2007年08月31日(金)
日経グローカル記事「学長に前文科省次官、山形大学大揺れ」
●地方自治・自治体の関係者以外はあまり読んでいないと思われる「日経グローカル」という専門誌に、私が勤務する山形大学の話しが出ていたので、これを紹介しておきたい。
『日経グローカル』(2007年8月20日、82号)の記事は、「霞ヶ関レーダー」という、デスクの質問に記者が答える形式の、ちょっと暴露的な色彩の強い記事である。表題は、タイトルに記したように「学長に前文科省次官、山形大学大揺れ」といういかにもマスコミ的なものである。サブタイトルが「謎深まる“火中のクリ”の立候補」「大学再編など生き残りも苦難の道」となっており、関係者にとっては問題意識を共有できるものになっている。
さて、1ページの短い記事なので、全文引用しても大したことはないが、著作権の問題もあるので、要点だけを拾って、私の「感想」(学長選挙問題については、今後も様々な視点から「総括」が必要であり、現時点で全面的に分析する能力・立場にないことが主要な理由だが)を述べておくことにしたい。
まず、デスクの質問として「国立大学の山形大次期学長に文部科学省の結城章夫前次官が選出されたが、『中央からの天下り人事だ』とする学内の騒ぎはまだ収まっていないようだね。」と話題を振っている。新学長は9月1日付けの就任であるが、地元の山形新聞(編集長が学長選考委員会の委員になっており、何かと先行した政治優先の報道が目立ったが)に、今回の選挙において、最下位で落選した農学部長が新理事になるなどの報道もあり、今回の学長選挙の「裏」の事情なども、追々解明されていくように思う。従って「大揺れ」という表現が正確かどうかは分からないが、「学内の騒ぎはまだ収まっていない」という指摘は、あながち「外れ」とは言えないだろう。
さて、「A」という記者の質問への回答に、「反対派(「派」というようなものが形成されたとは思えないがー行方注)が問題視しているのが選考方法」と指摘し、「国会開催中は次官クラスが辞任できないの慣行を考慮して選考日程を送られせた」「学長選考等規則を一部改正、教職員が学長候補者に投票する票数を非公表にした(今回は経過措置で公表)」など、首をかしげたくなる措置に反発する教職員も多い、と。
この指摘は、正しいだろう。「多い」というか、医学部を除く5つの学部の反対決議もあがったものであり、誰が学長として適切かという判断以前の「民主主義」の問題であろう。グローカル誌の判断も、これらの措置に関する「反発」は当然という内容になっている。当たり前の話しではある。
そこで、記事(質問、回答)のやりとりは、何で「次官が国立大学の学長か」という問題に移行する。「B」という記者の説明では、次官のこれまでの「再就職先」は、放送大学学園理事長、日本学術振興会、初代ユネスコ政府代表部大使(直近の次官から3代前まで)だということである。放送大学については、現在は政府の税調会長などを務めた石弘光氏が就任しているが、こういった従前の「ポスト」と無関係に、国立大学の学長という線が、どこから出てきたのか、というのが記事の問題意識である。
これには共感できる、というか、実に不思議な感じがするし、これまでの学長だった仙道氏が「引っ張った」にしても、容易く応じられる話しではないからである。記事でも「国立大学の学長は博士課程を経て学位を取った研究者がなるのが通例。このために国立大学学長に手を挙げにくかったということもある」と、これまでの慣例について述べている。これも当然の指摘であり、そもそも「学長選考」の根幹に関わる問題と言えよう。
このような事情から、記事においても「監督官庁トップである文科省次官経験者から国立大学の学長に就いた話は聞いたことがない」と紹介されているわけである。
それで「天下り人事」と批判を受けるに決まっているにも拘わらず、何で学長か?という話題になって行く。私などは、学長候補の前の職業が何であろうとも、本当に「適切」な人材であり、学長に相応しい経歴をもっていれば、こだわる必要ないと思っているが、一般的に直前まで「次官」だった「当事者」=国立大学の法人化の当事者が適切であるとは、思えないのであるが・・・
さて、そこで、記事に出ている次の指摘に注目をした。「C」曰く「国立大学法人の合理化や効率化を完成させるために仙道学長の誘いに乗ったという説は考えられないか。官邸や財務省からは『国立大学をさらに絞れ』との要求が強まっている」と。
これは、学内で流布されいた利益誘導説=地元出身の候補者という期待と真っ向から対立する指摘である。もし、これが事実であるならば、今回の選挙で結城氏に投票した多くの教職員は期待を裏切られることになろう。実は、私は密かにこの記者と同じ意見を持っていたのであるが、官僚批判の陰に隠れて、彼が推進しようとする「政策」についての議論が、すっ飛んでしまっていたのは残念である。
この「政策」不在の議論は、最後まで続き、小山工学部長と加藤前理学部長との「統一」に際しても、選挙までに実質的に間に合わなかったのである。
政策問題で真っ先に問題にされるのが、運営費交付金の減額であり、配布方法の変更、そして教職員に関する人事評価問題、大学の再編成などの「淘汰」路線(一般的には「生き残り策」とか「地域間競争」と言われているが、選別淘汰=再編というべきであろう)であった。
記事では「山形大にしても教育学部系を宮城教育大に集約するために山形師範以来の伝統である教育学部を05年に地域教育文化学部に泣く泣く改組、この時の方針は文科省から出ていると言われる」と述べている。東北地方の大学では、例えば北東北の弘前大、秋田大、岩手大の三大学の統合問題などもあったが(結局、ご破算になったが)、教育系や農学部系の再編合理化が大前提として存在していたことは事実であろう。
また、記事の「視野の広い」ところは道州制までも睨んで「道州制が実現すれば東北7国立大学の生き残りは厳しくなる。学長選挙も重要だが、生き残り策を新学長と教職員が一体となって具体化できるか、注意深く見守る必要がある」と結んでいる。
実は、この辺が日経の「限界」であろうが、教職員の投票で2位であった結城氏が、選考委員会14名の投票で学長に当選したことへの「本格的」な批判はない。そして、大学の生き残り策に知恵を絞れという結論になっている。この生き残りの関係から言えば、結城氏は選挙に当たっての「政策」として、大学には教育機能と研究機能があり、山大についていえば「前者」に特化するのがよいということを述べていた。本当にこの二つの条件が分離できるものであれば、そういうことも可能かも知れないが、実際にはこの両者は分かちがたく結合していると見るのが常識であろう。
大学の「生き残り策」とはなにか。再編の方向、国立大学法人の「見直し」のあり方など、大学を巡る論点は多岐にわたっている。この機会に、大いに議論をして見たいものである。


