2007年01月23日(火)
どこに行く全国知事会=全国知事会の「迷走」
●全国知事会が1月18日、道州制に関する議論を行い、「道州制に関する基本的考え方」という文書を確認をした。今回の知事会は、道州制のみについて議論するというふれこみであり、事前に色々な憶測があったものの、知事会の事務局ですら、一体どういう議論になるのか予想が立たないというような状況であったらしい。
まず、全体の目次を示しておくと以下のようである。
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1.はじめに
2.道州制の検討に当たっての全国知事会の立場
3.道州制の基本原則
①道州制は地方分権を推進するためのものでなければならない。
②道州は、都道府県に代わる広域自治体として、地方自治体は道州と市町村の二層制とする。
③国と地方の役割分担を抜本的に見直し、内政に関する事務は、基本的に地方が一貫して担うことで、地方において主体的かつ総合的な政策展開が可能となるものでなければならない。
④役割分担の明確化に当たっては、事務の管理執行を担っている「地方支分部局」の廃止は当然のこと、企画立案を担っている「中央省庁」そのものの解体再編を含めた中央政府の見直しを伴うものでなければならない。
⑤内政に関する事務について、道州に決定権を付与するため、国の法令の内容を基本的事項にとどめ、広範な条例制定権を確立しなければならない。
⑥道州が地域の特性に応じ、自己決定と自己責任のもとで政策展開できるよう、国と地方の役割分担に応じた、自主性・自立性の高い地方税財政制度を構築しなければならない。
⑦道州の区域については、国と地方双方のあり方の検討を踏まえて議論されるべきものであり、枠組の議論ばかり先行させるのではなく、地理的・歴史的・文化的条件や地方の意見を十分勘案して決定されなければならない。
4.地方分権皆生区の推進
5.道州制検討の進め方
①国と地方が一体となった検討機関の設置が必要である。
②国民意識の醸成が必要である。
6.具体的な検討課題
①国のあり方及び国・道州・市町村の役割分担
②税財政制度の在り方
③大都市圏との関係
④市町村との関係
⑤住民自治のあり方
⑥首長・議会議員の選出方法
⑦条例制定権(自治立法権)の拡充・強化
⑧道州の組織・機構のあり方
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●以上のような項目が立てられているが、マスコミの報道を総合すると、道州制そのものに対する「反対」や「時期尚早」という議論もでていたということである。明確に道州制に反対をしていた福島県の佐藤栄佐久前知事などが、公共事業の談合汚職にかかわって逮捕され、また、最も元気よく推進をしてきた木村和歌山県前知事も逮捕されるといった複雑な状況のもとで、全国知事会も大きく揺れてきたことは事実であろう。
もっとも、これは、いわゆる「改革派」知事が、引退したり(北川元三重県知事、浅野元宮城県知事など)、次回の選挙で立候補しないことを言明していたり(増田岩手県知事、片山鳥取県知事など)ということで、全国知事会が「地方分権」目指して「たたかう」姿勢を後退させているといったような「ありふれた」分析とは異なる。
もっとラディカルな部分で、全国知事会は「変貌」しつつあると、私はみている。少なくとも、道州制については、過去において最も先鋭的に反対をしてきたのが知事会であったことを思い起こすと、いつ、どういう情勢の下で、どういう「主張」を伴って、道州制の容認或いは推進に変化したのかが問われる必要がある。
●こういった状況については、これまでも何回かこのブログを含めて、自説を述べてきたので、ここでは、ごく簡単に「おさらい」と最近の状況だけを指摘しておくことにする。
①従前の道州制は、都道府県の区域を超えた広域的レベルにおける「効率的開発行政」の規制緩和や許認可の簡略化など、主として経済効率性を求めての財界等の要求をベースにしたものであった。怒濤府県の立場からみると、これは「存在の否定」に結びつき、当然のように自己の存在理由を強調する立場から道州に反対をしてきた。
②1990年代の半ば以降の、資本のグローバリゼーションとそれに適合的な地域形成という視点から、地方自治法レベルにおいて、都道府県合併も市町村合併と同じ手法で行うことができるようになったが、従前の道州制論との最大の違いは、道州の根拠が「経済効率性」から「地方分権」に変化してきたことであった。
③地方分権を「それ自体」として肯定的に推進する立場からは、こういった道州制論に反対する理由は見出しがたい面がある。また、地方分権の中には、都道府県から市町村への「分権」という政策も含まれるので、国からの「分権」(地方支分部局の道州・都道府県への「分権」)と都道府県行政の市町村への分権という二つの流れから、道州制を分権改革のある種「必然的」結果として把握する議論が強まってきた。
④第28次地方制度調査会では、道州制論に関するイニシアの発揮を求めて、総務省サイドから、「地方自治体」としての道州制という発想が強まり、答申においても、地方自治体としての道州制と、道州と市町村の「二層制」という考え方が示された。
付け加えておくと、そのためには、市町村合併の一層の推進、人口1万人未満の自治体の「非自治体化」や、人口20万人から30万人とういう規模への自治体の再編、全国300自治体(市)という構想などが、公然と或いは非公然に唱えられる状況が出現してきたのであった。
⑤道州制は、単なる都道府県の合併とは異なり、「この国のかたち」に関わる問題群として把握され、例えば最近の日経社説でも道州制の導入と国の省庁再々編成とを一体的に行うべきであるという主張が行われている。北海道の道州制特区などをみると、国の地方支分部局の道州への一方的な吸引という知事会の主張も、現実性からみると「怪しい」部分が多く、国の職員が残るのか、都道府県=道州の職員が残るのかも不明である。(国の職員が地方公務員になるというならば、道州が地方自治体であることに一定の接近を示すが)
⑥現行の都道府県を憲法上の「地方公共団体」としてみるか、単に地方自治法に規定されている「地方公共団体」としてみるかによっても、状況は異なってくる。この辺の議論は省略するが、自治法によって規定さえすれば、新たに地方公共団体を廃止をしたり、創出したりできるという考え方にはくみできない。
⑦現実に、道州が国と地方自治体の「中間的団体」であろうと、地方公共団体であろうと、「三位一体改革」の現実が示してきたように、現行都道府県の財政的なリストラには一層拍車がかかることは明白であろう。現在、志向されているのは、分権ではあっても「分権型福祉国家」ではなく(小泉構造改革以降)、「分権型福祉破壊国家」としての側面が強い。このような時に、都道府県の自己決定かどうかは知らないが、自己否定=自虐的自己観を前面に押し出すことは慎重でなければならならいだろう。
●ごく簡略に、現在の道州制を志向する議論をみてきたが、道州制の導入によって、国民生活=住民生活にどのような「肯定的な影響」があるのかについては、殆ど全く議論の対象になっていない。
こういった「分権改革」論の怪しさについては、拙論(『自治と分権』26号)を参照して欲しい(「戦後最大の危機に直面する地方自治・自治体」)。
さて、全国知事会の「道州制の基本原則」なるものは、第28次地方制度調査会答申の「焼き直し」である。つまり、地方自治体でなければならないという「前提」をおいて、その存在を「合理化」しているのであり、では、地方自治体とは言い得ない道州が導入される可能性についてはどうみるのか。身体を張って反対するのかどうかなども不明である。
三位一体改革のように、知事会が要求もしていない補助金の削減〔一般財源化)などが行われた場合は、どういう抵抗を示すのか、この辺も詰めた議論が必要であろう(「前提」が崩壊した際の身のこなし)。
全国知事会の「基本原則」には、国と地方の役割分担というタームが出てくるが、問題はそう簡単ではない。役割分担とは、法令用語としては地方分権推進法などに出てくるものであるが、日本におけるこれまでの事務配分は、シャウプ勧告による、横割り的な事務配分が実質的に機能できず、いわゆる「機能分担」として、国と地方の相互依存・協力による多層的事務配分として行われてきた。
役割分担とは、こういった実情を透明かつ簡単な事務配分にするという「含意」をもつものだろうが、実際には、事務と財政の関係も連動性をもっていないし、役割分担の明確化に基づく地方の自己決定権といっても、基地問題など、住民生活に密接に結びついている問題を「外交」問題オンリーに順化し、国の専管事項として、役割を明確化するというのも納得できるものではない。
自己決定というならば、こういった地域における全ての問題に、住民自治の原理が働く必要がある。それをないがしろにして、「内政」を司ると言っても、実質的には「些末などうでもよい日常的」な問題の尻ぬぐいをするというイメージしか出てこないのである。
●全国知事会が、道州制の反対勢力から推進勢力に変化したことの意味は大きい。
私もこれまで、様々な視点から道州の問題や、それをめぐる政治配置についてのべてきたが、機会を改めて、グローバリゼーションと地域再編の問題を、日本の地方の衰退問題と合わせて論じてみたい。


