2005年01月26日(水)
泰阜村(やすおかむら)の歩む道
●泰阜村から「広報やすおか」(新年号)が送られてきた。泰阜村は、田中長野県知事が住民票を移したり、強制合併に抗する「小さくても輝く自治体」の全国的な音頭を取ったりしたことで、全国区の知名度になったが、決して「浮ついた」道を歩んでいるのではない。
昨年「ふるさとおもいやり基金」を創設し、12月末時点で636万円の寄付が全国から寄せられたと記してある。実は、私もささやかながら寄付をした。国の市町村合併の「強要」に抗して、村民と共に「合併しない」道を選択した自治体の「生きざま」への共感である。
この「ふるさとおもいやり基金」は、「寄付による投票」とも言われているもので、泰阜村が第1号であるが、その後はニセコ町も導入をしている。東京の23区でも、導入を要求する声がある(政策選択と結びついた寄付については、その多寡が政策に影響を及ぼす点で危険性もある)。
明治の自治体では「寄付」というのは、かなり大きなウエイトを持っていたが、現在では、ごく微々たるものである。自治体の運営が寄付に依存するようでは、どうにもならないことは明白であるし、近代租税国家の下での自治体でもあるからだ。しかし、私が、泰阜村の基金に賛同するのは、下記のホームページをみて頂ければ分かるが、村民2000人強、職員46人の「自治体」が、長野の山の中で「福祉を重視」しつつ、最大限に効率的な行政運営を行って、自治体として存続して行こうという強い決意を感じるからである。
☆泰阜村ホームページ
●こういった「生きざま」への全国的な共感は、都市と農村との「連帯」を示す上でも、また、1自治体の問題とは言えないような「大きな」課題であることを明確にする上でも、極めて重要なことであると思う。このように述べても、私は松島村長の政策や考え方に全て賛同をしているわけでもないし、泰阜村の未来については、「減量経営」や「民営化路線」などでは、切り開けないと思っている。税源も少なく、現下の地方交付税に大きく依存している村のあり方が問われている。自助努力を重ねながらも、全国的な運動によって局面を打開していく以外に、本当の未来はないと思っているのである。
議員の報酬が123300円であり、議員報酬では生活できないだろう。半ばボランティア、半ば議員である。長野では、自治体の生き残りのためには、職員も「半農半公」にして、給与を半減する必要があるとかささやかれている向きもある。この辺は、十分に議論をして、近代国家・自治体における「公務員制度の意義」「公務の意義」についてコンセンサスを形成して貰いたいと念願する。
泰阜村の未来を切り開くためには、「自治体のリストラ」や「住民協働」の名による、住民への責任転嫁や安易な民営化ではなく、自治体としてのギリギリの公的な責任を明確にした上で、福祉や生活重視の行政を住民参加によって確立する必要があると思う。基金はそのための「支援」であると言ってよいと思う。
●こんなことを考えている時に、総務省のメルマガが送られてきた。総務大臣の書いた「号外」である。そこには、「市町村の人口一人当たりの行政に必要となる経費を比較すると、人口5千人未満の市町村だと約103万5千円にもなりますが、人口1~2万人の市町村だと約43万8千円、人口3~4万人の市町村になると約36万1千円となり、人口5千人未満の市町村の約3分の1の経費となります。国民の税金で行政を行っている以上、役場がコスト意識を持たねばならないことは当然です。私は、合併は強制するものではないと思いますが、合併をせずに小規模で残る市町村は、さらに厳しい覚悟で行政運営に当たっていかなければならないと考えています。」と記してあった。
また、総務省のメルマガには、全国で一番面積の広い自治体(岐阜県高山市)が誕生したとも書いてあった。狭い国土で広さを競って、何が嬉しいのか疑問を感じざるをえない。道州制を論じた際にも指摘したが、例えば農業は、日本のGDPという点でみれば、わずか数%であり、都市部では無視しうる値である。しかし、食料自給率100%を仮に達成する場合でもGDPの構成比としては、10%も必要ないのではないか。このわずかなGDPの方が、下らない消費万能、ムダな公共事業などが形成するGDPに比べて、遙かに国民的な意義があるものだと思う。経済万能の発想はバブル崩壊で懲りたハズなのであるが、まだ、発想の転換ができていないと言わざるを得ない。
正直言って、自治体の「非効率」は正さなければならないと思うが、「経済大国」の大臣が、住民の生活維持への自治体のコストを「ムダ」だと言わんばかりである。市町村合併は「強制」ではないと言いつつ、脅迫はしてもよいらしい。
●私は、市町村が合併しようがしまいが、「自治体でなくなる」ことがなければ、別に好きにやれば良いという考えなのであるが(住民の判断が正確に反映すれば、それに越したことはない)、「自治体」としての存続が否定されるようなことは許すわけには行かないと思っている。
これが、泰阜村への「思い」である。

