2005年11月27日(日)
耐震偽装事件の深層①ー行政の私人化
●「耐震偽装事件」が、重大な社会問題化をしてきた。武部自民党幹事長が、今回の事件に当たって、必要以上の不安をかき立てると建設業界、引いては景気にも悪影響を与えるという発言を行ったが、本末転倒の発言であろう。事態の究明と、被害者に対する一刻も早い具体の対応が求められている。
さて、「社会問題化」と述べたのは、以下のような理由による。
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①武部発言に見られるように、自民党政府に「安心・安全」を述べる資格がないこと、問題解決への熱意が感じられないことである。また、一体、どこに「責任」があるのか、法的にも問題があり、政策対応としては更に問題がある。(この点は、再論したい)
②労働者の首切りやホテルの休業など
強度偽装を行った木村建設が、社員180人全員の解雇を行うなど、被害者が当該住宅に住む住民から、外に拡大してきていることである。
③議員の口利きや、金銭授与
耐震偽装に関与した、指定確認検査機関「イーホームズ」(東京都新宿区)が伊藤元国土長官の元秘書に献金していることが報道されている。このことから、建設業者(販売)、設計事務所、指定確認検査機関、行政、政治家の関係など、行政の民営化・私人化の中での、複雑な関係が浮き彫りになりつつある。
更に、
「耐震強度偽造問題を国土交通省が公表する二日前に、元国土庁長官の伊藤公介衆院議員(自民党)が、中堅マンション販売「ヒューザー」の小嶋進社長とともに同省を訪れ、担当の建築指導課長に引き合わせていたことが二十六日、分かった。」と。
④1998年に、確認検査機関を民間に開放したことの「是非」も含め、行政の私人化(私人による行政、行政の民間化)の問題に改めて光りをあてる必要が強まってきている。
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筆者の立場は、問題をすべて「民間化」の責任に帰すというものではない。これは、JR西日本の尼崎の事故についても同様であり、様々な角度からの実証的・分析的な解明が必要であるという立場である。物事を単純化させ過ぎることは、真実の解明にとって避けるべきであると思うからである。
事実、検査機関が自治体であるケースでも、5自治体ほどが、姉歯建築設計事務所の偽造を見抜けなかったことも報道されている。
元々1998年までの自治体における確認事務について考えると、汚職の多い職場であったこと、その「原因」は業者との「癒着」が大半であったことなど、民間への「委任」(正確には、権限委任というよりも、権限付与というか、業務の民間化そのものであった)の前に、検討すべきことがたくさんあったという「事実」も改めて考えるべきである。
また、議員が業者を引き連れて、「口利き」や「要請」などを行うことも「日常茶飯事」であった。職場では、このような問題への不満や反発も大きく、行政の「歪み」への危惧が存在していた。
汚職や談合などは、これは公務員が行政として関与しているからこそ発生する問題であるが、民間化した場合(みなし公務員制度などの弥縫策はあるが)一気に「お歳暮」「お中元」化してしまう危険性もあるわけだ。
しかも、建築確認事務の民間化は、「時間がかかる」とか「効率がわるい」という、主として業者サイドの要求を受けて行ったものであった。
実際問題として、1件あたりの確認審査に要する時間は、従来の1~2ヶ月から早い場合は2週間程度に「短縮」されたという報道もされている。
●一般的に建築確認事務は、おかしな裁量も多く、明かな違法建築であっても、余程のことがない限り、「取り壊し」命令などが出されることはなかった。むしろ、「取り壊し」などの命令があるとマスコミに取り上げられるといった状況である(余りにも違法建築が多いので、特定の物件のみ厳しく対応することの「不公平」さが指摘されてきた)。
こういった裁量や、違反への具体の対応の不明確さなどが、民間に移行した場合どうなるのか、また、行政による処分と民間検査機関との関係についても、殆ど検討された跡が見られない。
今回問題になっている建築確認事務は、民間化と言っても、公務員の建築指導主事と併存する関係であり、行政による「独占」や民間による「独占」がなく、「混合」状態(つまり「官民」の競争制度を導入したわけであるが)であったことが、「何らの歯止め」「競争による質の確保」にもなっていなかったことは重大である。
かつて、F,ルーズベルトは民間の独占による「兵器の価格」つり上げに対抗して、国営企業による兵器生産を提起したことがあった。結果は、あっという間の価格の引き下げであった。昨今、官の「独占」による官僚化や不効率への批判の声が大きいが、「官」だからこそ、問題になる課題は、ある意味では国民による、行政(事務事業)の民主的監視や統制という問題に関連している事項が多い。
●行政の民営化のメリットとして、効率化や財政負担の低下などをあげることが多いが、事前規制に対する「事後規制」が尻抜けになっているケースが、日本の場合、あまりにも多い。しかも、事後に「規制」できればよいが、環境や人命などは、取り返しが付かない。
指定確認検査機関により建築確認・検査を行わせる民間化は、先に指摘したように、従来の「時間がかかる」という「お役所仕事」を是正する「効率化」を目指しただけではなく(これだけだったら大変な思い違いであろう)、ビジネスとして手数料も自由化され、企業間の競争や官民の競争が導入された。
この競争について、どのような「メリット」が存在していたのか、また、その「メリット」の代償として失っていたものはなにか。真摯な議論が望まれるところである。
幸いに、震度5以上の地震が、当該の建物を襲ったことがなかったので、人命に被害が出ていなかったことがせめてもの救いである。
手続き的に見ると、確認事務は民間に開放されているが、特定行政庁が、その確認済の建築物の計画が規定に適合しないと認める場合は、「失効の手続き」も定められている(建築基準法6条の2第4項)。しかし、こういった制度が実質化されておらず、更に民間に開放された際に、設けられた「中間検査」なども、機能をしていなかった。これは「民」に行政の委任等を行う場合に、深刻な事態であろう。
ある自治体の主事は、平然と「人間性善説に立っている」とテレビのインタビューで述べていた。これでは、行政の公平・公正は保てないだろう。改めて行政の公共性とは何か、が問われる事件であった。
もう少し、事件の全貌が明らかになった時点で再論したい。政府には、一刻もはやく、被害者救済の立場、災害の未然の防止に向けた、具体策を要求したい。
●と、ここまで書き終わって、朝から目を通していなかった新聞を読んだところ、『日経』の社説に「耐震偽装を見逃した官と民の体質」というものがあった。「官と民」などと対等に並べて論じているが、『日経』ですら、官にすべての責任をなすりつけることが不可能だったということであろう(合掌)。
しかし、内容を読むと、1998年の確認事務の民間への開放、ビジネスとしての競争の導入などの事実にすらふれてない。官に「事後チェック」の責任があるとしても、「小さな政府」で、この責任が果たせるかどうか真面目な議論すらない。第三者「づら」をした大岡裁きのような結論である。
確認事務の民間開放は、一般的な指定機関への「委任」とは言えず、営利企業の参入や、官民の競争、「公権力」の民間化の本質を持つ。この点への言及を避けたい気持ちは「理解できる」が、公平な議論とは言いがたいだろう。
同時に、「正論」もあった。「住居の耐震安全性は、個人の趣味や信条の問題ではなく、地域社会の安全にかかわる公的な要求で、地震は怖くなくても、耐震性を無視して家を建てるのは許されていない」と。
ごもっとも。それで『日経』はBSEの問題では、これと同様の主張を行ったのか?「BSEは怖くなく、牛丼を食べたいひとはいるが、これは食の安全という公的な問題であり、食物の安全を無視して牛丼を食べることは許されない」と(はぁ~と)。
そろそろ、日本のサラリーマンも「新聞」などというメディアを捨てた方がよい時代になっているのかもしれない。1ヶ月5000円を超え、血圧が上昇するような記事が多いのでは、やりきれない

