2006年07月13日(木)

御手洗経団連と道州制

●『文藝春秋』8月号は、「大論戦8.15小泉靖国参拝」が特集ということで広告が出ていたので買った。恐らく、小泉は今年の8月15日に「最後の仕上げ」として靖国を参拝するのではないかと思っていたので、ちょっと読んでおこうと思った次第である。
 上坂冬子が加藤紘一、古賀誠、湯澤貞(前靖国神社宮司)の三人と連続して討論を行っている。上坂のアホさ加減が目立って不愉快な討論になっているのであるが、加藤紘一も私と同様に、小泉は多分8月15日に参拝するだろうと述べていた。
 この靖国論争は、また別途機会を改めて論ずるようにしたいが、加藤紘一の「見識」に改めて注目した。元外務省中国課に席を置いていただけのことはあり、中国通ということだけではなく、日本の戦後処理問題についても、正論を述べていた。上坂が日本は東京裁判の結果を認めたわけではない。Judgmentsを「裁判」と誤訳して、丸ごと認めているように解釈するのは、間違いであり、「判決」(つまり、死刑とか無期とかの判決文)が正しいという佐藤和男(青学大)などの議論を受け売りして、得意げに述べたのに対し、「あまりにも馬鹿げていて国際的にも相手にされていません」と述べていた。
 全くその通りであり、基本的な勉強をシッカリと踏まえた発言に感心した。
サンフランシスコ条約を認めて国際社会に復帰した「経緯」についても、正論であった。これは、以前野中広務氏が述べていたのと全く同じ認識である。

●さて、今回は靖国問題ではなく、表題にあるように「御手洗経団連と道州制」ということで。
 同じ『文藝春秋』に、御手洗富士夫・新経団連会長(キャノン会長)の「日本イノベート計画ー卑怯な経営者は去れ」(副題は村上ファンドは論外、米国に負けない戦略を立てよ)という一文が掲載されていた。
 最近は経団連も経済同友会もイノベートというタームがすっかりと定着したようであるが、御手洗氏の文章を読むと、かなりリアルな認識に裏付けられていることが理解できる。流石に奥田氏が後継者と認めた人物であると思った。

 「経営者には、当然利潤の追求が求められる。しかし、そういう時代だからこそ、倫理やルールを守る精神が大事になるのだ」という言葉は、まあ当たり前の話しで面白みはない。奥田氏と同様にアダム・スミスの「道徳感情論」などを引いて説明をしていた。財界でこれは一種の流行なのだろうか。誰かが奥田氏のアダム・スミスからの引用を批判して、「彼は読んでいない」と述べていたが、まあ、その辺は深く追及しない(笑い。

 イノベート計画との関係で、リアルだと思ったのは、「先端技術が日本の生命線」(つまりものづくり)であるし、アメリカとの「格差」を指摘していた部分である。
 アメリカが金融と情報に産業構造が偏っていて、もはや「ものづくり」では日本に勝てないという認識は、大間違いであり、宇宙航空産業、エネルギー、最先端医療、医薬、バイオテクノロジーなどの先端分野で、圧倒的地位を持っていることを述べていた。
 最近の自動車産業などにおける日本の躍進とGMやフォードなどの凋落を、「かつてアメリカからテレビをつくる家電産業がなくなったのと同じで、21世紀の本命ではない自動車産業がなくなるというだけの話しである」と得意げに述べていた経済学者がいたが、アメリカの「ものづくり」が「シフト」しているだけで、ものづくりが「金融や情報」に単純に変化するわけではないという御手洗氏の認識の方がはるかにリアリティがある。

●この辺の認識は、微妙なものがあるが、アメリカの金融や情報産業の圧倒的な地位を肯定するとしても、また、その利潤の源泉がM&Aに傾斜したり、基軸通貨の独占を利用した「暴利」であったりすることを認めるとしても、御手洗氏がのべたような、先端技術分野におけるアメリカの地位は認めざるを得ないだろう。
 日本の一部上場会社の海外生産(売り上げベース)が、30%に迫るまでになっている(7月12日『日経新聞』)。これは資本の多国籍化が「完成」しつつあるという一つの指標になるだろう。ますます、日本の経済、資本が国際的金融資本と絡まった展開をせざるを得なくなっているわけである。

 さて、私が注目をしたのは、この先端技術における日本の「遅れ」の原因を「開発のほとんどが民間主導で行われているからだ。研究開発投資にしめる政府負担分をみると、アメリカが31%、フランスは実に40%に達している。ところが日本は20%しかないのである。」と述べているクダリである。
 イノベート計画とは、こういう方向に日本の政府(公的資金)をシフトせよ、ということなのである。公共事業をやれと言っているのではない。公共事業に関しては、既に財界は1990年代から「転換」しているにも拘らず、依然として道州制批判などに「大型公共事業をやるため」というような認識が出てくるのには、辟易する。(「抵抗勢力」の中には、まだ頑張っている方も皆無ではないが・・・)

 そこで、御手洗氏は、「大学改革」「地域の再編」「平等の観念から公平の観念に」という三つの取組を強調する。
 九州を例にあげて、まず大学を再編し、九大は法律と経済、熊本大は理工学部、長崎大は医学部というように特化をして、知の集積を図るべきであるとする。
 こうして、全国のGDPの約1割を持っている九州の力が生き、地方の過疎化も止まり、人口の増加に結びつく流れが形成されると。地方と東京の格差も解消されるし、リスク分散という意味でも有効であると。
 このような展開を見ると、イノベート計画が政府の資金を導入して、資本の「当面」の応用的技術促進ではなく、基礎研究を含めた先端分野を重点としつつ、地域の人、もの、金を動員した「国際競争力」の形成という含意があることに気づく。
 また、これが「地方分権」という流れと、東京への一極集中の否定=小さな政府論に合流する。「安易に国に頼らず、合理的な計画をもって地域をリードしなければ、地方分権は成り立たない」「我々は、結果平等主義の社会主義が、官僚制の弊害に陥り、やがて自滅していく様を目の当たりにしてきた。官や国への安易な依存心が国家の競争力を失わせ、結局は自らの将来に暗い影を落とすことを実例をもって知ったはずである」と。

●さらに、「地方自治は地方住民が必要な行政サービスを選択し、その費用を自ら賄うことが基本である」「三位一体改革が、いつの間にか国と地方との財源の奪い合いに変わってしまったという印象を持っているのは私一人ではないだろう」と述べている。

 論理展開が非常にスムーズに、先端技術分野への資金の重点配分(インフラのシフト)、人・もの・金を有効に配分するための地域再編、国際競争力の強化とつながっていく。こういう視点から、高等教育への資金のシフト(義務教育の合理化=出来ない生徒はそのままでエエ)、先端技術を支える「人間」の重視という議論も無理なく出てくるわけである。

 道州制については、既に経団連は2002年の地方分権推進会議への要望などの形で、政策提言を行っているし、2005年の1月に発表した「基本問題」(憲法9条改正と96条改正に絞れという改憲論)にも州制度の導入という形で出ている。一番、ハッキリと述べていたのが、2003年の「活力と魅力ある日本」の提言である。
 御手洗氏は副会長として、こういった提言にもコミットしているので、道州制の議論が出てくること自体は不思議ではないのであるが、私などが想像していた以上に、道州制というか、地方自治体・地域の再編を、国際競争力強化の「要」として位置づけているのである。

●最近、ある学者と「道州制はどの程度本気なのかな~」というような議論を行ったのであるが、御手洗氏の認識は、道州制が都道府県の廃止=自治体の「リストラ」という財政問題・国家財政合理化の手法という「手段」を超えて、日本資本主義の先端分野における国際競争力強化という視点に支えられているのである。
 この辺は、十分に我々も検討を深める必要があると思った次第である。