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 2006年09月18日(月)

安倍政権と地方選挙・参院選挙はワンセット

はじめに

 2006年9月18日付けの「日経新聞」を見ていたら、「小沢主義がわからない」という土谷英夫氏(日経本社コラムニスト)のかなり長文の記事が出ていた。副題は「民主は“田舎党”になるの?」というものであった。この見出しから、直感的にも理解できるように、この記事は民主党の今日のスタンスに対し、自民党に「勝利」するために、「本心」とかけ離れた政策や主張をしているのではないかという「疑問」や、そういう主張を行うこと自体が、民主党の(我々の言葉で言えば)新自由主義的な「本質」からの離反になるではないか、という「老婆心(笑い)」的な内容である。
 
  この記事をこの論考のイントロに使用したのは、このコラムニストが主張するように、この間、小沢一郎氏が精力的に出版してきた『小沢主義』や『豪腕維新』などには、確かに、小沢氏の年来の主張としての新自由主義との「距離」が目立つ内容が散見され、政治主張そのものよりも、自民党「打倒」というマヌーバー的な主張が中心に座っている観があるからである。
 
Ⅰ)小泉構造改革によって破壊された『日本型雇用』をどうするか?

  『日本型雇用』の破壊については、日産自動車のカルロス・ゴーンによる武蔵村山工場の閉鎖=リストラ、下請けの再編、部品の統一簡素化などの従来の日本では不可能であった、外資的リストラなどが嚆矢としてあり、これが社会的に「受容」される雰囲気がでるや否や、金融から製造業まで、大規模なリストラが開始され、同時に、これが一定の成果を収めて行く中で雇用の「質」=正規労働者から短期労働者・派遣・下請け・契約社員化といった非正規労働者へのシフトが勢いを増した。
 従って、これらの事実をすべて小泉構造改革に帰することは、適切さを欠く面があるが、にもかかわらず小泉構造改革が不良債権の強引な解消をめざし、金融業をはじめとして雇用破壊を促進したことも、また事実であり、こういった産業構造の「改革」抜きに、上記のような雇用の質の転換が促進されたと見ることはできないだろう。また、法制面からも、派遣労働の範囲の拡大や労働法制に関わる(まだ、全面的に転換しきれていないが)様々な攻撃も行われてきた。
 
*構造改革の「結果」としての「格差社会」「社会秩序の崩壊」への対応
 これらの「結果」を象徴する、一つのキーワードが「格差社会」であり、ある種の社会秩序の崩壊である。安倍晋三の政策を見ると、こういった新自由主義的構造改革による「負の面」に対し、新保守主義的に、例えば共同体の再建や家族の意義づけなどを打ち出し、また、日本人=美しい国というアイデンティティに基づく、ナショナリズムの強調といった方向になっている。しかし、安倍氏の政策は、新保守主義的な教育政策(教育基本法の改正→国歌や国旗のすばらしさ、オリンピックなどで「自然」に感動してしまう原動力としての国歌・国旗など)においてすら、新自由主義的な教育政策によって、かなり広範に補完されている。否、むしろ、この新自由主義的な教育政策としての「学校選択制」や「早期選別」(その基礎として基礎学力の重視路線が強調されるのであり、「ゆとり教育」政策の「対極」としての意味が中心である)、学校評価(内容は未だ不明だが)、教育バウチャー制度などの展開が眼に付くのである。

 要するに、小泉構造改革の「負の面」を弥縫的に手当てする政策を掲げつつ、構造改革そのものも推進して行くという矛盾に満ちた政策体系になっているのである。日経の記事=論文は、民主党の小沢氏の主張のもつ矛盾には「目くじら」をたて、その非体系性を論難しているのであるが(それ自体はあとでみるように、結構、当たっている)、肝心の安倍氏の政策体系の矛盾については、眼をつぶっている。恐らく、その「原因」は、安倍氏の或いは今後の自民党の政策が、小泉構造改革を継承する可能性が極めて高いことから来る「安心感」によるものであろう。

Ⅱ)小沢一郎的対応と新自由主義
 
 小沢一郎の『小沢主義』をはじめとして、かれの政治スタンスの特徴は、自民党との争点を意識的に形成して行くこと、また、なんでもその問題点を(民主党本来の姿勢と矛盾しても)咎める政治主義が目立っている。元々、かれこそが、日本の既存の自民党政治の「弊害」を指摘し、もっとも効果的に「自民党をぶっ壊した」のであるが、かれ自身の選挙基盤(選挙方法)も、既存の利益誘導政策を放棄仕切ったものにはなっていない。
 今回は、この辺の問題は詳しくふれないが、ここで確認をしておきたいことは以下の点である。
前原前民主党代表のスタンスは、岡田民主党が総選挙で敗北した後を受け、つまり都市部で強かった「ハズ」の民主党が、小泉構造改革という「魔物」によって都市部上層の票を総取りされた事実を受け、自民党と新自由主義的政策の「速度」「内容」を争うというものであった。しかし、小沢氏の手法は、そうではない。構造改革の矛盾が、地方の衰退と都市部の「格差拡大」という面から、国民の目に触れるようになった点をより重視し、これを自民党政治の「政策的問題点」として指摘し、それを「解決」する、それに反対する政策を前面に掲げる方向を打ち出したのである。

*日本的雇用の維持?
 日経の論考は、小沢氏のこの「姿勢」を批判しているのである。反自民党を標榜するあまり、「終身雇用を中心とする日本的雇用制度はわが国にふさわしい雇用のセイフティーネットとして再評価」「非管理職の勤労者については終身雇用を原則とする」というような政策を打ち出していることを咎めている。
  雇用問題は、実際には、企業サイドの行動によることが大きいので、政治的政策対応として、実際には日本型雇用破壊促進を「放置」する手法はいくらでもある。その辺の「手綱さばき」が実際には、小沢民主党が政権を取るようなことになれば、大きな問題となろう。
 また、日経論考は、疲弊した地方施策の一環として「農業自給」の「完全自給」をめざす政策についても論難をしている。先進国の中では農家の数(実際には専業農家は少ないのであるが)が多く、一戸あたりの耕地面積が極端に狭いことをあげ、生産性が低く、農家に補助金を支出する(つまり一定規模以上農家に直接払いを行うという構造改革路線へのアンチテーゼ)方向では、既得権益の擁護であり、海外との競争力を削ぐものになると言う批判である。
  この批判自体はありふれたものであり、敢えて、反論する必要もないだろうが、安全保障としての食料自給率の問題などを安倍氏などはどう考えるのであろうか。将来に予想される中国の食糧難と反中国政策強化による政治的な面からの、食料安全保障問題などを考慮すると、小沢氏が本気で食料自給率を高める政策をとるならば、これは正しい選択である。
 日本の農業の生産性の「低さ」は、経済学的に言えば、電機・自動車などの輸出競争力のある産業の競争力を「反映」して、農産物の「価値」も高まり、国際比較で高価格化するという問題である。同時に、日本の「農民」は、農業労働者というより、戦後の農地解放によって、「小土地所有者」となり、農業の「没落」と兼業化によって、ますます農業労働者からの距離を増してきたという事実がある。そして、「自分の」農地を公共事業開発にのって「処分」して、自民党政治の地方における利益誘導の実利をうけてきたという側面も無視できない。農民政策あって、農業政策なしと批判をされてきた旧来の自民党政治の一つの特徴でもあった。

*亀井氏などとの共闘が持つ意味は?
 論考は批判を進め、公共事業による利益誘導の「権化」のような存在であった、亀井氏との選挙による共同は、いくら農村が疲弊し、地方が地盤低下しているからといって、旧来の公共事業ばらまきを再現することになるのか、と釘をさしている。論考によれば、亀井氏は「コンクリート派」の代表だということになる。
 確かに、この批判は、政治算術が自らの「主義」に勝るという矛盾を小沢主義が持っていることの指摘において正しいだろう。都市型政党としての民主党が、小泉自民党に都市部で負け、いよいよ田舎党になるのかと「皮肉」を込めて論考を終えているのである。

Ⅲ)日本的「二大政党制」の矛盾
 
 日経コラムニスト=土谷英夫氏の論考の論点は、ソックリそのまま、日本の二大政党制の矛盾のありかを指摘している。都市部において、より急進的な新自由主義的政策を掲げ、安全保障=大国化政策においては、よりマイルドな主張を行う「民主党」と、都市部の中小零細企業主や、農民に基盤を置き、新自由主義政策については、ややマイルドではあるが、国家主義や大国化についてはより「急進」的政策を打ち出す「自民党」というような、棲み分けが、既に困難になっているわけである。
 改憲の動向を見ると、自民・公明のみで、三分の二の衆院議席を持っていても、民主党を抱き込まない限りは国会の発議も不可能である。まして、国民投票ともなれば、一か八の「かけ」になってしまう。

 従って、本来の主張と矛盾する政策を掲げることは、何も小沢氏の「専売特許」とは言えない状況がいくらでも出てくる。日本の政治状況において、二大政党とは一線を画す、第三勢力の確立が強く求められるのである。結局、矛盾を持つ双方の勢力が「妥協」していけば、いわゆる「オール与党」=総与党化現象が一定の局面で出てくる可能性は十分にあるわけである。

Ⅳ)地方選挙と参院選挙
 このような自民党と民主党の「矛盾」やマヌーバーを咎め、国民が要求する政治の原点に引き戻すチャンスとして、来年の地方選挙と参院選挙がある。
 2004年の参院選挙の 党別議席数 をこの図表によって見ると、来年の参院選挙における自民党の改選数は66人、民主党は32人となる。非改選はこの図表では自民党49人となっているが、郵政選挙の際の「離党」などによって46人に減少している。この66人が前回並の49人の減ったとすると、自民党は合計で95人となり、過半数の121人に遠く及ばない。公明党との選挙協力の効果もどうなるか不明であるが、現状と同じ程度とすれば、自公で過半数を維持することはできない状態になってしまうわけである。
  
  小泉造改革で地方はこの間「煮え湯をのまされてきた」ことは事実であろう。だからこそ、安倍氏の政権構想においても「政権の基本的方向性」という基幹部分においては「民間の自律と過度の公的援助依存体質からの脱却」をいいつつ、「具体的政策」の部分では「地方の活力なくして、国の活力なし」などとして、道州制や行政スリム化、民間主導などと共に、「美しい国土の総合的な再生プラン」「地方の魅力創出計画」などを言わざるを得ないわけである。
  小沢民主党が「公共事業はもう死んでもやらない」などといってしまえば、こういった安倍自民党の政策のマヌーバーが勝利を収めることは予想がつこう。先にみたような「単純」な算術的な選挙の予想からみても、自民党の方がはるかに「マヌーバー」を必要としているわけである。

  言葉を変えていえば、安倍新政権(まだ明日以降になるが<笑い)は、この「困難」な中で、外交やナショナリズムの対内的高揚、そして、新保守主義的な弥縫策を期待される中で「誕生」が保障されたといわねばならない。しかし、矛盾は、これまで述べてきたような、国内的な問題にとどまらない。東アジア自由経済圏構想という、日本の経済界がはじめて「アメリカ抜き」の地域構想を持ったという事実、そして、現実に中国やインドをはじめアジア諸国との、一層の連携を果たさない限り、日本経済の発展はあり得ないという、あまりにも当然の認識と、安倍氏のアメリカべったり路線(というか、アメリカとの緊張関係をもつこと自体、全く考えられない思考力=「ともに汗をかく関係」って一体なに?)との矛盾は、長期的に見ると、最大の日本支配層の課題・矛盾となろう。

 さて、そこで、来年の参院選挙の前にある一斉地方選挙の意義は、計り知れないものがある。この間の地方選挙では、知事レベルでは長野で負けて、滋賀県では「勝った」。同じような、地方の疲弊の中で、市民派を標榜する候補者の「明暗」であった。この辺は、過去のブログを参照してほしい。
 長野では、明らかに公共事業の方式などは、簡素化・透明化され(入札制度、評価制度、建設産業構造改革支援など)、同時に、公共事業に関わる独自のコスト調査などを進めるなど、もう少し経過を見たい気がした。選挙結果は、こういった政策レベルの問題以外の人物評価や、地域疲弊への具体の対応などが争点になったが、やはり旧来型の利益誘導政治への「期待」も北海道ほどではないにせよ、根強かったと思われる。この辺が、財政再建問題を含め、全体の自治体政策のあり方の中に、ピッタリと収まらない限り、新しい福祉重視の県政の登場は難しいだろう。
  
  地方産業の地盤沈下や、疲弊、住民生活の困難度の拡大、あいつぐ自治体汚職や不祥事。こういった問題群に対応した『政策』の彫琢が要求されているとみるべきであろう。しかも、それは旧来型の利益誘導政治に帰結するものであってはならないのである。
  自民と民主に公明を加味して展開される「改憲の動き」への「反対」と「平和への具体の展望」を重点に掲げ、地方自治は平和的生存権を保障するものであることを「高らかに」謳いつつ、具体の地域の困難の打開を住民と「共に」、住民主体で打開する地域のエネルギーの発揮が求められる。
  これを「取り巻く」政治情勢については、また、別途展開をしたい。