2006年03月12日(日)

渡辺治『構造改革政治の時代ー小泉政権論』ー書評

●『自治と分権』23号に上記の書評を掲載したので、参考のために再掲をしておきたい。同書は、小泉構造改革+日本の軍事大国化+憲法改正論の三位一体批判である。書評は1000字という短さなので(1000字で一冊の本の書評を書けなければ、その内容を把握しているとは言えない、という恩師の言葉が脳裏をよぎり、その意味で暗澹たる気分なのではあるが)、言い尽くせない部分が当然にあるが・・・

****以下、書評*****
書評 渡辺治『構造改革政治の時代―小泉政権論』(花伝社 2005年12月 2625円)

 本書は、小泉構造改革と日本の大国化に反対するすべての人にとって「必読の書」である。渡辺氏の著作の何よりの魅力は、時代を先取りする政治情勢分析における「グランドセオリー」にある。資本主義のグローバル段階における蓄積様式の変化が、日本における支配の再編に帰結することを早くから予想し、「大国化と新自由主義改革」がその両輪になることを強調してきた。
 今回の「小泉政権論」においては、この理論的フレームが見事に情勢推移と合致していることが証明されているように思う。書き下ろしの序章では、内閣主導の「強い政治」が進み経済財政諮問会議に象徴されるように「財界の政治部門への直接参加が始まった」と規定している。日本では、構造改革推進への「抵抗」が、旧来の自民党政治そのものにあるという著者の一貫した視点は、昨年の総選挙における「抵抗勢力の打破」「自民党をぶっ壊す」という小泉首相のスローガンとその帰結によって、その正しさが証明された。
 小泉構造改革は、「いわば、福祉国家あるいは開発主義国家から新自由主義型国家への大規模な国家改造の焦点をなす改革である」とされる。
 憲法改正に反対する視点も明確である。米軍への全面的後方支援態勢の確立にむけて、いよいよ憲法改正を避けられない事態になっていることが解明され、同時に、構造改革の進展のためにも改憲が要求されていることを明らかにしている。従って、運動も憲法改正反対・国民投票法反対と構造改革反対を結合して進める必要があることが強調される。
 「グローバル化と構造改革の進展が社会の階層分化を加速し」、既存の社会統合のひび割れが進んでいる。狭義の構造改革は、「資本の負担と規制の軽減」であるが、社会統合の危機に対して新自由主義的国家の統治体制づくりが広義の構造改革であるとされる。そして、社会の上層統合による支配=アメリカ型階層支配が目指されていることが解明される。
 地方分権や三位一体改革、あるいは公務員制度改革なども、その流れの中に位置づけられる。著者は、「こうした小泉政治の現状のもとで、構造改革と軍事大国化に対するオルタナティブの形成が、緊急性を増している」とし、「民衆のマニフェスト」づくりが求められるとしている。
 本書は、構造改革と軍事大国化の双方に関する著者の諸論文の総合であるが、教育基本法や司法改革問題なども、その文脈の中で触れられている。必読書であることを再度強調しておきたい。
*********************書評終わり********************

●というわけで、短い文章ではあるが、雰囲気はご理解頂けただろうか。渡辺氏の議論に対する「ファン」も最近ではかなり増えたが、「批判」もある。
 それは、新自由主義についての「実態と概念」に関わるものが大半であったと思う。これは、民主的な陣営内部からの批判も多かった。

 例えば、「しんぶん赤旗」に、渡辺氏の上記著作の書評を掲載していた、石川康宏氏は、「ただ一点、軍事面で語られるアメリカへの追随が『構造改革』では論じられないところにものたりなさを感じますが」と述べていた。
 これは、軍事大国化に関する渡辺氏の叙述においては、アメリカの圧力(たとえば、有名なアーミテージレポートなど)が随所に出てくるにも「かかわらず」、国内の「構造改革」問題では、アメリカの圧力やアメリカへの追随問題が出てこないという不満をのべたものであろう。

 最近は、日本の経済や政治に関して、アメリカの圧力について告発する論文や著作がかなり出ている。中田安彦著『ジャパンハンドラーズ』(日本文芸社)、関岡英之『拒否できない日本』(PHP新書)、吉川・関岡『国富消尽』(PHP)をはじめ、朝鮮外交をめぐって有名になった原田武夫『騙すアメリカ騙される日本』(ちくま新書)といったものが、直ぐに念頭に浮かぶ。

 特に関岡氏の『拒否できない日本』は、論壇でもかなり取り上げれらた。ネット販売のアマゾンで買えないというような「デマ」さえあった(私はアマゾンで買ったが)くらいの「衝撃的」本であった。ここでは、日本がアメリカの「属国」的な位置にあり、日米構造協議以降のアメリカの対日「年次要望書」の分析が緻密におこなれており、最近問題になった建築基準法の改正(建築確認事務の民間化)などが、この対日年次要望書にあることが述べられていた(私も、耐震偽装問題がマスコミで報じられた際に、思い出して直ぐに関岡氏の同書を読み直した位である)。

 ここでは、アメリカの日本に対する系統的な経済・政治問題での圧力が、事実に基づいて検証されており、この「要望」の殆どが現実のものになっていることが実証されている。

 さて、こういった視点から見ると、確かに渡辺氏の今回の著作では、アメリカの圧力が「構造改革」を促進するファクターとして正確に位置づけられていないという「批判」は成り立つかもしれない。
 しかし、こういったアメリカの対日圧力問題については、もう少し吟味が必要である。例えば、原田氏が述べているように、対日圧力に対するスタンスは、①同一化(これは迎合路線ー日本の支配層の主流ー竹中総務相のようにアメリカナイズされた「アメリカかぶれ」の日本人)②猜疑論③反発論(石原慎太郎など)④陰謀論(副島隆彦氏など)に分類されるという。
 つまり、実証や論理性において、その本質を解明することになっていないという批判である。原田氏自身についていえば、アメリカの「奥の院」を知ってしまった(これは、全く内容が明らかにされないが)ので、もっと深い部分からアメリカの圧力があることを示唆している。

 この「批判」は、一定の真実を持っている。つまり、アメリカが圧力をかけたと言っても、それが「なぜ、実現するのか」という日本内部における権力構造や、支配の特質、日米関係の本質が解明されていなければ、それは、単なる「報道」やせいぜい「陰謀論」に陥ることは明かだからである。
 
 その意味で、渡辺氏の議論は、日本の支配層内部の「構造」や「矛盾」に着目しているわけである。中途半端なアメリカの圧力論を論じることは、むしろ、こういった「なぜ、それが実現するのか」という日本国内の内在的な要因を曖昧にするわけである。と言っても、私自身も、渡辺氏が日米構造協議をはじめとする「貿易摩擦」「投資摩擦」「金融摩擦」などへの「圧力」を、日本国内の政治とどのように「ドッキング」して、議論をされるのかは、聞いて見たい課題ではある。恐らく、日米関係における「従属」概念を、基本的に「軍事面」に見いだしているのだと思う。経済や金融その他の政治問題を一絡げにして、「従属」規定を行うといったことはあまりに議論を曖昧にする。 

 例えば、日本共産党の綱領は対米従属の規定について「高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカに握られた事実上の従属国となっている」とその概念を基本的にに「国土や軍事など」(この「など」の内容はよくわからないが)がアメリカに握られていることを重視している。つまり、日米安保条約による「同盟」をその基底に据えているのである。だからこそ、安保廃棄が対米従属からの脱却のポイントとして位置づけられると言う構図になるのであろう。

 日本の自民党政治も、アメリカとの関係で「一枚岩」ではない。小泉氏は、以前から「さくら銀行」などの研究会に出ており、日本の新しい金融業界の利害を反映していると言われている。彼が頻繁に審議会等に呼び込んでいるオリックスの宮内義彦氏などは、70%外資の会社の会長であり、金融、保険や人材派遣なども行っている企業の利害を代弁している。当然に、既存の保険業界や金融業界への後からの「参入」を図る立場にあり、アメリカ等の多国籍資本の日本への進出と利害を一体化しているという特徴もある。郵政民営化等についても、簡保民営化においては、かなりの利害をもつ人物でもある。

 こういった「事実」群を、理論に昇華していくためには、かなりの労力が必要であろう。

●さて、石川氏の『現代を探究する経済学ー構造改革とジェンダー』では、小泉構造改革を「新自由主義」と規定することに反対をしている。新自由主義と大国化のカップリングという認識は間違いであり、「さまざまな改革が結局は年50兆円の大型公共事業に手をつけることができずにきたように、『ゼネコン国家化』と呼ばれる鉄鋼・建設資本などの利害を中心にすえた国家財政への寄生という資本築戦略は、自動車・電機産業などの『多国籍企業化』戦略との未整合な抱き合わせの中で、依然として主要な蓄積戦略でありつづけている」と認識されている。
 そして、こういった「ゼネコン国家化と多国籍化の両面はともに対米従属の深刻な影にひさされて」いるということになる。

 こういった視点から渡辺氏の著作を見るならば、構造改革を急進的な新自由主義改革と規定しているので、受け入れられないことになろう。
 そういう意味で、私としては、石川氏の「小泉構造改革が新自由主義ではない」という立場からの一層本格的な議論を聞いてみたい気がする。

●この問題を追求していくと、先にのべたように、「従属」という問題にぶつかるであろう。この従属性は国家としての「自立性」を阻害するものである。渡辺氏は、現代の帝国主義を「アメリカを盟主とした階層的な構成」になっているとしている。この階層的な「帝国主義」が、それぞれの国内の政治にどのような影響を与えるのか。構造改革における対米「従属」という概念規定が妥当なものなのか。また、これは、軍事的従属の付随的なものなのか。「国家」をめぐる「従属」概念について、議論を深める必要が出てくるわけである。

●最近、日本共産党が24回大会の決議で「新自由主義」という用語によって、日本の政治を語る方向を打ち出した。現在、新自由主義の解説などが、「しんぶん赤旗」にも掲載されるに至っている。読者としては、この問題を是非深めて欲しいと思う。

 医療の構造改革についても、厚労省の立場が新自由主義であるか否かという議論がある。これは新自由主義の「定義」といった些末な問題ではなく、むしろ、日本の現状分析の「根幹」に関わる問題であると思う。
 
 これまでの「ルールなき資本主義」という用語が、新自由主義とどういった関係になるのか、今後の議論の推移に注目をして行きたい。

●以上、感想をふくめて「後日談」を述べた。