2005年08月16日(火)
8月15日「終戦記念日」と総選挙
●最初に「改めて郵政民営化の本質を問う②」について補足をしておきたい。
その本質が、郵貯の民営化にあり、資金の流れを「官から民へ」転換することにあると述べたが、これはあくまで「本質」の話しである。
と、いうのは、既に述べたが、現時点で財政投融資改革は行われており、従前のように「官」に資金が流れることは、やりようによってはやめることが可能だからである。
この問題に深入りをすると、何で、今回のような「中途半端」な法案になったのか(ある意味で妥協の産物であり、妥協をしたからには「賛成か反対」かというリトマス試験紙による公認の選別などは、かなり違和感があるわけで、反対派が「まさかここまではやらないだろう」と思ったのも一定の道理はあると思われる)について説明をしなければならない。
しかし、こういった問題は、「部外者」にはわからない問題が多く、「力関係」や郵政資金が国債を支えているので、即座に資金の自由化は問題が多いというような「通り一遍」の説明をせざるを得ないのである。
法案を読むと、3年で「見直す」ことになっており、場合によっては完全自由化を「早める」ことは可能である。衆院で可決した次の日に、日経新聞には、元マッキンゼー社員で現早大教授の川本氏(道路公団民営化問題などでもでまくりの方である)が、完全民営化を急ぐべきであると述べていた。これは、恐らく財界筋の本音であろう。経済同友会などは、こういった法案への不満を持ちつつも、ともかく「まず民営化すべきであり、チャンスを逃すべきでない」という「小さく産んで大きく育てる」式の議論を行っていた。
更にいうと、経済同友会の議論では、民営化とは政府にあれこれ指図されない状態にまでなった場合に「真」の民営化だとしている。この辺の感覚を理解すれば、財投改革が行われているので、公社でも「官から民へ」の資金の移動は可能であるという議論が、同友会的には「なじまない」ということがいえるのだろう。
以上のことを踏まえると、民主党の政策は、かなり「ピエロ」と言える。自民、民主を通じて、構造改革賛成派と構造改革反対派への再編は、現時点ではかなり困難な状態であろうが、再編への「可能性」を積み残した総選挙になることは踏まえておく必要があるだろう。
●さて、話を8月15日の終戦記念日に移そう。
結局、小泉首相は8月15日に靖国参拝を行わなかった。遺族会が必ずしも、15日に拘らなかったこともあり、また、読売やそのオーナーであるナベツネこと渡辺恒雄氏が、靖国参拝に批判的になったことなども影響があった「かも」しれない。
しかし、私の見るところでは、郵政民営化に関わる解散総選挙を決意した時点で、「折り込み済み」の態度だったと思われる。靖国を争点にしないと、明快にのべ、郵政民営化に賛成か反対かの総選挙であると、世論誘導を行ったからである。
実は、私は、小泉首相にとって、靖国などは「どうでも良い」問題なのだと最初から思っている。首相に就任した後も8月13日に「ずらし」たり、元旦に参拝したりしているわけであり、遺族会との関係で、参拝をすれば良いという考え(それも首相在任中のみ)であろう。これは、野中広務氏が、小泉首相は首相になるまで、参拝したことがないと明らかにしたことがわかって、「確信」になった。
しかし、こういった小泉首相の「考え方」や総選挙に臨む戦術については、財界なども最初から理解をしていたようには思えない。というのは、経団連は、今回の解散にあたって、争点は郵政「のみではなく」、社会保障や年金などをふくめた「構造改革全体」であるとのべていたからである。
小泉首相の考えは、あくまで郵政一点で選挙を、というものであり、ここに「活路」を見いだそうというものである。もちろん、マニフェストなどは色々な、自民党の「政策」を展開するのであろうが、「論戦」はあくまでも郵政一点を狙うわけだ。
●小泉首相は、15日に靖国を参拝せず、武道館で行われた「全国戦没者追悼式」に参加し、官邸に直帰している。本日のマスコミ各社の「社説」や論調をみると、小泉首相が今回は靖国参拝をしないだろうと「予想」をしていたものの(公明党、遺族会、マスコミへの対応を総合的に判断か)、読売などは、まだ「心配」をしている様子の記事を書いていた。
読売新聞の靖国問題での「転換」は、興味深い問題を含んでいるが、今回はそれにはふれない。
今回は、8月15日の意味について考えておきたい。これが、靖国と深部で連動をしていると考えるからである。
何が言いたいのかというと、8月15日が「終戦記念日」であるのは、1963年の閣議決定「全国戦没者追悼式実施要項」(池田内閣)「以降」だということである。それまでは、ポツダム宣言受諾通知を行った8月14日、天皇の「玉音放送」が行われた15日(正午)、そして9月2日のミズーリ号上での「降伏調印」が、それぞれ、平行して存在する状態であった。更に言えば、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」という「終戦記念日」は、1982年4月に閣議決定されたものである。鈴木善幸内閣の時である。
少なくとも、国際的には9月2日が、日本降伏の法的な「記念日」であろう。以上のような話しは、ある程度、歴史を勉強したことのある人間にとって、「常識」の部類だと思うが、今回、佐藤卓己『8月15日の神話ー終戦記念日のメディア学』を読んで、8月15日が「終戦記念日に」に「なってゆく」経過を知って、「眼から鱗」となった。つまり、日本のメディアの論調や日本の風習である死者を弔うお盆の行事と一体化して、戦没者を弔う状況が8月15日を「終戦記念日」として確定したというのである。
天皇が15日に玉音放送を行ったのは「偶然」だろう。しかし、終戦(敗戦)の記念日ということになれば、8月14日や9月2日の方が説得力があったはずにもかかわらず、15日となった所に問題があるわけだ。
●元来、8月15日と靖国神社は全く関係がない。
しかし、終戦記念日が8月15日に行われて、それも靖国神社の「前」にある武道館で行われ、式に参加したものが、靖国へと「流れ」て行くという、物理的も大変に都合のよい事態が生じたのであった。
というわけで、8月15日に向けて「終戦ジャーナリズム」が形成されいった歴史を正確に捉えるならば、戦没者追悼の意味も変わってくるのである。つくられた、戦没者追悼の「式典」とその日程は、物理的に靖国へと足が向くこととも併せ、日本人の「敗戦感覚」を歪めてきたのである。
マスコミ各社は、8月15日に向けて(確かにNHKなども含めて、中々見応えのある番組も多かったが)、気の利いたことを言っても、それ自体が、つくられた歴史の「上」でのパフォーマンスなのだという理解が必要なのであろう。
以上は、私なりの『8月15日の神話』の読み込み方である。
戦没者の「追悼」を考える際、8月15日自体を「相対化」して見る必要がある。まんまと「手のひら」の上にのって、あれこれと論じてみても、日本人の「あの戦争」への感覚は変化しないであろう。こういった議論が「健全な世論」に支持されることを、望むものである。

