2005年07月14日(木)
渡辺治『憲法「改正」ー軍事大国化・構造改革から改憲へ』によせて
●7月4日の新着情報で紹介したが、渡辺教授からご著作をお送り戴いたので、感謝の気持ちを込めて、その内容の一端を紹介し、現在の改憲動向を憂える全ての方に、ご一読をお勧めする次第である。

「はしがき」には「改憲に反対する側からもたくさんの本が出版されるようになった。僕の本に特徴があるとすれば、現代の改憲を90年代から怒濤のごとく展開した資本のグローバリゼーションとそれに対応する2つの改革との関係で説明していること、9条と同時に構造改革の遂行にともなっても改憲の衝動が強まっている点を指摘したこと、国民投票法の重要かつ危険な役割を検討したこと、そして、何より9条の果たした役割と今なおもっている力を強調していることなどであろうか」と述べられている。
私は、渡辺教授の著作・論文等については、恐らく殆ど読んでいるつもりであるが(この著作のベースになった『労働情報』も当然に読んでいた)、一読をして、これは是非とも、多くの方に手にとってもらいたいという気持ちなった。特に、労働運動や改憲反対の運動を行っている人たちには、文字通り「必読」の書であると思う。多くの方に読んで頂ければ、必ずや「渡辺理論」が物質的な力となることを確信するからである。
●日本の憲法(特に9条)が、現実に合わなくなって「解釈改憲でズタズタ」になっているという議論は、改憲論者だけではなく、日本国憲法を高く評価する人たちからも度々聞かれる。例えば、ダグラス ラミス『 憲法と戦争』(晶文社)は、良書であるが、憲法が解釈改憲によって「空洞化」してしまっていると日本の現状を批判している。
このような「心理」状態は日本国民の中にも無視できないウエイトで存在している。
渡辺教授の憲法の現状把握は、この「逆」である。憲法は、まだ一度も実現をしていない、というものである。つまり、21世紀の日本・世界の「マニフェスト」として目標に掲げるべきであるというわけである。そして、同時に、「もし(憲法が空洞化して)ボロボロなら何もわざわざ『改正』する必要はない。それなのに、近年、とくに自衛隊のイラク派兵が強行されたあとになって憲法『改正』をしようという動きが急を告げているということは、じつは憲法9条は死んでいないといういうことを意味していると思うのです」と憲法の「現状」について、実践的な意味づけを行うのである。
本書では、憲法がどれほど日本の軍事大国化の「桎梏」となってきたかが事実にもとづいて明らかにされている。
●日本における「改憲」の動きは、戦後三回あったとされ、改憲論の多さやその内容において、今回(つまり戦後三回目にして最大の改憲の動き)は「正念場」であるとされる。 憲法「改正」の中心課題は9条にあり、「プライバシー権がない」とか「環境権」がないなどという議論を含めた「全面改憲」論というのは、「9条改悪のためのオブラート」であるという認識は、現在の改憲論についていえば、不充分であると主張される。
90年代以降の構造改革の進行によって、自殺者が3万人を超え、ホームレスも5万人程度はいると見られる情況において、全面改憲論は社会統合の「再建」の意味を持つことが明らかにされている。
新自由主義的な構造改革によって、既存の社会統合が破壊され、社会問題が噴出する状況への危機意識が支配層の中でも強まっているわけである。こういった現状把握から、全面改憲論についも、「統合」の在り方をめぐって「2つのタイプ」が存在することが解明される。
●その一つが、アメリカ型の階層型社会、格差社会をつくっていく構想であり、もう一つが、ネオ・ナショナリスティックな、共同体を再建して社会の再統合をめざす構想であると分析される。そして、アメリカ型の階層型社会には三つの柱があり、①階層型福祉・教育の制度化②保守二大政党制化③下層に対する治安強化・「強い国家」であるとされる。 そして、新たな国家構想について、「構造改革推進国家体制提示タイプ」の改憲論が、民主党中間報告の内容であり、これを一層純化した「階層型国家構想」が日経新聞案であるとされる。自民党の改憲案(「大綱」など)は、こういったものに共同体型国家の強化を加味した「折衷型」の国家構想であると分析をされる。
しかし、自民党の改憲構想も一見すると復古的内容と思われがちであるが、グローバリゼーション下での社会統合の破綻を、共同体の再建により縫合しようという狙いに基づいたものであるから、「復古的ではないと私は思います」と述べられている。
自民党の「大綱」における階層型構想と共同体型構想の配置具合についても分析が行われている。まず、階層型構想であるが「大綱」では、憲法25条の生存権規定を「プログラム規定」にしてしまい、個人が25条を根拠にして裁判上争えない規定にしてしまうことが重視される。つまり、生存権を根拠とした福祉制限立法の違憲性を争ったり、構造改革に反対する諸立法の違憲を争うことができなくなることが述べられる。
また、「国民の責務」規定が入れられている点に着目し、これでは「生存権」原理ではなく、保険料を滞納する国民には権利がないという「保険主義」に堕することが明らかにされている。
こういった「階層型構想」と同時に、「大綱」には「国柄の重視」「天皇の元首化」など復古主義的ともみられる内容が含まれているとされる。
●こういった分析に立つが、現実的には、自民党案がそのまま国会で合意されることは、民主党や公明党の賛同を得ることが「改憲」の条件になるので、無理であると分析される。しかし、自民党がこのようなプランを出す意味は、「グローバリゼーションと新自由主義改革の強行に対して、財界や保守勢力が構想する将来国家の理想像を打ち出したものであり、今後の政策は、この見取り図に沿って進められる」ということであると述べられるのである。
また、憲法9条の改憲案についも、三つの類型があり、①「徹底タイプ」(国連決議の有無にかかわらず、自衛隊が出て行けるようにする)②国連決議がある場合に限って自衛隊派兵を可能にする③「国際貢献のために自衛隊を出すことができる」というような「あいまいタイプ」である。
渡辺教授の分類によれば、7月7日に出された第一次素案も、この第三のタイプであることになる。集団的自衛権とか国連とか具体的な規定を述べず、民主党や国民をあえて刺激する言葉を使用しないということである。具体的な中身は「安全保障基本法」などのようなものをつくって決めようというわけである。
●渡辺教授の分析のユニークな議論の一つは、改憲勢力にとって、日本の民主的な運動や、海外の世論、憲法の規程が如何に「障害」になっているかという視点であろう。「苦しい」のは、改憲反対勢力だけではないことが、実践的に解明されるのである。
「改憲実行に立ちはだかる困難」という分析がそれにあたる。
国民投票法の制定も、やりようによっては改憲を失敗させる「取り返しのつかない」問題を孕むとされる。そして、この問題が俎上に上ったのは、戦後初めてであることが明らかにされ、今日的「改憲」情況の特徴とされる。そして、具体の展望については、おそらく、国民投票のやり方については、国会の「発議」方法に委ね、一括賛否方式か各条ごとの賛否かなどは「回避」されるのではないかとされる。国民世論をできるだけ刺激しない狡猾なやり方が指向されると見るわけである。
そして、憲法9条を守ってきた闘いの到達点に確信を持つことが今後の運動にとって、重要であることが強調される。そして、今後の運動を発展させるためには、先に紹介したように、改憲が社会統合の再編をもめざしていることを自覚した、反「構造改革」・反「グローバリゼーション」の運動と結合をさせる重要性が強調される。
また、日本の平和運動が「殴る側側の大国」に日本がなっている自覚を持つ必要があると強調される。殴られた側は痛みを忘れないが「殴った側」は直ぐに忘れられる、と述べられる。
そして、9条の理念の実現の展望を21世紀の課題・マニフェストとして、日本のイニシアチブを発揮することが必要であるとされる。
●9条の会の発展など、これまでに見られかった運動の広がりを指摘しつつ、これ自体は運動体ではないので、「この社会的な数千万の土壌は、その人たちを政治的な力にするための将来の共闘組織、統一戦線組織をつくる貯水池」として位置づけられ、その上で、「社民党、共産党が参加し、そこにさあざまな市民組織や労働組合のナショナルセンターを含めた共闘組織ができれば、それは、改憲に反対し、それを阻むために必要なあらゆる闘いを提起することになるでしょう」と主張される。国民の過半数を組織するかつてない幅の運動が必要であり、60年安保などの状況では、まだまだ「狭い」ものであるとされる。 最後に「私たちがもし改憲を阻む闘いを組織することができれば、事態は大きく変わるでしょう。保守二大政党制はそのままではいられなくなるでしょうし、逆に、憲法を実現する、新たな平和と福祉国家をめざす闘いの一歩が踏み出されるに違いありません。」と結ばれるのである。
以上、駆け足で紹介をしたが、渡辺教授の本をかなり読んできた私にとっても「眼から鱗」の議論がかなりあった。これだけ、体系的に改憲動向を分析し、運動論的にも卓抜な議論は他にないと思われる。本書が多くの読者を得て、運動の前進に寄与することを願って止まない。

