<< 2007年08月

1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

 2006年08月02日(水)

埼玉県ふじみ野市営プール児童死亡事故を考える

●既にテレビなどで頻繁に報道され、聴視者の怒りを買っている問題であるが、少しこれについて考えてみたい。毎日新聞(8月1日)は次のように報道している。
 <プール事故>管理委託会社が監視員募集など下請けに丸投げ

 「埼玉県ふじみ野市営プールで戸丸瑛梨香(えりか)ちゃん(7)が吸水口に吸い込まれ死亡した事故で、プールの管理を委託されていたビルメンテナンス会社「太陽管財」=さいたま市北区=が、プールに社員を派遣せず、監視員の募集や教育も下請けに丸投げしていたことが明らかになった。ふじみ野市との委託契約約款では、下請けへの再委託には市の承諾が必要だが、同社は市に申請していなかった。」

 たまたまテレビのニュースを見て、ビルメンテナンス会社の社長が事情を説明していたが、記者の質問に全く答えられず、「かもしれない」「あの~、その~」の連発であった。見ていて怒りがこみあげてくるシーンであった。
 毎日新聞の報道が事実であれば、市とビルメン会社の契約に違反する内容であり、ビルメン会社の責任は免れない。同時に、委託を行った市の問題であるが、実情を把握していなかったようで、テレビで幹部がお詫びをしていたが、契約が守られているかどうかの点検は市に責任がある。民間委託の論理は、市が直接行うよりも民間の「専門」の会社が「競い合って」より良い施設管理を行うという「大義名分」がある。コストが安ければ「それでよい」という論理で民間に委託を行っているケースは少なくとも「建前」としては存在しないハズである。施設管理の「質」が同じであれば、コストが安い方が「よりよい」という論理は良く聞くが、「質が同じ」或いは「より高い質」というのを日常的に「証明」しているケースは寡聞にして聞いたことがない。

 保育園の民間委託で、ベネッセなどが「自分」で調査をした結果を公表しているケースなどがあるが、第三者などが政策評価を厳密に行っている事例はまずないだろう。政策評価の難しい所は、結局、評価を委任する行政当局=首長などのスタンスに評価が従属してしまう点にある。自立した市民による「第三者評価」は言うは易く、行うは難しという典型である。
 
●さて、被害にあった児童の親は当然に、市に対し損害賠償請求を行うことが可能である。委託先の会社に刑事罰が可能かどうかは、実情によると思うが、市による求償は避けられないだろう。その場合、その求償に堪える財力を持っているのか、いないのか。更に、再下請けの業者の責任も場合によるが追及されるであろう。

 「太陽管財はオープン前の7月5、7日に流水プールを安全点検。A4判2枚の管理作業報告書を市に提出したが、清掃のほかは起流ポンプ点検だけで、特記事項はなかった。池本敏男教育次長は「当然、ボルトなども点検しているはず。書いてないのは問題がなかったのだろう」と述べた(毎日新聞)ということになってるが、これによって市の責任は免罪されない。事故が起きたのは、市営プールであり、民間のプールではないからである。

 さて、問題はまだまだある。
 「旧上福岡市と旧大井町が合併してふじみ野市になった今シーズンから、このプールの自治体職員による点検が、昨年までの毎日から、2日に1度に減っていたことが分かった。昨年10月の合併前は旧大井町の町民プールで、当時は町職員が毎日、管理会社の現場責任者からの聞き取り、全体の見回りなどをしていたという。合併後は2日に1回になり、事故前は7月29、30日が土、日曜だったため、直近の点検は同28日だった。ふじみ野市は点検が減った理由を「合併で管理施設が倍増し、職員の手が回らなくなった」と説明している(毎日新聞)。

 こういった説明では、合併で増えた施設を減らすのが当然というような話しになってしまう。旧大井町時代のように、民間委託をしていても、町職員がキチンと現場を管理するという「行政責任」=公的責任を果たすことが本来要請されているのである。職員が足りないという事情はそれなりに分かるのであるが、管理もできない程「足りない」のでは話しにならない。今後、経済財政諮問会議の「骨太の方針2006」に基づいて、自治体の職員は、5年間で行政機関の国家公務員の定員純減(▲5.7%)と同程度の定員純減を行うことを含め大幅な人件費の削減を実現する、とされている。これが、プライマリーバランス論、歳出入一体改革の本質であろう。

●市町村合併は、合併によって規模・能力が向上し、ムダが省けて効率的な行政が行えることになっている。実態がそうなっていないことは、自治体職員でなくても分かり切った話である。それぞれが持っていた施設を以前のままの水準で管理すれば、合併の意味がないという議論になる。勿論、市長などは一人なので、上に行くほど合併の効率性は増加する。しかし、末端で住民に接する職員のレベルでは簡単に合理化はできない。今回の事件ははしなくもその実態を国民の前に明らかにしたのである。

 今回のような事件が起きると、色々な対応が出てくる。まず、プールなどの「やばい」施設はやめてしまおう。市営プールはやめて、純粋な民間のプールにしようと。それでは、使用料金などは確実に上昇する。夏休みの子どもの楽しみを奪う行為になってしまう。では、管理を強化する方向はどうか。勿論、これは必要である。しかし、下請けの労働者に強く責任を押しつけ、実現困難なマニュアルを半端な研修後に与えるような行為はどうか。最悪の場合、事故を起こした会社が倒産し、そこの労働者が解雇されるようなことすら考えられる。

 思い付くままに、いろいろ書いたが、最低でもこのくらいのことは民間委託に「先行」して考慮しなければならないのである。耐震偽装事件でもそうであったが、事故が起きて倒産して損害賠償や修理もできないような企業に委託しているとすれば、それ自体が「犯罪」行為である。国や自治体が責任を持って運営しているということは、(事故はあってはならないのだが)、万一の場合でも次善の策としての手厚い補償が可能になる。国や自治体は倒産しない(親方日の丸ではなく、公的責任)。民間に委託しようが、委任しようが、事務や責任が自治体に有る限り、公的責任は免れない。このことを肝に銘じて行政のあり方について考えて貰いたいものである。
 
 このように見てくると、コストが安いという理由で、住民や使用者の安全や権利を深く考えないで民間に委託したような場合、そのコストですら到底ペイできない損害を与えられる可能性があることが理解できる。規制改革民間開放推進会議(議長・宮内義彦オリックス会長)などは、その存在そのものが「いかがわしい」ものであり(宮内氏も十分にいかがわしい)、私腹を肥やす財界直結の最悪の利権政治と言わなければならない。この政府の民間開放推進会議が7月31日に、放送・通信、教育、保育、外国人、金融、「規制見直し基準」の6分野に重点を置いた中間答申を決定した。小泉構造改革の心臓部である、こういった仕掛けを打破することが、日本の将来にとって肝要であろう。

 プールの管理というのは、学校のプール開放で善意のボランティアが監視中に事故が起きても責任を問われる程、難しいものである。日本体育施設協会によれば、学校プールで吸排水口に吸い込まれる事故は多く、1966年以降、全国で少なくとも50人が犠牲になっているそうである。統計的には毎年1人以上で、海や川の事故に比べれば「少ない」かもしれないが、決して軽視できるものではなく、それなりの公的責任が果たされていたからこそ、この数字で収まっていたと見ることもできる。今回の事故は、「プールには事故当時、現場責任者と看護師、監視員13人の計15人がいたが、監視員はほとんど高校生のアルバイトだった」とのことであるが、全く論外である。各自治体の実態を明らかにさせ、国と自治体の責任で、安全に子どもが夏休みが過ごせる施設運営を願うものである。