2005年03月16日(水)
市町村合併「中間決算?」の視点①
この3月31日で、合併特例法の期限が切れ、4月1日からは「新特例法」が施行され、新たな段階に「突入」する。気の早い「雑誌」(『都市問題』3月号)は「市町村合併の中間決算」なる特集を行っている。そこで、これに負けじと、「中間決算?」の視点について、感じるところを述べておきたい。
●『都市問題』3月号の特集で、菅沼栄一郎「住民が表舞台にー平成合併を追う」が、この間の合併状況の全体像を紹介している。平成合併の「成果」を見る視点として、「・・・『機関委任事務』が全廃された地方分権一括法から6年間に、住民自治が芽吹いたプロセスを追跡してみよう。一方で、政府の狙った『分権の受け皿作り』と『財政再建』という2大目標は、設計図通りに進行しているか検証する」と述べている。
そこで、「中間決算」としていくつかあげられているポイントを列記して置こう。
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①合併による市町村の減少率は、目標の三分の二に達していないが、「お上」まかせだった住民と自治体の体質に変化が進んだ。
②地域自治組織の第1号の実験が新・上越市で始まった。地域協議会(議決権なし、報酬なし)は定数以上の公募があり、NPOやサラリーマンも手をあげている。
③住民投票が2002年の11件から、03年は一気に10倍化し、04年10月までに住民投票は305件(内、条例にもとづく投票が243件、特例法による合併協議会設置の投票が62件)あった。結果は、合併賛成が6:4の比率で反対を上回った。
④議員の在任特例が住民に阻止された事例が多い。
⑤「小さくても輝くフォーラム」などの運動も発展した。ここでは、長野県下條村のように、地方交付税を4割カットされても財政基盤は揺るがない」とする村もあるが、節約だけでは限界がある。「何を残すのか」という究極の判断を迫られる時期が遠からず来る。
⑥既に合併した市町村では、茨城県潮来市のように、水道料金を旧町ごとに別料金として据え置いたところも、値上げを余儀なくされるなど、厳しい運営が必要になっている。
⑦この4月以降の「新特例法」では、合併特例債などのアメはないので、合併のペースはダウンするだろう。永田町の関心も郵政に行って、国と地方の税財政制度改革の熱は冷めてきている。
⑧全体として、「機関委任事務という国の足かせから解き放たれた自治体と住民の足腰には着実に肉がついている」と結んでいる。
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事実関係については、私もそれほど違った印象をもっていない。しかし、総括の視点はかなり異なるものがある。いくつか指摘をしておきたい。
●まず、今回の合併劇は、明治・昭和の大合併と異なり、小さい町村の規模能力の向上(明治:小学校区、昭和:中学校区)という視点からだけでは捉えきれないものがある。明治の合併は資本主義の「原始的蓄積過程」、昭和の合併は「高度成長の基盤づくり」と整理することも可能であるが、これに比して、平成の合併は日本資本主義のグローバル化に対応するとしばしば指摘されている。この視角から見ると、今回の合併をその「数」でみることは適切ではないだろう(もちろん、政府・与党の1000自治体へ、という方向が実現したかどうかは、それなりに重要であるが)。
●今回の合併は、さいたま市、静岡市、新潟市、堺市など「政令市」が増加して(しようとして)いる点にも特徴がある。中核市への「昇格」、特例市への「昇格」組も少なくない。いずれも、その地方の「拠点都市」として、グローバル化や地域の産業基盤・行政能力の強化をうたっている。つまり、『数』を問題にすると同時に、その質ー政令市、中核市、特例市、一般市、町村という「階層的」な自治体の再編が進んだことを見る必要がある。ここを正確に見ないと「平成の大合併」と言っても「のっぺらぼー」の総括になる。市町村が「規模能力」を強め、数も減少するので、今後は道州制や都道府県のあり方に焦点が移るという見方は、半ば正しく、半ば不正確である。地域の拠点が形成されることなしに、道州制の問題は政治問題には浮上しないのである。
●さて、住民参加の機運が強まり、自治の力がついてきたという評価はどうだろうか。これも、半ば賛成であり、半ば「留保」である。確かに、住民投票は拡大し、合併を機会に自分たちの住む自治体について、様々な視点から見直す機運は強まったと思われる。しかし、住民は、自治体の将来や、政府・与党などが、今後、自治体・地方自治を「どうしようとしているのか」を理解して、投票なり行動を起こすことができたのだろうか。「客観的」なデータ提供や説明が行われたのだろうかと言えば、かなり「怪しい」。
●大体、「新市町村建設計画」(合併協議会で策定し、議会で承認)の内容の全国的状況を見ると、こんなもので自分たちの自治体が「どうなるか」理解しろという方が無理なものが多い。それも、そのはずで、新しい自治体の「長」や「議会」が決定すべき予算や長中期計画などを、詳細に事前決定することには無理があり、いきおい「バラ色でアバウト」な計画になりがちである。合併して間もなく、料金引き上げや「財政危機」による「リストラ」が宣言される構図も不思議ではない。こういったこと見ると、そもそも、住民投票などが民主主義の機能を発揮する「前提」が怪しいと言わざるをえない。
●そうは言っても、住民参加の前進はあり、貴重な成果である。これは、上から与えられた「参加」ではなく、住民が自らの手で、財政分析を行い、与えられた「合併のメリット・デメリット」という「つくり話」を自分たちの「力量」で克服し、客観的に判断できる資料を「勝ち取った」際に、はじめて「自治の前進」と評価されるのである。こういった「成果」は、仮に、合併をしてもしなくても、次世代の自治体に引き継がれるものであろう。
●グローバル化に対応する、自治体の階層的な再編は、住民内部の所得格差の拡大や地域間格差の拡大をもたらすだろう。「声なき高齢者」のニーズなどは、どうやって行政の課題にのぼせるのか。
こういったグローバル都市の内部構造の変化や地域の階層的な再編などについては、別に日を改めて論ずることにしたい。
今回は、「住民の足腰に肉がついて来ている」という評価は、余りに単純であるとだけ言っておこう。

