2006年01月22日(日)
住民なき「事業仕分け」(『住民と自治』2月号)
●昨年12月20日の備忘録で、構想日本の事業仕分けの話しを掲載した。前日に開催された、「国の業務仕分け」(民の目による官のリストラ)とういうシンポジウムを紹介しつつ、こういった流れに対抗できる「民主的行財政点検活動」が必要であることを論じたものであった。
さて、『住民と自治』2月号に、高島市で構想日本が行った事業仕分けの「傍聴記」を、森脇徹(高島市議会議員)、高橋進(龍谷大教授)のお二人がお書きになっている。また、編集部の名嘉圭太「住民なき『事業仕分け』」という論考も掲載されている。これは、上記シンポジウムに参加した上で、当日の議論の内容や、高島市における「事業仕分け」を踏まえて、論点を整理したものである。
どの論考も大変に面白く、現在の自治体をめぐる「危機感」が伝わってきた。実は、私は労働組合の役員などに、この構想日本の「事業仕分け」や大阪市におけるマッキンゼーなど民間のコンサル会社による、事業分析の内容などについて「大変な問題」であることを何度となく話しをしているのであるが、こういうことが行われている事実すら知らない方が多い。
「へっ?それなぁ~に?」といった感じである。
●どういう経過で、『住民と自治』の編集部の方が、構想日本のシンポに参加をされたのかは知らないが(しかも、部外者は2000円取られる!)、こういった「行政民間化を推進」する団体等の会議や取組に関心を払うことは、非常に重要である。私の場合、このシンポにも参加をしていたのであるが、民間コンサルのセミナーなど行政民間化推進の会議には、意識的に参加をするようにしている。そういう意味からも、今回の『住民と自治』2月号の論考は、「なかなか大したものじゃないか」と感心をしたのであった(失礼!)。
さて、実際に「事業仕分け」でどういうことが行われているのか、その雰囲気は?という点の詳細は、『住民と自治』をお読み頂くことにして(私が知る限り、この高島市における「仕分け」は、最悪の内容であったと思われる。しかし、幸か不幸か「公開」されたことだけは評価できるーある意味、身内意識的な自信を持っていることを示したものであろう)、「傍聴記」に共通する認識についてみると、大体2~3点くらいになろう。
①内部からの改革は難しいとばかりに、部外者が乱暴に、しかも「民営化崇拝」の立場から、事業を強引に「不要」「民間へ」「要改善」「現行通り」というように、「仕分け」をしていく。すさまじい。
②仕分けの視点は、「何を仕分けの対象とするか」からして、バイアスがかかっており、大型事業(ハコモノなど)は避けて、住民生活に密着した部分を対象にする。
③そうは言っても、やはり現在の財政危機や自治の圧迫の中で住民生活を守る立場からの、具体的な提起と住民参加の手法が必要である。
一言でいうと、「仕分け」の視点が「リストラ」「民営化」ということであり、市民参加=外部評価(外部の人間と担当者が、厳しいやりとりを行う)によって、仕分けを行っていく。そして、かなりの部分が「切り捨て」の対象となることによって、自治体財政や経営の「健全化」に向けて取組が進む、というようなことになるのであろう。
お二人は、自治体の公共性や住民生活擁護こそ自治体本来の役割であるという「認識」をもっておられるので、当然のことであるが、こういった方式での「事業仕分け」についてショックや反発を感じられるのだろうと思う。私も、これまで、色々な自治体でのこの「仕分け」を見て、同じような印象を持ったことも事実である。
同時に、加藤秀樹氏が述べていたように「職員の意識改革」に有効であるという点を見逃してはならない。つまり、日常的に職員が住民の目線で行政の具体の内容を考えていれば、お二人と同じように「反発」を感じるハズであるが、実際には、そうなっていない場合がかなりある。
岩手県では、この「事業仕分け」を3年位前に行って、一定の振りわけを行った(もちろん、単純にこの結果を実施しているわけでない)。現在では、トヨタの「改善方式」に学んで、全庁的に研修などが行われている。私も、以前この研修会に参加をさせて貰ったことがあるし、また、その研修を実施している部局担当者に直接お話を伺ったこともある。
その結論を言うと、かなり職員の意識が変化している部分も見受けられた。もちろん、行政の中には、不合理なものや不公正、ムダも多いので、こういう「ムダ」を省いて「前進する」ことは現下の情勢の下で、極めて重要である。
しかし、住民の「既得権」への疑問や、行政の能率の悪さを単純に民間と比較したり、団塊の世代の中高年の仕事ぶりが旧態依然たるものであるというような批判は、日常的な感覚から出発をして、理論的な「行政民間化」「人事行政の能力主義・業績主義」賛美に至る「経路」の役割を発揮しているのである。そこに、NPM手法の経営がつけいる「スキ」が生ずるのである。
●自治体労働組合がイニシアを発揮して、自治体行財政の民主的点検活動を旺盛に行った時期があった。1970年代から80年代の始めくらいの時期であった。当時は革新自治体つぶしを狙って(TOKYO作戦=東京、大阪、京都、横浜、沖縄などの「革新自治体攻撃」)、政治的な攻勢がかけられていた。これが、社公合意や、労働戦線の右翼再編と結合して、臨調行革路線へと導かれていった。
既存の革新自治体の内部にも様々な弱点があって、人件費攻撃であるとか、退職金・年金が民間に比べて「高い」などという現在と同じような攻撃に晒され、徐々に後退をしていった。
臨調行革路線が進行すると、自治体の内部の弱点を克服するというより、この臨調行革の住民生活切り捨て、社会保障切り捨ての攻撃と「正面」から闘うことが要求され、革新自治体も軒並みに崩壊をしていったので、行財政の民主的点検活動という、自治体労働運動の大きな柱は、少しずつ弱化をしていったのであった。
●さて、構想日本の「事業仕分け」は、ある意味で、これから自治体の内実を「住民福祉の増進」とか「住民自治の拡充」「住民が主人公」というようなものから、「自立自助」「受益と負担」「自己責任」というような新自由主義的=個人主義的な「契約思想」に変化させて行く上で、「避けて通れない」ものなのである。
自治体職員の意識が「住民が主人公」だと思っているうちは、こういう自治体の変貌は実現できないのである。
だから、自治体職員の「仕事」を見る目を「変える」ことは至上命題であり、同時に、人事管理や人事制度そのものを、こういった視点を強める方向に転換をして行く必要が生ずるわけである。だから、公務員給与や定数切り下げの攻撃や、能力主義・業績主義の人事・給与制度の実現と、この「事業仕分け」のあり方は、密接な関係を持っているわけである。
労働運動が後退し、職場で「トップダウン」の人事管理が進行すると、住民要求とは無縁の低次元の「マニフェスト」などを実現することが、「仕事」の中心になってくる。これに組織的に反撃ができない状態が続くと、次第に、職員の意識全体が変化をしてくるものである。
それに、決定的なインパクトを与えるのが、「仕事」のあり方の「視点」を変える「事業仕分け」ということになる(前三重県知事の北川恭三氏の言い方を借りれば「立ち位置を変える」)。加藤秀樹氏は、こういうことを十分に知っているので、これは決定的な意識改革になると述べているのである。
●私も、そう思う。逆に、新潟県津南町や、名嘉氏が紹介していた長野県喬木村などの取組は、民主的な視点から職員の意識を変革することになる。
ひとたび、仕事の民主的点検という運動を「知ってしまう」と、職場を基礎にして仕事を点検し、住民と対話を行い、住民参加による意見を行政に反映させるという「回路」について、素直に理解ができるようになる。
実は、これが自治体労働運動が長く実践している「自治研活動」の本来の姿なのである。一部の役員や一部の住民が行う「自治体財政分析」などは、やらないよりは遙かによいが、こういった運動とはひとまず区別される「政策活動」の一部分と位置づけられる。最近は、これすら「心許ない」状態になっているのであるが、労働組合の役員は、自分で仕切ろうと思わずに、思い切って、職場で仕事をしている職員の「良識」に依拠・依存すべきだと長年思ってきた。
実は、こういう話しをすると、行財政の民主的点検活動などを職場で行ってきた経験のある人は、「そうそう、それ!」となるのであるが、経験のない人は、「はぁ~?」という感じになる。
●現在、また、この行財政の民主的点検運動を職場から提起すべき時期が来ている。名嘉氏は「住民による自治体改革を」と結んでいるが(もちろん、最終的には、自治体は住民のものであるから、住民によらない自治体改革など存在しないのであるが)、恐らくそれは、構想日本の「事業仕分け」が「外部」からの参加であることに「引きずられている」のだと思う。
主人公としての住民と、「全体の奉仕者」としての職員、そして自治体の公共性を擁護する労働運動の役割は、関連するものの、それぞれ独自の性格を持っていることも事実である。
津南町をはじめ、本当に職場の職員「全員」が参加をして、それぞれの認識の到達点に基づいて議論を行い(この過程で、かならず、住民本位の議論が優位を占める)、具体的に行政のあり方の方向を打ち出しているような、自治体の経験に学ぶことは極めて重要であるし、また、それ以外に、現在の事態を打開する方法はない。
現在の困難な状況の下で、自治体が本来の役割を維持し、発展していくためには、自治体の「長」、議会、職員、そして労働組合の役割が有機的に発揮される必要がある。そして、こういった中で、住民参加がその本来の意義を発揮することができるのである。
自治体職員は、住民を代表することはできない。しかし、現在の自治体労働者は、国民(住民)の中から差別なしに能力実証の上で「雇用」され(メリットシステム)、その労働条件や生活環境も住民一般とかけ離れた存在ではない。ごく普通の住民でもある。
民間労働者の間で、「官=悪」「民=善」の思想がはびこれば、当然、これは自治体労働者、職員の中にも反映する。過剰な競争であるとか、新自由主義的な「弱肉強食」の考えかたを「克服」してくためには、やはり、職員・行政と住民の相互の作用が必要になる。これは、教育における児童・父母と教員との関係と同じである。そして、教育の自治や住民自治という『制度』をキチンと認識して、これを発展させることが、その基礎になるわけである(制度と運用=機能の関係)。
●今回の『住民と自治』の特集は、なかなか良い点を突いている。是非、この流れをさらに大きくし、「住民による自治体改革」が進むまでの前進をめざす必要があろう。私どもの研究機構では、『自治と分権』の4月号で、この行財政の民主的点検について座談会を掲載する予定になっている。
皆さんのお知恵も是非拝借したいと思う次第である。

