2005年04月02日(土)
道州制と地域開発②
前回(道州制と地域開発①)は、道州制をめぐる「政治的配置」(情勢の一つ)と全国的にどのようなプランが提起されているか、内容を深く詮索せずに、特徴だけを整理した。
さて、今回は、少し趣を変えて、「国土開発」(国土交通省)の面から、最近の動向を俯瞰し、道州制論議とどのように議論が交差してくるか考えて見たい。
●国交省は、今国会に「国土形成計画法(案)」を提出しているが、これは従前の全国総合開発計画(全総路線)から転換して、基本理念に「地域社会の自律的な発展」「自治体の主体的な取り組みを尊重」などを掲げるものである。地方主導の国土づくり=地方分権と言ってもよいだろう。「国土総合開発法」から名称変更という手続きで、新法案となっている。
2007年までに計画作成を目指すとしているが、この計画は、基本的な施策を定める「全国計画」と、首都圏、近畿圏等のブロックごとに目標達成に必要な事業を盛り込む「広域地方計画」の「二層構造」になっている。
具体の法案を見ると、その特徴として地方の関与を強めるため、
①全国計画の作成で都道府県や政令指定都市の意見を聞くほか、自治体側が計画や変更を提案できること。
②地方計画は市町村や経済団体・市民団体等も含めた協議会で作成すること。
などが盛られている。
基本理念で強調されていることは、人口・産業構造の変化、国際競争力の強化であり、これに少子高齢化や地球環境保全なども謳われている。おしなべて、従前の「全総」と比して、経済成長偏重からプロセスの分権化や地球環境重視へと「転換」しているように見える。
「全国計画」は、土地利用の構想や規制を盛り込んだ国土利用計画と一体のものとし、国交相が都道府県などの意見を聞いて作成、実効性を高めるとされている。
●現在までの「国土計画体系」は、一方に「全総」があり経済の拡大・発展にともなって国土を「開発」する方向が指向され、他方に「国土利用計画法」(昭和49年6月25日・法律第92号)があり、開発がもたらす「副作用」(国交省の表現)への対処を行うという「ゴー&ストップ」の体系であったとされる。実際問題として「ストップ」の力がもう少し強ければ、日本の国土も現在とは異なる様相を呈していたと思われるが、一応、法体系が二本立てであったという点だけは認めておこう。
今回の国土形成計画法案(「国土総合開発法」から名称と内容の変更)においては、その目的(第1条)に「国土の利用、整備及び保全を推進するため、国土形成計画の策定その他の措置を講ずることにより、国土利用計画法による措置と相まって、現在及び将来の国民が安心して豊かな生活を営むことができる経済社会の実現に寄与する」ことをあげている。確かに、従前の国土総合開発法にある「国土を総合的に利用し、開発し、及び保全し、並びに産業立地の適正化を図り、併せて社会福祉の向上に資する」という目的とは趣が異なることは事実であろう。
●上記の内容を見ると、確かに、二つの体系がドッキングされており(第1条を参照)、国交省が主張するように「経済、社会、環境の三面が調和した国土を形成するため、事業・規制・誘導により国土の総合的な利用、開発、保全の確保」する方向への転換が図られているようにも見える。
しかし、マスコミなどが、全総からの「転換」の具体の内容として重視をして報道したのは、「国土の均衡ある発展」という路線が変更されるというものであった。つまり、社会資本の投下の能率が悪い「地方」に対しても「均衡ある発展」をめざす立場から、国家財政や地方財政を投入してきた路線を廃止するということであった。
これまでの全総(第1次から第5次まで)の議論を見てくると、例えば、4全総は東京一極集中が顕在化する中で策定されたが、当初は中曽根内閣の「アーバンルネッサンス」論(都市重視の効率的な財政投入)により、東京への集中を加速する方向すら見られたが、政府レベルで議論を進める中で、やはり全国的に均衡した「多極分散型国土の形成」というスローガンにとってかわられた。
5全総では、「5」全総を否定して、「21世紀の国土のグランドデザイン」と名称にも変化が見られたが、既に東京一極集中にかげりが見られている(バブルの崩壊による低迷)中でも、「多軸型国土構造」を打ち出している。実際には、橋本内閣の下で「地域の自立」、つまり、農村の支配構造維持=利益政治からの脱却をめざす「構造改革」が進行していた。しかし、この「構造改革」や消費税の導入といった状況の下で、政治の不安定化がもたらされ、文言としては「地域の自立」が入ったが、スローガンとしては妥協的に「均衡ある国土」が追求されるという形に収まったわけである。
●こういう歴史的な「流れ」を俯瞰すると、本当に、財政散布型の利益政治と結合した「地域開発」が終わりになるのか、という疑問が生じるだろう。事実、小泉内閣の下でも、「公共事業の抜本的な転換はない」「空港や新幹線などムダが継続している」という議論もある。しかし、私の見通しは、「かなり変わるだろう」というものである。つまり、構造改革によって、地域開発の内容が変貌していくというものである。
多国籍資本に取って、地方の旧中間層への利益政治は、全く「ムダ」であり、農民層への財政散布もムダ(農業政策なき「農民政策」)である。こういった中で、グローバルな国際都市として、多国籍資本にとって「使い勝手のよい」都市の形成が要求される。
市町村合併によって、規模・能力を拡大した「基礎自治体」をベースにして、更に30万、50万都市が最低限の規模として自覚されつつある。広域圏の中での中核的な都市の形成と、その他の地域の切り捨てが展開され、中核的な部分への「重点的な資本投下」がめざされる。この中には、地域の情報化や新しい交通手段(地方空港や重点港湾など)も含まれる。こういった資本投下は「ムダ」とは見られず(新幹線などは、微妙な問題を孕むが、高規格道路などはギリギリの線となる)、「均衡」をめざす資本投下はムダと看做される。
もちろん、こういった重点投下をどこまでやれるかは、その時の国や地方の財政力による所が大きいが、一般的な公共施設などは民間のイニシアと資本よる開発がめざされる。かつての「民間活力」の活用が、第三セクターに帰結して、国や自治体のリスクヘッジの「ツケ」が顕在化しているが、こういった「轍」を踏まないように、今後のPFIなどの路線は「契約」重視の内容に転換をしていくと思われる。
話しが横道に逸れたが、地方の中核的な都市への資本投下は、東京圏や大阪、名古屋圏の位置づけや、国際資本の競争のレベルに依存する。平たくいって、「東京一極集中」の是正などと「牧歌的」な発想で、地方とも「均等」になるように資本を投下していては、国際競争における「敗北」は必死ということになろう。
先日の経産省のシンポに参加したサスキア・サッセンも国際競争に太刀打ちできる都市とは最低でも人口800万を超える都市圏を持つ必要があるだろうと述べていた位である。
●さて、新法案における「地方計画」は、基本的にブロックごととし、政令で指定すれば北東北などのように二つ以上の都道府県で作成することも可能となっている。地方計画区域内の複数の市町村が、共同で市町村連携計画を作成することも認める方向である。つまり、地方は「束」になってかかるという意味である。この中で、中核的な部分を形成できない地方は、そのまま衰退をして行く運命となるわけである。国と地方の権限や事務配分の問題はあるが、地域的には道州制レベルの「広域」が想定されている。まさに、「地方分権」と「広域行政」のドッキングである。
地域開発方式の変化の方向は、既に地方都市レベルや農村地域でもその問題が自覚されつつあり、地方の「保守」的な層にも変化が見られてきた。市町村合併などの状況を見ていると理解できるが、地方中小都市の「危機」が顕在化しつつある。こういった中で、商工会議所は都市計画法抜本改正要求を行い、中心街活性化と同時に、郊外スプロール化やSC建設の規制などを要求するようになってきている。
図式的な解説になってしまったが、以上のような分権と地域開発の関係については、地方分権推進委員会の最終報告に登場している。紙幅がないので、これくらいにして、次回は、商工会議所などの「要求」について、もう少し考えてみたい。

