2005年05月03日(火)

日本型「成果主義」の可能性

●2月の備忘録で『成果主義と能力主義の違い』の「間違い」という論説を書いたが、「わかったようで、わからない」(笑)という評価や、質問も頂いた。面倒なので、そのままにしていたが、最近、城繁幸『日本型「成果主義」の可能性』という本が出版されたので、この機会に書評という形式で、「成果主義」問題について述べておきたい。

 城繁幸氏は、ご存じの方も多いと思うが『内側から見た富士通ー「成果主義」の崩壊』という本で一躍有名になった方である。この本は、題名から「暴露本」と思われがちであるが、内容は、かなり丁寧な富士通の経営批判、人事制度批判になっている。1993年に、先駆的に導入された富士通の「成果主義」賃金が、見直しを余儀なくされる中で、「成果主義」批判として多くの読者をえたのであった。

 ここでは、成果主義の中核を「目標管理制度」として見立て、この制度の内容について、
 ①部門ごとの目標作成と個人へのブレイクダウン
 ②評価結果の賞与及び昇給額への反映
 ③裁量労働制の導入
 の三点に整理をしている。

●城氏の著作では、「成果主義」の定義がなく、給与制度なのか、人事制度なのか、その両方に跨る制度なのか、もっと広範な経営方針に関わる概念なのかが明確でないが、この点は横に置いておこう。
 いずれにしても、豊富な事例によって「富士通の成果主義」が如何に社員の「やる気」を萎えさせ、若い有能な社員の退社をもたらしたのか、また、会社の業績の足を引っ張ったのかが、「説得」的に述べられている。

 著者自身、富士通の「成果主義」に魅せられて入社した年代であるだけに、現実の「成果主義」への失望(それも、人事担当という職務において)は、ショッキングなものであったと推察される。

 しかし、城氏が「成果主義」そのものを「否定」しているのではないことが、読み進むにつれて明らかになる。批判はむしろ「成果主義」と両立しない旧態依然たる富士通の、年功序列人事や慣行に向けられたものであった。
 最終的に、城氏は「日本独自の改良型『成果主義』が必要だ」(196頁)とのべているのである。その内容を箇条書きにしておくと以下にようになる。

*******************************************************
 ①目標管理制度の廃止
  *評価者間で成績調整を行う羽目になる。
  *業務の無理な分割が進み、無理やり数値目標化を進める
  *目標のブレイクダウンが不徹底になり、社内の意思疎通が悪くなる
 ②評価者をできるだけ減らし、公正評価委員会をつくる
 ③組織のリストラと評価担当管理者の設置
 ④管理職昇進以外のキャリアパスを設置
 ⑤成果は、労働時間で計れないので、裁量労働制は必要であり、当面、
  時間外手当を廃止することからはじめる
 ⑥成果主義を成功させるには成績公開が必要

*******************************************************
 見て頂ければわかるように、城氏の成果主義への「批判」は、一言でいえば、「成果」の基準をどのように設定し、どれだけ「客観的」「公平」な評価をすることができるのか、という点に尽きる。上記の要点は、「あるべき」成果主義への「提言」という性格を持っているのである。同時に、城氏にあっては、成果主義を総人件費の抑制や、労務管理の強化といった「よこしま」な目的から導入することは「論外」であることも紹介をしておきたい。

 最終的に、城氏は「今後、成果主義はどうなっていくのか?ここまで普及した以上、見直しはあっても、旧来の年功序列に戻ることはないだろう」(230頁)と述べている。この結論については、私も同感である。どれだけ、破綻をしても、また景気が回復しても、従前の「年功序列」人事・給与に戻ることは考えられないだろう。

●さて、新著の『日本型「成果主義」の可能性』は、城氏の上記問題意識をそのまま敷衍したものである。
 具体の事例に満ちているので、それを端折ると味気なくなるが、現行の成果主義=目標管理制度が機能するための4つの条件が、まず挙げられている。
 ①目標が数値目標化できる
 ②目標のハードルが同じ高さ
 ③常に目標が現実にマッチしている
 ④評価の際、達成度だけで絶対評価が可能

というものである。これは誰が見ても、「まず無理」な条件であろう。城氏の行論も、この無理さ加減を豊富な事例で示している。

 城氏は、こういった成果主義の問題について、まず数値目標化は無理ということで、「評価者との評価面談を重視したアナログ目標管理」が必要であるし、評価基準についても現場管理者に一任するのが理想と述べる。
 また、目標管理制度は、一定の予算権・人事権を握っているポスト=管理職に適用してはじめて効果があるとし、同時に、評価者としての管理職の役割に期待する。しかし、現在の管理職の多くは年功序列で管理職になった者が多く、「こういう連中に評価される若者はやってられない(行方)」ということになる。年功序列的組織のリストラと意識改革が求められることになる。
 無理を承知の上で、問題を「克服」するとすれば、どういった方向が可能なのかという論理展開だと見て良い。

●そこで、城氏が理想の人事管理を行おうとした架空の企業(東洋電機)、高く評価するメリーチョコレートの事例を見ておこう。
 東洋電機では、年功給を完全廃止し、大幅に見直した職務給(担当する仕事によって決める賃金)に一本化した。但し、熟練工を中心にした製造ラインには、年功給を部分的に残し、見直し対象としたのは、開発部門や事務部門である。人件費は一時的にせよ、大きく跳ね上がることになった。
 民間の給与のことに詳しい方なら、これが定昇を廃止し、職務給を導入したキャノンを念頭においていることが理解できるだろう。キャノンは、終身雇用も維持しようとしているし、完全な「職務給」とはいえないが「日本型職務給」の一種と見て良いだろう。

 メリーチョコレートの事例はどうだろうか。
 管理職登用は、完全実力主義(年功の否定)である。また、職務のラインとしては、専門職キャリアパスを確立し、管理職へのラインだけに限定せず、複線的なキャリアアップを設定している。給与体系は、職務のラインと一体ではないとされているので、職能給の一種と考えられる(会社内の階層ーラインーと給与が同一ではない制度)。
 年齢によらない大抜擢や管理職からの降格などの処遇も可能としているので、制度的には「職能給」に分類されるが、仕事の評価によって、大きくメリハリをつける点に特徴があると言えるだろう。

●以上のような「制度」が、城氏が現実的な線として、「上々」と考える内容であろうが、城氏自身、本来は「年功序列」の方が良いとしている。成果主義で社員のモチベーションアップなどはあり得ないとも述べている。これは、高橋伸夫『虚妄の成果主義』の結論と変わらない。
 認識が異なるのは、企業の置かれている客観的条件からして、年功序列には後戻りできないと考えている点である。少し、職務給への傾斜は見られる気がするが・・・
 そして、「現実的」な認識としては、両者を折衷した「第三の道」ということになる。

●城氏が掲げる上記の2つのモデルは、日本型職務給、査定にメリハリをつけた職能給である。
 年功序列給与は、職能給の下でも継続をしてきた。というより、職能給において、一括新規採用、内部昇進、定期昇給などを保障すれば、年功給与に必然的に「堕する」。しかし、現在では、中途採用(官民交流も含め)も多くなり、定期昇給も廃止する企業がかなり増加をしている。また、「正規雇用」以外の非正規雇用(アルバイト、臨時・非常勤、派遣、契約社員、下請けなど)が増大しているので、将来にわたって終身雇用や年功給与が続くとみるのは、現実的ではないだろう。

 職務給は「職務(内容)と責任」によって、そのポストに値札をつける制度であり、職能給などの能力主義給与は、その職務を遂行する「人間」の能力に値札をつける(属人給)制度である。微妙な問題はあるが、制度的には性格が異なるものである(「ポスト」への給与か「人」の能力への給与か)。
 職務給が正常に機能するためには、その職務のグレードが社会横断的に形成されている必要があり、労働者は企業間を職務ベース(同じグレードの職務から職務へ)で流動するオープンシステムをとることが一般的であり、相応しい。日本では、「職務給」といっても、企業内では「職務」に値札をつけたつもりでも、一歩社外にでると通用しないものになる。「職務給」と言っておきながら、社内で勝手に人事異動を行うことなどは、本来の職務給ではあり得ない(これが、職務給導入に失敗した根本的な原因の一つである)。

 また、実際には、ポストによって値札をつけ、責任にみあった成果を評価して給与を決めるように見えても、実際の給与は属人的になり、職能給に分類しなければならないケースも多い。
 ところで、「成果主義」給与と言われる制度は、仕事給(職務)の範疇に属するが、これは、城氏が強調しているように、「成果」はそのポスト(職務と責任)によって、評価の基準が異なるからであり、予算権や決定権のない社員に「目標」を押しつけてみても評価のしようがないわけである。

 つまり、成果給(成果主義給与)は、本来的には職務給・仕事基準に「相応しい」制度であるが、日本的職務給などに見られるように、職能給に「接ぎ木」することもできる。この場合、昇進するに従って(管理職レベルの年齢に到達して)、成果給のウエイトを拡大する社会生産性本部のプランなどもあるし、また、仕事の査定を強化して(実力主義)これを仕事の「成果」の評価(実際には属人的な査定の場合が多い)として、年齢給的な職能給に成果主義を加味する場合もある。査定強化付きの職能給(年功給)と言ってもよい。

 確かに、職務給はグローバルスタンダード(というか欧米での主流)ではあるが、これによって日本の給与制度が欧米並の職務給に転化し、社会横断的賃金=社会的賃率形成が進むとみるのも、まだ気が早い。この議論は、主客転倒の議論であるとも言える。つまり、職種や職務によって社会横断的にある程度の賃率が形成されていない状況(国によって異なる)において、また、企業横断的な労働市場が形成されていない状況で、職務分析などで人為的に横断賃率が形成されるものではないのである。犬と尻尾の関係で言えば、職務給はあくまで犬に付随するのであり、犬が尻尾を振るのであって、その逆ではない。
 しかし、このことは、未来永劫に日本において職務給や産別の横断賃率が形成されないとするものではない。非正規労働者や専門職の増大は、「入社」ではなく、「入職」に変化しつつあることも事実であり、新規採用の教育費を削減したい企業の要望から、即戦力の中途採用が増加する方向などは、新たな横断的な賃率形成を早める可能性が強い。こういった傾向を先取りした、労働組合の運動や組織形態の適合が必要なことは言うまでもないだろう。一言でいってしまえば、企業内本工主義に未来はない。

●そこで、賃金の底上げ、非正規労働者の雇用の安定化・労働条件の引き上げが先決事項になる。平行して、横断的な賃率が形成されつつある部門における、要求基準の作成、連帯的・産別的な運動の形成が求められるだろう。
 なお、既存の年功給与による労働者=基幹的な部分の役割は、自身の賃上げだけではなく、社会的「弱者」に所得の分配が行くような運動を考慮する必要がある。当然、男女差別賃金などの不公正な制度の廃止は、全ての労働組織があげて運動すべき課題であろう。惰性的な組織防衛的な発想で、労働運動が維持できる段階ではないことを銘記すべきであろう。
 城氏の著作は、労働運動への期待も含めて、このようなことを「本能的」に探り当てている。