2005年08月11日(木)

改めて郵政民営化の本質を問う①

●郵政民営化法案が参院で17票という「大差」で否決され、逆上した小泉首相は「自民党をぶっ壊す」という年来のスローガンが「冗談」ではないことを強調し、衆議院を解散した。

 8月10日には、衆議院で法案に反対した自民党議員には、自民党公認を与えないばかりか、全ての選挙区で対立候補者を擁立することも明らかにした。一方、連合の笹森会長は、郵政民営化法案に反対をした自民党候補者が無所属立候補となることから、組織としての支援もあり得ることを表明した。
 まさに、激動の時代であり、選挙戦もどちらに転ぶか、全く予断を許さない「液状化」の状態を示している。こういった時代を「転換点」とか「転機」「分岐点」などというが、英語で言えば、「危機」=Crisisであろう。このクライシスと言う用語は、日本語では「危機」と一般的に訳されるが、「どちらにころぶかわからない分岐」を意味するラテン語(クリシス)から発生した用語である。

●事態を複雑にしているのは、自民党内に郵政民営化賛成と反対の両論があることだけではない。自民党内の意見の相違は、小泉内閣による構造改革=新自由主義的政策の推進によって、被害を被る旧中間層(都市自営業者や農民、あるいは中小企業経営者なども含め)が自民党の支持基盤であるという事情を反映している。自民党は橋本内閣の構造改革(橋本6大改革)以降、新自由主義的な政策を追求するように「変化」をしたが、98年の参院選挙での大敗北によって、選挙民を切り捨てる政策遂行の困難さを味わってきた。

 小泉内閣は、当初の「短命内閣」という予想を超え(我々は、小泉首相のスタンスが、資本のグローバリズムを反映した日米独占の要求に沿っていることから、本格内閣と見ていた)、歴代でも長期政権として君臨するようになった。小泉内閣が強引に構造改革路線や憲法改悪まで見通した大国化路線を追求できるのは、93年に成立した「非自民」の細川内閣における「小選挙区制」導入などの政治改革の「成果」を背景にしている。

 そういう意味で、現在の民主党と自民党は、財界が夢にまでみた「二大政党制」を実現する「手前」まで前進をしたのであった。

●さて、話しを戻し、事態を複雑にしているのは、本来、新自由主義的路線では、自民党以上に「積極的」である「はず」の民主党が、その組織内部に郵政の労働組合などを抱えている事情から、早々と小泉内閣が掲げる「郵政民営化」路線に反対を表明してきたという事情である。
 現在の政策では、郵政公社の下で、民営化の実を取る方向を打ち出しているが、自民党の内部分裂に乗じて政権を狙うところから、郵政民営化反対という流れを変えることができないでいる。

 こういった事情から、選挙の結果によっては、更なる政界再編がありうる状況になっている。二大政党制を志向するためには、「大国化に積極的であるが、新自由主義には相対的に消極的である」政党と「大国化には消極的であるが、新自由主義的政策には積極的である」政党というような「違い」が、ある程度国民に理解される必要がある(実際には微妙な問題があるが)。
 新自由主義的政策については、労働者の上層部や都市の上層市民などの「推進勢力」を客観的・物質的な基盤としているが、これをベースにして、世論を支配するところまで来ているのが実態である。

 この「違い」が客観的なものと見なされて行けば、二大政党制は現実のものとなろう。反対に、違いが不明確で、共通項だけが明らかな状態での「政権抗争」は、共産党が批判するような「オール与党」的なものと国民に認知される「恐れ」もあるわけだ。

●以上の、政治情勢認識をベースとして、今回の選挙の「争点」になりそうな(これが争点だと言えば、小泉新自民党が優位になり、争点から事実上外れれば、民主党や「野党」が優位になる可能性が強い。)郵政民営化問題について、改めてその本質を把握しておきたい。

 郵政民営化について竹中担当相が『郵政民営化ー「小さな政府」への試金石』(PHP研究所、2005年3月)を書いている。ここでは、郵政民営化の「4つのメリット」として次のように述べている。

①350兆円の郵貯・簡保資金が「民」のお金になる
②全国の郵便局がもっと便利になる
③国家公務員を3割削減して小さな政府を実現
④「見えない国民負担」を最小化

 というものである。
 
 ②の「もっと便利になる」というのは、完全民営化すれば、コンビニ化できるので、法に縛られず様々な事業を行えるという「だけ」の話しで、本を読んでも全く説得力がない。ユニバーバルサービスの確保ができるかどうかについて、ドイツで郵便局が減ったのは、「設置基準」がなかったからであるが、日本の場合は、最初から「設置基準」をつくるので、「心配がない」と述べている。
 2つの欺瞞がある。一つは、「設置基準」そのものが国会の議論では、全ての市町村に設置というレベルであり、現在の24000を超える郵便局をすべて維持するわけではない。また、維持のための基金と赤字のバランスも論拠が崩れている(160億円の維持基金支出に対し、赤字は600億円ー民営化した場合)のである。
 2つ目は、ユニバーバルサービスは郵便だけの話しであって、郵貯などの議論とは関係がない。ユニバーバルサービスの内容を巧みに使い分けている。この点では、北条恪太郎・経済同友会会長編の『郵政民営化こそ日本を変える』(PHP研究所2005年6月)は、正直に述べている。「地域に不都合が生じた場合は何らかの対応は必要だろうが、郵貯銀行・郵保会社にユニバーサルサービス義務を負わせるまでの理由にはならない」(50頁)と。
 全市町村に「指定金融機関」があるのだから、これで十分となれば、ユニバーサルサービスもクソもないわけである。

●多くの賢明な国民は、こんな理由で郵政民営化が志向されているなどとは、思っていないだろう。では、③はどうか。確かに、公務員の不祥事、天下りなどが続いている中で、公務員の定員削減などは、公務員の能率の悪さや「役人仕事」といった、旧時代の印象から、体感的に賛同する国民が多いのも事実であろう。しかし、26万人の公社の公務員が民間の「みなし公務員」となることで、どれだけのメリットがあるのか。全く、説得力がない。④の「見えない国民負担」についても、メルマガに書いたように、プラス・マイナスを相殺すると、大したメリットにはならない。
 これら理由は、せいぜい、行革に「弾みをつける」といった政治的ファクターとしての意味しかもたないだろう。

 そこで、郵政民営化の「本質」は、残った「郵貯の民営化」以外にはありえないのだ。しかし、この問題を理解するには、ちょっと「背景理解」が必要なことも確かである。稿を改めて、この背景から説明をしたい(つづく)。