善」の余地がある。また「談合」体質という「ありふれた」批判に終始してもならないだろう。地元の雇用や企業の「優遇」(中小企業)や、公共事業における「労賃」の一定の水準確保などは必要なことであり、これからのことを単純な「発注方式=入札制度」問題に矮小化することも的を射た対応とは言えないのである。ここが「談合」や地元企業保護問題の難しい所であろう。
さて、11月12日が、県知事選挙である。自民党、民主党がそれぞれ別の候補者を推薦し、今回の「贈収賄事件」とは全く関係のないような顔をして選挙戦に突入しているのが現時点の姿である。しかし、佐藤県政が「絶対的」な権力を持ち、役所の機構を超えて、特定の業者と癒着し、公共事業の発注などを恣にしてきたのは、共産党を除く「オール与党」が議会のチェック機能を果たさず、それぞれが「与党」として甘い汁を吸ってきたことが背景にある。
その点で、当落は別にして(別にならなければベストであるが)、共産党が、佐藤県政のメリット(私の上記整理を参照)を「無視」してまで、対立候補を出し続けてきたのは、「ムダな公共事業」と「特定企業との癒着」に関する先見の明があったと言ってよいであろう。特に、公共事業に関わって「金銭関与」の噂に対する敏感さがあったと思われる。佐藤元知事側も共産党をそういう意味で「突き放す」立場を取って来ていた。
現在の選挙戦の中で、佐藤県政を抜本的に批判し、そのメリット「だけ」を受け継ぎつつ、贈収賄などとは無縁の候補者は「一人」である。自民も民主も残念ながら、本来は選挙に立候補する「資格」すらないのである。県民がどのような「判断」を下すか、見守りたい。
●贈収賄事件の「発覚」は、一般的には「内部告発」によることが多いが、それとは別に、かなり政治的に、トップからの情報提供などがある。関岡英之『拒否できない日本』がベストセラーになったことがあるが、日米投資イニシアチブや対日改革要望書の検討から、談合の告発(道路公団などもふくめ)におけるアメリカの影響を重視する議論も、説得力がある。関西空港への執拗な干渉や、沖縄の公共事業発注における談合の発覚、そして、耐震偽装事件(マンションの損害賠償事件に結実する可能性)などもアメリカの対日要求から発していた。
談合に対する官僚と一部企業の癒着、これに対する国民の「当然」の怒りを「活用」し、自らの要求を貫徹して行く姿は、まるで劇映画のようであるが、談合への「反発」の難しさはむしろこの点にある。
これらのアメリカの対日要求の見方については、別途検討する機会を持ちたいが、ここでは、「なぜ、この時期に?」という疑問に対する一定の「回答」として、地方をめぐる状況の「変化」へのインパクトという視点を提供しておいた。つまり、一層「円滑」な自治体再編への「地ならし」的な意味が含まれるのである。これが、今回の事件の最奥の問題だろうと思う。
●戦後「最大」の地方自治の危機が現時点での、自治体のおかれた状況であろう。この難局をどうきりぬけ、新しい「自治」への方向を見いだすか。潮目が変わったという指摘もあるが、これを「活かせる」か否かは、やはり住民や労働組合、政党等の運動が握っているのである。
この点を心しながら、ひとまず、今回の考察はこれで終えることにする。

