<< 2007年01月

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

 2005年08月14日(日)

改めて郵政民営化の本質を問う②

●郵政民営化の本質が「郵貯の民営化」にあることは、一定程度、国民に理解をされはじめているようだが、国民生活にとって何を意味するのかについて、少し検討をしておきたい。

 日本の家計における金融資産が1400兆円に上ることは、よく知られている。このうち、約四分の一の350兆円余りが郵便貯金(230兆円)や簡易保険(120兆円)に蓄積されている。このほかに、公的なものとして厚生年金・国民年金・などの家計及び企業の保険料が約150兆円近くある。

 こういった国民(一部企業)の保険料や貯蓄が、どのように運用されているのか、この運用方法が「けしからん」というのが、郵貯民営化がめざされる最大の理由である。

●これらの資金は、財政投融資改革が行われるまでは、大蔵省(財務省)の資金運用部に預託され、大蔵省の責任によって財政投融資に投入されてきた。投融資の改革を経た現時点では、直接的に財政投融資に投入されることはないが、政府が財政投融資に投入する資金を「財投債」という形式で、国債発行を行い、これを上記資金が「購入」する形で財政投融資を「裏」から支える形になっている。
 つまり、郵貯については、その資金運用は公社化によって、より自由になると言っても、実際には国債を消化しなければならず、財投改革が事実上尻ぬけになるということになる。

 さて、この財政投融資であるが、政府金融機関(住宅金融公庫、日本政策投資銀行【旧開銀】、国際協力銀行、国民生活金融公庫、など)や公団事業団等(道路関係4公団、都市基盤整備公団、年金運用基金など)に行くことはよく知られているが、この他に地方自治体の地方債発行をファイナンスしてきた経過もある。
 2002度の数字で見ておくと、財政投融資の残高は309兆円であり、このうち、204兆円余りが上記の財投機関である特殊法人等に「投資」されている。そして、約90兆円余りが地方自治体の債権購入に回されているわけである。上記の差額は、政府の一般会計や特別改革などに支出されていると見て良いだろう。

●さて、この財政投融資とは、政府の「第2の予算」と言われてきたが、これが年々削減をされて来ている。平成17年度の「財政投融資計画」を見ると、平成16年度の計画が20.4兆円であるのに比して、17.2兆円とかなり縮小をしている。ところで、政府の特殊法人は、現時点では、自らが債権を発行して調達する部分(まだ小さいが、将来的にはこれだけになる。つまり、郵貯などからの資金に頼らずに「自立・自助」で財政運営を行って行くことになる)と財投債からの投入によって資金が賄われている。
 問題は、この財政投融資の使い方なのであるが、ただ単に予算が縮小しているだけではなく、都市再生機構への再編過程などで明らかになっているが、事実上国民の住宅建設からは手を引き、「都市再生」に純化するように資金の使用方法が変化しているのである。
 役人天国のように言われる「4つ道路公団」についても、本四架橋などの建設による「大赤字」(こんなものは最初から分かり切っている)を4公団の合併によって糊塗して(不良債権の押しつけである)、全体として最後は国民の税金によって、国鉄と同じように処理するということである。道路はもうムダとばかりに、公団も美味しいところだけ民営化をして、負債は国民にということになる。

●公共事業を担ってきたのが財政投融資であることはわかったが、バブル崩壊後にこれを最大限に活用しつつ(1980年代の中曽根行革時などは、一般財政を抑制しつつ、財政投融資を拡大してきた位のものであった。これは、財政学者の宮島洋が実証している)、地価の下支えや「重厚長大」資本の株価維持などを「目的」として、活用されてきたのである。
 歴史的に見ると、高度成長方式を財政面で(国の予算に縛られずに)促進し、バブル崩壊後は、公共事業への投入を地方と一体になって行うことで、景気浮揚を図ったが、これがうまく行かず、地価の暴落とともに、投入資金が不良債権化してしまったわけである。資本の「食い物」にされて、負債を押しつけられ、ボロぞうきんのように「使い捨て」の様相と言ってよいだろう。

 もちろん、この過程で、役人の「天下り」先としての機能は、従前に引き続き大いに発揮されたし、もともと、「大判振る舞い」の資金なので、効率化という視点も希薄だったことも事実である。しかし、ここで確認をしておきたいことは、ここから得た「利益」は、決して、国民一般に還元されておらず、主として、地域開発や都市再生といった民間資本にこそ「手厚く」配分をされたという事実である。

●日本では福祉国家が成立をできず、1970年代以降の革新自治体の全国的簇生と、世界資本主義の構造不況(再編)の中で、国家の財政を都市から地方に、公共事業という形態で「再配分」することによって「疑似福祉国家」的な政策が展開された。これの濫觴が田中角栄による「列島改造」である。
 自民党政治が本格的に「利益誘導」と、都市の革新自治体つぶしに向かったわけである。
 現在、財政投融資の再編が行われつつあるが、要するに、これは、上記のような資金の流れを、資本に手厚く、都市優遇へという方向に転換をすることである。

 ところで、視点を変えて、現在の郵政を見ると、まず、郵便については、電子メール等の発展によって、将来的にはあまり事業として展望はないと見られている。そこで、将来は「赤字」と想定をしているが、郵貯と一緒に運営を行うと郵貯の資金を投入して、全体として経営が行われることになる。
 これでは、くろねこヤマトや佐川急便などの民間業者とイコールフッティングにならないという論理で、郵貯と郵便の切り離しが「至上命題」になる。そして、郵便で「食って行こう」となれば、これは、ドイツポストのように国際物流システムへの参入以外にない。これを、現在の郵政が「公社」として展開するようなら、「民業圧迫」となると批判をされる。それでは、ジリ貧で郵貯と隔離された郵便事業で、将来これを行えるかと言えば、そんな保障はどこにもないのである(この辺は、民間の資本は実にきめ細かく、成りゆきを分析している)。

●それでは、郵貯はどうなのか。民主党の政策が出て、ハッキリとしてきたが、当初は日米の金融資本は「郵貯つぶし」論であった。アメリカにおける資金の調達状況を見ると、既に1990年代から銀行「預金」などの資金は全体の2割に届かない。日本においては、この時点でまだ4割の資金を預貯金が占めていた。これが傾向的に低下して行くのは、低金利であるというだけではなく、製造業を含めた資金需要が、ラディカルに変化しつつあることから「必然」なのである。つまり、従前のメインバンク制度や銀行を通じた間接金融は低落をし、市場から資金を直接調達する方式に転換をしてきている点がポイントである。更にこの背景を分析すると、従来型の「重厚長大」産業が、銀行の信用力に依拠して、できるだけ手持ち資金を省略するという蓄積様式だったのに対し、IT(電機)や自動車という、消費者と直接的に相対する資本の蓄積様式においては、キャッシュフローを重視という方向に転換をしているからである。(もちろん、為替自由化による投機的な資金運用も、利潤獲得の重要な要素となってきている。)

 現在のまま郵貯を放置しておけば、銀行預金は企業預金の減少に伴って益々枯渇するようになる。そこで、郵貯の資金を銀行「救済」の方向で活用することが課題となる。同時に、郵貯の完全民営化によって、郵貯の資金を投資信託などの、株価をささえる方向に転換し、手数料収入によって運営できるようにすることが、一つの方向であり、より抜本的には、「カジノ資本主義」を支える資金に投入したいというわけである。日本の銀行は、旧財閥の「壁」を破る程に大きな再編を行わざるを得なくなったのであるが、これはグローバル企業が、資金を市場から直接的に調達する方式、「キャッシュフロー」調達を重視する路線の中で、これに見合った行動様式を模索せざるをえなかったからである。民間大企業の蓄積様式の変化が、銀行を脆弱化させてきた。つまり預貯金に依存しない短期的資金の調達が至上命題になってきたわけである。まさに、アメリカ型の金融構造の追求である。

●そこで、国民の立場から以上の状況を整理してみよう。
地方自治体に既に90兆円からの資金が投入(残高)されている。郵貯資金が財政投融資と切り離される時点で、地方自治体は、政府の保証する優良な資金の調達から切り離される。つまり、「自由」に自らの責任で「市場」から資金を調達しなければならない状態になる。
 地方の自治体にとって、これは何を意味するか。借金(起債)をしたければ、金融資本の示す「高金利」で借用せざるを得なくなる。東京都をはじめとする都市部の「富裕」な自治体は、リスクも低く、優良な借り手と見られるかもしれないが、現在地方交付税などに頼っている地方の「貧困」な自治体はどうなるか、言うまでもない。
 財政投融資の再編が、国民生活から都市再生など資本に有利な活用へのシフト替えであったことと、地方自治体の今後の動向なども、方向性は一致するわけである。

 こういった資金の流れの転換は、国民レベルの所得の上下分解、及び地方と都市の再配分方式の転換となる。貧しきはより貧しく。富めるものはより裕福に。地方は切り捨てられ、合併などによって「効率性」を増大させ、大きな地域の中で相対的に集中した地域を、中核市や特例市などの方向で確立をさせる。あわよくば、国際競争にも勝ち残れる都市を地方にも創造する。こんな、方向だろうが、うまく行く保障は全くない。むしろ、合併によって周辺部がより過疎化し、スプロール化した地方都市に、まともな競争力は残らない可能性が強い。

●このように考えてみると、郵政民営化は、資金の流れをかえ、低所得者への再配分や地域的不均衡の是正など、グローバル資本には「何のメリット」もないような政策の「根」を断つわけである。誠に、構造改革の「本丸」であろう。御名御璽。

 序でに、言っておくと、財政投融資改革で、中小企業関係への資金の流れも断たれようとしている。しかし、中小企業への資金の保障を、もしかしたら、郵貯の「残存の」資金で行うことを強いられるかもしれない。この路線は、郵貯「姨捨山」路線と命名したい。大きな郵貯を民営化して、資金の流出を煽りつつ、地方の地銀を統廃合していく可能性も否定できない(場合によっては、大和銀行が不良債権の多い、中小銀行を統合したように、不良債権付きの地銀)。その場合、郵貯銀行は「ゴミ捨て場」と化し、最後に立ちゆかなくなるという構図である。
 中小企業の将来像は、誠に暗いものがある。これでは、日本の活性化はなしえないであろう。
 国民に安全な資金管理と中小企業には政府保証の資金調達ができる「規制」がどうしても必要である。弱肉強食からは、国民の生活基盤の安定はでてこないのである。