<< 2009年01月

1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

 2006年12月14日(木)

堕落した公務員制度改革論議―次第にレベルが下がる議論

はじめに
 公務員制度改革は、郵政解散選挙で「大勝」した後の小泉前内閣の一つの重要な「柱」であった。医療制度改革、三位一体改革、医療・年金など社会保障改革、市場化テストを中心とする行政の民間化の推進などと並ぶ大きな課題であった。
①そのうち、三位一体改革は税源移譲3兆円と大幅にそれを超える補助金削減(5.2兆円)や地方交付税削減(地方財政計画による歳出総額の抑制によって削減するなどの手法によって、臨時財政対策債の削減を含めると5兆円を超える削減になっている。もちろん、地方税収の動向などのもあるので、単純に交付税の削減と言えない部分もあるが)に帰結した。
 差し引きすると、6兆円を超える地方の「持ち出し」ということになった。
②医療制度改革は、小泉首相の最大の狙いであり、教育基本法「改正」などを無視しても、これを成し遂げることが、小泉前内閣の姿勢であった。医療制度改革には、様々な面があるが、混合医療の事実上の導入や、都道府県財政を単位とした医療財政制度への転換、患者負担の大幅増加などである。これによって、2000年まではWHOで日本の医療は総合第一位にか輝き(その平等性は特に高く評価されていた)、貧困な日本の社会保障制度の中でも異色といってもよい位置であったが、これももう一押しで「崩壊」の危機に直面している。
③市場化テストは、当面、法的に「行政処分を除く」部分が対象とされたことから、一定の「歯止め」がかけられてたように見えたが、実際には、地方から「市場化テストもどき」を含め、行政の民間化の「切り札」としての位置を占めるようになっている。市場化テストは、日本のように「労働ダンピング」への規制が殆ど存在しない国にあっては、無限のリストラ競争となる。

Ⅰ)安倍内閣の基本姿勢と行革推進本部での公務員制度改革論議

 既にこのブログでも何回か触れたが、安倍内閣の基本的姿勢は「憲法改正」を、政権公約に掲げ、小泉構造改革の重要な部分を引き継ぐと同時に、教育基本法「改正」に執念を燃やすなど、新保守主義的な性格を帯びている。
 上記の三つの柱については、来年の一斉地方選挙や参院選挙対策として、地方に一定の「譲歩」をするような部分も見受けられるが(道路特定財源の一般財源化の曖昧化などを含め)、小泉前内閣の構造改革路線については、多くの部分を引き継いでいる。

 さて、そこで、公務員制度改革であるが、政府が「労働基本権」問題を含めて制度改正に取り組まなければならなくなった「要因」は、ILOを中心とした国際世論において、日本の公務員への労働基本権制約が、大きな批判を浴びてきたことにある。同時に、行政の民間化=公務員の民間化という文脈の中で、官民のイコールフッティングが当然視される中で、労働基本権だけは「公務員という身分」によって規制するという従来のやり方を見直すことは、経済界=財界の立場から見ても「合理的」に見えるようになった。
 その際、「手厚い公務員の身分保障」なる「世論」を形成して、それを剥奪することが「イコールフッティングであるという抜け目ない議論も滑り込ませている。

 いうまでもないが、公務員の身分保障とは、民間の「解雇自由」(実際には、OECDの中でも最も、解雇規制が厳しい国という認識をされており、現に「整理解雇4原則」が判例法理として確立され、これが現実の労働者の権利となれば、そういう面も否定できない)に対する概念であり、個々の公務員を「守る」という側面よりも、行政の安定性、継続性、公平性を担保することを念頭において、分限条項として法定されていること以外の理由で、本人の同意なしに分限免職などの処分ができないということを意味している(だけ)である。
 実際、個々の労働者という面から見ると、必ずしも、公務員の方が身分が手厚く擁護されていることも言えないのである。

 安倍内閣が発足してから、公務員制度改革の面では、11月17日に「行革推進本部第4回専門委員会における議論」というのが、HPにアップされている。
 これを見ると、
*****************************************************
①「簡素で効率的な政府」における公務の範囲及びそれを担う従事者の類型化
②国民主権・財政民主主義の原理と労使関係の在り方
③労働基本権を含む労使関係の在り方
④その他関連事項(身分保障、人材確保・キャリアシステム、能力・実績主義など)

*****************************************************
 などが謳われている。なお、この会議で地方の「非常勤職員」が45万5千人以上もいることが総務省の調査として提出され、大きな話題となった。私なども、この間、様々な学習会などで40万人から50万人くらいにはなっているハズだと述べてきてた、その「予想」(色々と推計をしたわけだが)は見事に当たってしまった。

 さて、この①~④の議論の概要が「論点整理」として掲載されているが、一番驚いたことは、そのレベルの低さと、これまで歴史的に議論してきた「到達点」の無視という問題である。2001年に作成された「公務員制度改革大綱」に到る議論と比べても、そのレベルは一層低下しているし、その前の「公務員制度調査会」の答申などとは比べようもないレベルの低さである。後者は40数回も議論を繰り返し、現行の公務員制度の基本(憲法における「全体の奉仕者」やメリットシステムなど)は、今後とも維持すべきであるという「当然」といえば「当然」の結論を、政府の意に反して提出したのであった。
 今回の専門委員会の論点は、平たく言えば、行政の民間化を「小さな政府」のかけ声によって徹底的に進め、その反射として公務員の民間化=公務民間化によって、公務及び公務員の「範囲」を縮小すること、財政が破綻すれば「夕張市」のように、特養ホームから老人を追い出しても差し支えないという「雰囲気」を養成し、公務員の半減、給与の30%カットと、信じられないようなまさにファッショ的=弾圧的な労働条件切り下げを当然しする中での「財政問題と労使関係」の議論である。
 労働基本権の問題は、身分で「境界線」を引くより、労働の「内容」で境界線を引くという立場になっているようであるが(それ自体は、国際的にみても、多数派であろう)、実際には、国際世論の非難にこたえつつ、官民のイコールフッティングのための「やむを得ない」譲歩である。それも、これまでと同様に「かけ声」に終わる可能性がないとは言えない状況である(この点は慎重に検討をし、運動で勝ち取っていくことを目指す必要がある。韓国をみよ!)

Ⅱ)経済財政諮問会議における公務員制度改革論

 以上のように、公務員制度改革をめぐる議論の質が著しく低下してきたとショックを受けていた所に、経済財政諮問会議において、民間議員から「公務員制度改革」についての提言が発表された(12月7日)。これをみて、殆ど気絶しそうになった。まあ、民間議員さんは(官舎に妾を囲っているのが週刊誌で暴露された本間正明氏にかわって就任した伊藤隆敏氏、ミスター規制緩和の八代尚宏氏(二人が「学者」代表?<ウソのような話しだが)、それに財界から丹羽宇一郎、御手洗富士夫氏(日本経団連会長)の4人なので、気絶することもないのだが、やはりそのご都合主義と面の皮の厚さに辟易した。

 公務員制度改革の基本を「労働市場改革(労働ビッグバン)」と整合的な改革にせよ、という要求から提言が始まっているのである。全く、過去の議論や憲法問題などはどこ吹く風である。すなわち、無制限労働時間制度の創出=ホワイトカラー・イグゼンプション導入や、派遣法の拡大、手切れ金で解雇できる労働契約などをはじめ、根こそぎ労働者の権利を剥奪する方向と整合性をもたせよ、というわけである。
 恐らく、この人たちは、憲法15条など一度も見たことがないのであろうし、国公法や地公法の1条なども見たことがないのであろう。ナイーブというか、正直というか、厚顔無知というか、恐ろしい話しである。
 それも、高級官僚に厳しい規制を嵌めるというような姿勢があればともかく、高級官僚については、規制を緩和して、「天下り」を単なる再就職にしてしまうほどの、気前の良さを示している。
 
 かつて、「公務員制度改革大綱」が決定される前にだされていた、「国家戦略スタッフ」と同様に、官民が融合した、グローバル時代を担う新しいタイプの内閣主導の「公務員」(=実質的には政治的任用になるだろうが)の形成を念頭において、若い時から、エリート公務員とエリート社員(経済界)の相互乗り入れ(官民交流の活発化)を志向し、最終的には経済界と国家の融合を担保する「新公務員」の創出に結実する方向を打ち出している。
 こういう人たちにはメリハリのきいた(メリの方かハリの方か知らないが)、民間のトップエリート同様の給与を与え、下々には「能力主義・実績主義」などの形で、競争を強い、総給与抑制を被せつつ、ダンピングを奨励するのである。

 こういう形の制度のは、もはや「公務員制度」ではなく、憲法の裏づけを欠いた「国や地方の仕事をする民間人」の制度である。労働基本権なども、官民の区別をつけないことから、必然的に「付与」という路線が出てくるだけであり、労働者の権利の擁護などの発想でないことは、最初の「労働ビッグバン」を前提とした議論から明白であろう。戦後の公務員制度の民主化も、クソも全くない、驚くべき議論であり、部分的に修正するなどの議論に馴染まない、つまり、撲滅の対象にしかならない議論である。
 しかも、労働基本権については、「真剣に検討すべき」というような役人言葉をちゃっかりと使用している抜け目のなさであり、付与するかどうかも不明なのである。

終わりに

 マスコミの公務員攻撃(地方公務員厚遇措置などのネーミングも、攻撃の一種)は、官僚攻撃としてならば、それに一定の意味があるが、上記のような「グローバル国家=官僚の育成」という、官僚機構の再編に対する批判的視点は全くない。
 国家と市場の融合、グローバル資本と国家の融合を担保する「公務員」、いやグローバル資本の代理人としての公務員=民間人の創出である。
 これで、防衛庁から防衛省に昇格して、日本の軍事産業を代表する人たちが、公務員と官民の交流などを通じて、公務員のトップに就任することも可能になる。「防衛大臣」の出現だけでも、大きな問題であるが、これに加えて、シビリアンコントロールの網の目を抜けて、軍事産業出身者が直接行政に参加してくる可能性は、次第に高まって行くだろう。すべての分野で同様の出来事が発生する。

 国民の生活に無関心な人間が公務員として処遇されていくことほど、国民にとって大きな不幸はない。
公務員が全体の奉仕者としての役割を発揮するためには、国民と同様の生活を行い、喜怒哀楽を共にする、感覚がなければならない。労働者ー勤労者としての公務員であり、一般国民が「職業」として選択を出来る公務員でなければならない。
 この人たちが、国民の生活や感情を行政に反映し、行政はそれをうけて、政治や法律に国民の意見を反映していく。この国民と公務員のフィードバックのシステムが崩れ去った時、公務員は国民から疎外され、国民の上に立つ、官僚となるわけである。それも、今回のようなグローバル資本を代表した官僚では、国内資本の利益すら擁護しないわけである。
 というわけで、公務員制度改革論は重大な時期に差し掛かった。