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 2006年08月31日(木)

安倍晋三『美しい国へ』(文春新書)を嗤う

はじめに

 以前、安倍晋三『美しい国へ』について、そのうち論評すると述べておいた。出版された直後に購入してパラパラと読んだのであるが、「これが日本という一応の先進国の首相となるような人間の書くレベルの本か?」という思いが強くあって、論評を書くこと自体躊躇ってきたのであった。好き嫌いはあるだろうが、例えば中曽根康弘や小沢一郎などがこれまで書いてきた「政策論」「自伝」などと比して、内容的にも「人間の厚み」にしても、貧相極まりないというのが第一印象であった。

 ところが、どうも自民党内では、各派閥が雪崩を打って安倍支持に回っているようで、この間の世論調査や自民党内の動向調査でも、安倍氏への支持がむしろ強まっているようである。この現象は、現在の政治制度が選挙においては小選挙区制になり、党執行部(党三役)の意向が直接、党公認や比例の順位に結びつくという党中央集権制の強化や、各派閥の資金調達能力が低下している中で、国税から投入される数百億円の政党助成金が党運営の中心に据えられてるようになってきたことと関係している。つまり、「勝ち組」に乗らなかった場合の「あとの仕打ち」を考えると、信念を通して「負け組」を支援することが非現実的になって来ていることを示している。この5年半の小泉首相による「自民党の壊し方」を見てきた自民党幹部としての処世術の変化でもある。

 そこで、安倍氏の著作のレベルの低さに目をつぶり、「心を鬼にして」、この安倍氏の初めての単著という『美しい国へ』について、安倍批判と共に掲載をしておくことにした。詳しい批判はまた後日、必要に応じて「安倍批判」という形で述べることを前提にして、ここでは、概略批判に留める。

 本書の目次は以下のようになっている

はじめに
第1章 わたしの原点
第2章 自立する国家
第3章 ナショナリズムとはなにか
第4章 日米同盟の構図
第5章 日本とアジアそして中国
第6章 少子国家の未来
第7章 教育の再生
おわりに

 という構成である。この構成を見る限り、今日の日本の国政に関する「政策提起」になっているように思われるが、なんと言っても全体で230ページ程度の「新書」版であり、しかもその中に「私の原点」というような「自慢話」がちりばめられているので、各論の内容の「薄さ」はどうにもならない。
 ところで、その「自慢話」の「私の原点」にしても、幼少の頃から祖父である岸信介の信念を肯定し、学園紛争など、安倍が育った時代の「主流派」=革新勢力(当時は余程肩身が狭かったのだろう)を否定し、保守本流としての自分の由緒の正しさを強調している(まあ、好きにしてくれ)。
 笑えたのは、イギリスには日本では「軽蔑されてる?」保守党という名称の政党が堂々と存在していることを知って感激したというクダリである。そこまで、世をひがんでいたかと思うと、思わず合掌してしまった(笑い。
 また、第6章で、「チャーチルの福祉政策論」というのがある。チャーチルが自由党員だったこともあり(だから福祉か<笑い)、労働者に手をさしのべることを大変重視したと述べている。安倍氏がそう思っても別にとがめ立てはしないが、この延長線上で、「国民年金法を成立させた祖父・岸元首相も、根っこはチャーチルと同じ考えをもっていた」「祖父の場合は、その貧しさを生みだしている国家を改造しようとしたのである」といった具合に、なにやら岸信介が日本の福祉の創設者に祭り上げられそうな雰囲気でもある(笑い。岸の場合国民統合的な「福祉論」という意味はあるだろうが、福祉国家論の祖ともなると、歴史の教科書も書き直さなければならないだろう。身びいきな議論と言えよう。

1)安倍晋三という政治家の思想
 
 さて、あまりエピソード的に話を流さないで、『美しい国へ』というロマンティックな名称の本から読み取れる安倍氏の思想について、整理をしておこう。
 巷間、安倍氏から北朝鮮の脅威論と拉致問題を取ったら何も残らない政治家だ、という評価がある。私もそう思うのであるが、私の場合むしろ「そんなピン芸」で何で一国の首相まで上り詰めることができるのかという方に興味がある。

①安倍氏の思想の根幹には、ナショナリズムがある。例えば、靖国問題を見ておこう。小泉首相の8月の参拝は、色々と各方面で物議を醸したが、かれは、靖国の史観(対米戦争を美化し、あの戦争の侵略性を一切否定する)と自分が靖国を参拝する視点は違う、つまり、靖国史観と自分の史観は異なると国会でも明確に述べているのである。かつて、靖国を公式参拝した中曽根氏にしても、中国や朝鮮に対する日本の行為は明確な侵略であることを認め、対欧米については、そう簡単に侵略とは言えないという史観を示していた。これに対し、安倍氏の本を読む限り、あの戦争が否定すべき侵略戦争であったという「反省」や言辞が一言もないのである。
 平たく言ってしまえば、小泉や中曽根に比しても、遙かに「右」というか、無邪気な右翼なのである。これは、今日の日本の首相(まだなっていないが)の資格としては、深刻なものがある。
 ただ、やや「救われる?」のは、小泉の靖国参拝への各国(アメリカの一部も含めて)の批判や日本の世論を、そのブレインと検討して、今後の靖国への対応を慎重に行うことを考えるようになったという報道がある(朝日、8月29日)。これは、私が安倍氏の靖国への対応(沈黙路線を「それなりに考え抜かれたもの」)を評価したことと対応しているようである。現実的にこれしか「ない」のだろう。本心は兎も角として。

②安倍氏の憲法観は、後で述べるように対米従属論者であることから、「反米」に結実するような「押しつけ憲法」論批判という視点は曖昧にしている。この辺の記述は微妙で苦労した様子が見え隠れするが(笑)、戦後の日本の防衛についても、日米同盟をベストと評価しているわけで、「国を守る」ことが、対米自立などに帰結することはない。
 そのフレームの中で、小泉首相とも異なって、「集団的自衛権」を憲法改正の中心に据えようとしていることである。小泉の場合は、首相公選制が中心であり、憲法改正論としての「重み」はなく、むしろ強い首相を志向する中での「傍論」的な位置づけだったと言えないこともない。天皇制なども肯定し、天皇を一貫して日本の象徴であったと述べてる点などは、まさに目が「点」になったが、これでは昭和天皇がA級戦犯を靖国に合祀したことに不快感を持っていた報道されたような問題に小泉のように「ドライ」に対応できなかったであろう(小泉首相の時でよかったと胸をなで下ろしていることだろう)。
 この安倍氏の憲法論とアジア諸国、とくに北朝鮮と中国への敵視は、日本の経済活動とかなりの緊張感を産むことになろう。何より、彼のブレインには、「新しい歴史教科書」のグループ(内部紛争で四分五裂になってはいるが<合掌)メンバーもおり、新たな「火だね」も出てくるだろう。

③小泉構造改革で、社会格差が拡大し、社会の二極化が進行していることは、もはや誰の目にもあきらかであろう。貧富の差が比較的大きい高齢者の数が増加していることに、格差社会の原因を求めるような議論は既に破綻をしており、若者の格差が拡大し、これが将来にわたって日本全体に波及していくことの深刻さが既に、一般国民の意識となりつつあるのである。
 安倍氏も流石にこれをそのまま肯定できず、「再チャレンジ」をスローガンにしている。まあ、再チャレンジできた方がよいと言えないこともないが、1回目のチャレンジで「何でだめだったのか」という社会的原因を解明せずに「回数」だけチャレンジしてみたところで、恐らく、何の問題解決にもならないだろう。「金がなくて進学できなかった」というような理由は、どうすれば再チャレンジの対象になるのだろうか。いい加減な議論である。
 それは兎も角として、安倍氏の「再チャレンジ論」は、新自由主義に親和的な部分と新保守主義やナショナリズムに依拠する部分から構成されている。
 駄目教師を辞めさせる、学校選択や、やる気の有る教師の優遇、学校の民営化や学校評価の推進など、管理強化と新自由主義的な政策の結合が見て取れる。同時に、校長の権限拡大や自治体への「分権」など新保守主義的と新自由主義の切り貼りもある。安倍氏の頭の中では、これれが渾然一体となっているのであろうが、改憲と同時に、二つの面からの教育基本法の「改正」も第一義的な追求対象となるだろう。

④新自由主義路線という点では、小泉構造改革を踏襲して行く部分が多いと思われるが、「家族重視」やコミュニティ重視という点でも、また、単純に「小さな国家」をめざすことがよいとは思わないという説明などを見ると、新保守主義的に破綻を繕っていく可能性が強い。
 総裁への事実上の出馬表明の際にも、「挙党一致」を上げていたのは、単なる戦術的な問題にとどまらず、新自由主義的構造改革の「破綻」を「再チャレンジ」だけではなく、公共事業や様々な政府予算の散布によっても糊塗することも含まれていよう。この辺が、多くの派閥から期待される根拠ともなっているようだが、勿論、それには限界があり、小泉構造改革を「逆転」させるようなものには絶対にならないといえよう。

2)安倍晋三の政策の骨格
 
 議論の整理が下手なために、既に、安倍氏の政策問題と思想を一体的に展開してしまっているが、ここで安倍氏の政治的由来というか、政策の「骨格」について批判的に検討しておきたい。
 『美しい国へ』を読めば氷解することであるが、安倍氏のスタンスはナショナリストであり、新保守主義であり、新自由主義改革による社会の歪みの「新保守主義的」繕いが、基本スタンスである。
 靖国や教科書問題、あの戦争観をベースにして、日本の経済界が渇望するような東アジア共同体などの新たな経済進出が可能になるだろうか。安倍氏のスンタンスの中心は、対米従属である。これは重いものがある。彼の父である安部晋太郎の秘書としてアメリカの要人との「パイプ」の太さを売り込むのが『美しい国へ』の一つの特徴であるが、このアメリカべったりと、微妙ではあるが、対米戦争を美化している靖国の遊就館への態度などは、当然にバッティングする。この「調整」が先にのべた、靖国への沈黙路線に帰結するのであるが、矛盾が解消されるわけでもない。

 では、こういった対米従属路線で、彼の「売り」である拉致問題や対北朝鮮強硬路線がなにか日本によい結果を生みだすだろうか。
 結論から言って、安倍氏の政権では北朝鮮が崩壊でもしない限り、拉致問題では30センチも解決に近づかないだろう。これは福岡政行氏も明確の述べていた。6者協議をどうするかという問題もあるが、なんと言っても、ピョンヤン宣言は「国交回復」をめざした路線である。これをどうあつかうのか。
 中国と北朝鮮の関係も、核開発を巡っては緊張関係にある。同時に、ロシアまでを含めたエネルギー路線やアメリカVSイスラム諸国との関係における、中国や北朝鮮の位置づけなど、複雑な国際関係の中で、現在の日本のスタンスでなにかプラスになる役割を果たせるかというと、全く期待できないのである。
  
 北朝鮮の7月5日のミサイル発射実験について、国連の安保理事会での非難決議を上げることに、安倍氏が貢献したように言われているが、決議を好く読めば、ミサイル実験そのものについては国際法上、何らの非難も行われていない。核開発との関係で、ミサイルがその運搬手段になる限りで非難の対象となるという「構図」は決議に貫かれている。だから、この問題でアメリカと中国・ロシアの利害が一致したと見るのが常識であろう。
  北朝鮮との関係でいえば、小泉氏が当初アメリカの意図を忖度できずに行った平壌宣言路線しか、現実的政治を前進させる方向はないと言ってよい。

3)ダイナミックなグローバリズムと日本の歩む道

 2003年に経団連が公表した「活力と魅力ある日本」では、東アジア自由経済圏が謳われていた。ここであ、不思議なことであるが、アメリカが全くでてこないのである。将来の日本経済の発展や、日本の国際的地位を考えるならば、当然であるが、発展著しい中国との「付き合い方」をどうするのかを除いて、今後の議論はありえない。
 現在、一国覇権主義を取っているアメリカも、イラク戦争ではそのユニラテラリズムから「国際協調」路線に転換せざるを得なかったように、主導権を維持しつつも、先進資本主義諸国の役割分担と参加を求める方向は今後も避けられないだろう。その圧倒的軍事力は、経済力とのアンバランスに常に悩まされ続けることも明確である。日米軍事同盟の再定義もここに根本的な問題がある。
 対米従属への批判は、様々な形で噴出しており、「アメリカの謀略史観」というような非難が、関岡英之『拒否できない日本』など、どちらかというと「右」の系列の人間からも出ている。
 対米従属を絶対の指標とする安倍氏の政策によって、この東アジアにおける共同体づくりや、世界平和に貢献するアジア諸国の「力の結集」などが実現される可能性は低い。というか、反対にその方向から遠ざかる。

4)安倍氏の歴史的役割

 安倍氏の著作を読んで、どうにもレベルが低いし、官房長官という、これまでは首相の「後継者」にしないための「ポスト」にある人間でもあるし、彼が首相になった場合の日本はどうなるのだろうか。
 北朝鮮強硬主義者である面をもちつつ、祖父の時代からの「統一教会」(集団結婚などの怪しげな団体)との関係(つい、最近も福岡で行われた同団体がらみの集会に祝辞を送っている)や、さらに怪しげな宗教団体との付き合いなどが指摘されている。試しにGoogleで「安倍晋三 統一教会」などと検索をしてみると、「でるわ、でるわ」の状態である。
 こういった資金の面や、人間関係、組織関係などを見ると、その政策的政治的な批判の以前に、スキャンダルにまみれて「倒壊」する可能性すら感じる。
 これは一体なんなのか。極めて不思議な様相である。安倍晋三内閣成立の歴史的意義は自民党政治の転覆にあるのだろうか(笑い)。

  こういう意味からも、来年の一斉地方選挙や参院選挙の政治的意味はかつてなく重いものがある。そして、憲法擁護や9条の国際的意義を広める運動の重要性、そして「即効性」がかつてない程高まるだろう。私は、この運動に「強力殺虫剤」の役割を期待しているのである。

注)読み直してみて、『美しい国へ』の読み方としても、もう少し厳密にした方が良い部分もあり、9月3日時点で、ほんの少し修正を行った。また、『美しい国へ』では明確に述べられていない、「日本型安全保障会議」の構想などは、日本の軍事大国化の「完成」と日米同盟の攻守同盟化という文脈で考えると大変な提起であり、これはこれで、また別の一稿を要するだろう(9月3日記)。