2005年01月05日(水)

長野県山口村の合併「問題」を考える

●1月4日、長野県田中康夫知事が、長野県山口村と岐阜県中津川市の合併について、総務大臣に申請を行うことを表明した。これによって、46年ぶりに県境を越えた「合併」が実現することになった。
 
 ここで、この「合併」問題についてコメントを行うのは、県境越えの「合併」という「めずらしい」ケースだからというだけではない。
 山口村は昨年4月の段階で、住民の「意向調査」も踏まえて、田中知事に県境越えの合併の申請を行っていた。県境越え合併と言っても、中津川市への「編入」となるので、当該山口村議会の議決があれば、後は長野県議会の承認という簡単な「手続き」問題であると思われていた。

 しかし、田中知事は12月議会においても、合併承認議案を県議会に提出をせず、議員が議案を提出して「合併」を可決するという極めて「変則的」な事態となった。つまり、知事は議会への議案提出の「時期」などについて、拘束されていないという判断をとったと思われるのである。
 実際問題として、山口村内部においても、島崎藤村の誕生地であるなどの理由から、長野県に残りたいという「運動」も根強くあった。とはいうものの、住民意向調査の多数は「中津川市との合併」であり、日常生活圏や労働移動も中津川市との関係の濃さが際だっていた。

●この辺の事情については、奥秋昌夫氏の「田中県政追撃コラム」に詳しい。 

 私は、奥秋氏の立場に賛同するものではないが、色々と考えさせられるところはある。大きく言えば、首長と合併手続問題の関係などである。
 合併の「手続き」に関しては、首長は決定に関与することはできず、議会に決定権があることは知られている。しかし、これまでの様々な合併問題について検討をしてみると、「住民投票」の具体的内容や選択肢などについて、首長が「介在」する範囲は極めて大きく、現実の「合併」を左右する影響力が行使されてきたことは事実である。

 さて、田中知事は昨年の9月の時点で、この県境合併に反対の立場を表明し、その延長線上において、議会への議案提出を「渋って」来たのであった。そもそも、知事が個別の合併に賛成であるとか、反対であるとかいう「立場」を表明することの意味もハッキリしないが、「当然」求められる「手続き」(この場合、議会への議案提出と議会可決後の総務大臣への申請などを指す)をネグレクトできるかどうかは、かなり疑問である。

●田中知事が、自らの信念や合併問題へのスタンスを明確にすることは、何ら問題はないし、むしろ、必要ですらあろう。しかし、今回の事態を通じて、合併に関して、様々な問題が生じることが明確になった。長野の場合、知事が事実上合併に反対であり、議会は「賛成」であったが、これが「逆」であったらどうだろうか。府県議会が個別の合併事案について「反対」をして、市町村議会の意思(とりあえず、住民の意思と見ておこう)に反する決定をした場合、どうだろうか。

 更に根本的に言えば、人口数千の村の意思について、人口が150万とか200万人の府県や府県議会が介在することについて、どう考えるのか。これが、県境をまたぐ対等合併であれば、事態は国会マター、オールジャパン問題となる。都道府県の区域の変更問題となるからである。

●こういったことを考えていくと、どうしても「憲法上の地方公共団体」とは何かといった「原理論」に行き着いてしまう。「憲法上の地方公共団体」としての市町村が、その存廃を考える場合の、合理的な手続きとはなんだろうか。合併にせよ、非合併にせよ、そもそも、自治体として「生き残る」権利は憲法上保障されているのではないか。このことが「ないがしろ」にされている状態での「合併」は、どういう理由をつけようとも、住民意思以外の「力」が働いていると見るほかはない。
 また、山口村内部における「長野県残留派」の意思は、多数決で(住民意向調査の意味は何なのか)あっさりと否定してしまって良いものだろうか。

 合併を通じて見えてくる、日本の地方自治の現状・実態は、かなりお寒いものである。もしかしたら、田中知事は、こういったことを問題提起したかったのではないかと考えたりもするのであるが・・・