2005年04月08日(金)
地方公務員の給与のあり方に関する研究会「中間整理」①
●上記「中間整理」が3月30日に発表された。「中間整理」なので、論点整理といった趣が強いが、このまま走るとかなり「悲惨」な結末になるのではないだろうか。
労働組合の見解なり声明なりは、自治労や自治労連のサイトを訪問していただくとして、何点か気になる部分について思いつくままにコメントを付しておきたい。また、この際であるから「私見」も少し述べておきたい。
注)原文はここからどうぞ。
さて、この研究会のメンバーは錚々たるもので、座長は日本を代表する行政法学者の塩野宏である。しかし、今回の「中間整理」を読むと「中間」とは言いながら、誠に泣ける内容であり、少なからず「ガッカリ」した。法的・制度的にも、実態論・現状分析的にも、高いガッチリとした水準のものを期待していたのだが、「肩すかし」を食らった気分ではある。
まず、「中間整理」は「検討にあったての留意点」として以下の諸点を述べている(行方による要旨)。
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①地方公務員の担う公務や地方公務員給与の特性をふまえる。
②地方公務員は「全体の奉仕者」であるとともに憲法28条の「勤労者」である。
③その意味で労働基本権の保障の対象となるが、その地位の特殊性と職務の公共性に鑑み、労働基本権に一定の制約を加えられている。
④国公と同じように人事委員会等が設けられているが、労働基本権との関係や労使関係においてその意義は極めて大きい。
⑤この研究会では労働基本権の問題は現行制度を基本として、人事委員会の機能を重視して検討を進める。
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研究会の性格を限定しているようなので、「労働基本権」にふれていないとか「ないものねだり」はするな、ということらしい。それはそれで、検討の内容が良ければ、許容されるかもしれないので、敢えて咎めないことにしよう。
ところで、②は、労働基本権の制約を持ち出す「枕ことば」のようである。
「全体の奉仕者」であることと、「勤労者」であることが何か具体的に矛盾でもするのであろうか。「役人と労働者の二面性」などと言われた時期もあったが、今日では、こういった認識は「まれ」なのではないだろうか。また、③についても、よく理解ができない。最近では、「民が担う公共性」などと言って「公共性」も大安売りの感があるが、こういった「民」の人たちも「制約」の対象になるのだろうか。時代は進化しているにも拘わらず「認識」の方は博物館から出てきたもののようである。
●さて、逐条的に批判や解釈をしているゆとりもないので、ごく簡単に。
「中間整理」では、検討すべき課題として大きく4つ掲げている。
①給与決定の考え方について
②人事委員会機能の強化について
③給与構造の見直しについて
④参考指標のあり方について
そこで、まず「給与決定の考え方について」で気になるのは、「均衡の原則の運用における『国公準拠』の考え方の意義と現在の役割・・・」なる認識フレームである。まず、これを書いた方には、「均衡の原則」とは「どの法律のどの部分に」書かれている「原則」なのが教えてもらいたいものである。職務給の原則や条例主義については、法律にキチンと規定されている。地公法は24条「給与、勤務時間その他の勤務条件の根本基準」において、「根本基準」を規定をしているし(職務給の原則などはその一つである)、25条は条例主義を規定している。
さて、「均衡の原則」とは、上記二つの原則と並び立つからこそ「原則」としているのであろうが、「中間の整理」17ページにかいてある地公法24条第3項を見ても「 職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければならない。」と書いてあるだけで、「均衡」なる用語も出てこない。読んで理解できるのは「生計費、国・他の地方公共団体、民間の給与、その他の事情」を「考慮して定める」ということだけである。どこに、「均衡」が出てくるのか、不思議である。
「均衡」と言えば、24条第3項よりも、24条第5項の「職員の勤務時間その他職員の給与以外の勤務条件を定めるに当つては、国及び他の地方公共団体の職員との間に権衡を失しないように適当な考慮が払われなければならない」における「権衡」という用語がむしろ目につく。そこで、この「権衡」の内容を見ると、ご丁寧にも「職員の給与以外の勤務条件」を定めるに当たっての概念であり、またこれとて、最終的には「考慮が払われなければならない」としているように、「権衡」も考慮の対象なのである。
「権衡」させなくてもよい「給与」について、何に「均衡」をさせるのが「原則」なのだろうか。
●これだけでも相当な疑問があるにも拘わらず、「中間の整理」の執筆者は、更に飛躍を重ねる。「均衡の原則(地方公務員法第24条3項)の運用(国公準拠)」なる資料があり、「均衡の原則の実際の運用としては、『国家公務員の給与に準ずる』ことよって実現されると解されている」とある。地公法制定以前における自治法の施行規則などに、これに近い表現はあるが、この「国公準拠」なる用語は昭和35年4月1日「各都道府県知事あて自治省行政局長通知」によるものらしい。分権一括法によって、地方自治法が抜本改正された、現時点で、40数年も前の「通知」を持ち出す感覚も理解の外である。
そして、この通知の内容は「給与制度」と「給与水準」の双方を含むものだという。給与制度は、地公法で規定をされているし、給与水準の比較は人事委員会によって行われる。そもそも、人事院自体が公民比較をラスパイレス方式で行うようになったのが1960年、つまり昭和35年の勧告からである。大体、地方公務員と国家公務員の給与のどちらが、この当時は高かったのか、この引用者はご存じなのだろうか。設立当初の自治省は、地方公務員の給与を引き上げるために、様々な「努力」を行ったことは知られているし、今日では、「違法」といわれている「わたり」なども、国家公務員の制度との差異を根拠にして、「正当」なものと認識をしていた時期もあるのである。こういったことは法や制度の「原則」に基づくものではなく、政策的な対応・政治の問題であろう。
いくらでも、この「均衡の原則」の怪しさを例証する事実はあるが(こういうことを大学で教えている教員がいるかと思うと、ちょっと恥ずかしい気分になる)、法律・制度とその機能・運用、時の政府の政策対応・政治的姿勢もゴッチャになっていることを指摘するにとどめる。「中間整理」の最後の方では「均衡原則(国公準拠)」などと、更に祭り上げられている。
「中間の整理」の「めざす」方向は、地方公務員の給与の「均衡」の相手を、なんとか「地域の民間地場賃金」に収斂させようというのではないだろうか。怪しげな議論の怪しげな展開である。
次回は「地場賃金論」なるものについて、少し検討をしつつ、政策的な問題について考えてみよう。

